V-6 サボテンと毛髪と乙女心
「ボールみたいな形が可愛いよね」
金晃丸、という品種らしい。
立派な名前があるのに、『サボ子』と名付けるのはどうかと思うが。ネームピックの向きを調整しながら、正木先生がいう。
「金色のトゲはカッコいいし」
先生の無精髭みたいですね。物理教師の顎を見て、日向は密かに笑う。
宇宙研顧問の正木だが、活動は生徒にまかせっきりで、星住や宇井川は『正やんは何もしてくれない』とよくグチっている。
でも、日向は彼が嫌いじゃなかった。植物好きなところとか、ゆったりした物腰とか。
「ん?……またか」
正木が何かを摘まみ上げる。
毛髪だ。かなり長い、三十センチ以上はあるか。陽に透けて金色に反射している。ゴミ箱代わりのペンキ缶に髪を捨てると、正木は思い出したように、
「やばい。職員会議の時間だ。水無月くん、サボ子に水やりお願いね」
「はい……」
白衣をひるがえして出ていった。普段はぼおっとしているのに、頼みごとをするときは手際が良い。
日向は、薬瓶をかたむけて土を湿らす。水差しの代わりに空いた薬瓶を使っている。この辺りのセンスも、正やん特有だ。H2SO4(硫酸)のラベルが毒々しい。
『その教師ってのがさ――嘘か本当かわかんないけど、正木先生なんだとさ』
相手の名前は、東雲里香、だったか。朴念仁の正木に、浮いた噂があるなんて。日向はいまいちピンとこなかった。
「こんにちは」
「……こんにちは」
物理準備室にいるのが日向だけと気付き、東雲莉麻は、はにかむような表情になった。
やっぱり、ふたりきりだと少し気まずい。
いつもは星住か宇井川が先に来ているのに。ホームルームが長引いているのだろうか。推理クイズでは、謎に集中していて緊張が薄れていたが、普段はそうもいかないらしい。
「東雲さん、前髪伸びてきたね」
ついどうでも良い話題をふってしまう。前髪って。
莉麻は前髪を留めているピンに触る。
「変ですか……? 姉がしてくれたんですけど」
「ううん。可愛いよ」
「ありがとうございます」
頬を染めてほがらかに笑う。
姉――。お姉さんがいるのか。名前を聞くのは軽率だろうか。
莉麻はロングヘアからボブカットになった襟足を撫でる。
「短くしたら手入れが楽ですね。切った方が良いよ、って前々から家族に言われてたんです。母も姉も、ショートカットで」
「ふうん。お父さんは?」
男性は大抵短髪だろう。日向は自分でツッコむ。アホな質問をしてしまった。
莉麻の姉かもしれない人物の噂を聞いたせいか、変に意識してしまう。ふと見ると、莉麻はしんみりしていた。
「父とは……一緒に暮らしてないんです。母と不仲で別居していて。米国の大学で働いています」
うっ。無意味に重い事情を語らせてしまった。大失敗だ。
いっそ喋らない方がいいかもしれない。日向がうなだれていると、莉麻は明るい口調で言う。
「でも、寂しくはないですよ。月一でスカイプしてるんで。――明日で終わりですね」
「?」
「二十七日間契約」
ああ。
短かったような長かったような。最初は指折りで数えていたのに、いつからかしなくなっていた。
「先輩、意外とマメなんですね。毎晩欠かさずメッセージをくれて」
寝る前にメールを送る。契約の一部だ。
『今日はお疲れ様でした』とか一言の日もあったと思うが。
「嬉しかった……水無月先輩のおかげで、男性への恐怖心も弱まってきたと思います。
明日、最後のお願いを聞いてもらって良いですか」
「お願い?」
「私の家に来て欲しいんです」
動揺が顔に出たのか、くすりと笑って口元を押さえる莉麻。
「身構えなくて大丈夫ですよ。処女を貰ってください、なんて言いませんから。明日は母も姉も家にいるし。よかったら」
「……あぁ、うんと」
「おつかれー」
返答しかねていると、星住と宇井川がやってきた。バターの甘い香りがする。
「手作りお菓子?」
すぐ反応した日向に、星住がぎょっとして、
「日向くん、鼻良すぎ。料理部がおすそ分けしてくれたの。カップケーキ。重曹とベーキングパウダーの違いの実験だって。東雲ちゃん、はいどうぞ」
「ありがとうございます。重曹は独特の匂いがしますね」
「焼き上がりの色も違うんだって。日向くん、ベーキングパウダーどうぞ」
「どうも」
「うわ、二口で。味の講評とか無いの?」
「美味い」
「それだけぇ?」
料理部は、幼馴染の宮西カナが部長を務めている。
家に帰ったら、個人的に差し入れてくれるかもしれない、と日向は意地汚いことを考える。
「水無月先輩、手作りのお菓子が好きなんですか。じゃあ明日、家でご馳走できるように作ろうかな」
「なに明日って? 家デート?」
「いえ、そういうのじゃなくて」
詰め寄ってくる先輩たちに、莉麻はタジタジだ。
まだ行く、とは言ってないのに。自宅を訪れたら、東雲里香とやらに会うかもしれない。
全然その気はないのに、噂の真相を探るように事が進んでいるような……
「あっ、まただ! 金髪!!」
宇井川が怒気をはらんだ声を上げた。
直に触るのは汚らわしいのか、ティッシュで毛髪をつまんでいる。日向は身を乗り出した。
「髪の毛。さっき同じのを正木先生が拾ってたよ」
「最近よく落ちてるんだよね」
ファイルの上とか変な場所に在るんだよぉ、と星住もプリプリ怒っている。
「ふうん。気づかなかったな」
「日向くん。普段あまり掃除とかしてないでしょ?」
「う……」
「でも、誰のだろ?」
星住がショートカットの髪を撫でて、「私は短いし、宇井川と日向くんもそうよね。東雲ちゃんも結構前に短くしたし」
そもそも、顧問の正木を含め宇宙科学研究会は皆、黒髪だ。
「もしかして幽霊とか?」
宇井川が流し目をする。
「天文部が潰れたことを根に持つOBかOGの呪いかもしれないよ。やばいよ日向くん?」
「廃部になったのは、僕の責任じゃないと思うけど」
むしろ天文部を抜けて宇宙研に入った星住と宇井川のせいだと思うが。
うむ、と星住がティッシュの毛髪を指して、
「妙だね。うちの高校あんま校則厳しくないけど、これは脱色し過ぎでしょ。黒志高の生徒のじゃないと思う」
「えぇ、じゃあ誰のよ。霊?」
話がオカルトめいてきた。謎の毛髪事件、発生だ。
*
「う~ん……違うか」
次の日、特別棟の階段を昇りながら、日向は期待外れの嘆息をする。
毛髪の主が、『生徒』でないなら『教師』はどうか――?
部室の鍵を借りるついでに、事務室を含め職員室をざっと見回してみたが、ヒットする人物はいなかった。当然の結果とも思う。学校で、派手な髪色の大人がいたら目立つだろうし。
「……?」
鍵を回して物理準備室に入ると、かすかに土の匂いがした。
全身の肌が粟立つ。
直前まで誰かがここに居たような――不穏な気配がただよっていた。
中央の大テーブル、壁付けの戸棚……おかしな箇所はない。
窓辺に進むと、サボテンの鉢植えはいつもの場所にある。ネームピックの向きも変わっていない――が、
「……なんだこれ?」
土の盛り具合がおかしい。
よく見ると、陶器の端が欠けていた。足元の床がかすかに湿っている。日向は察する。
誰かが鉢植えを落として、元に戻そうとしたのだ。
鉢植えの傍らにある薬瓶は中身が半分になっている。昨日、水を満杯にした筈なのに。
一体誰がこんなことを――?
「日向くん? ちょうど良かった」
振り向くと、フリルが目立つエプロンをした小柄な女子がいた。
宮西カナだ。部活動中に抜けてきたらしい。
「これ、昨日の実習の余りなの。あげる……どうかしたの?」
「いや」
カナが不審げに覗きこんでくる。
鉢植えに起こった変化は、サボテンの面倒を見ている人間じゃないと気付かないだろう。日向はしずかに頭をふった。
「ありがとう。貰うね」
紙袋の中身は、昨日と同じカップケーキだった。カナは二コリとしたが、思い出したように頬をふくらませる。
「そういえば――日向くん! 一年生の女子と付き合ってるって噂流れてるけど。何やってんのよ? 雷宮先輩に殺されるよ」
「もう殺された」
ある意味。
はあ? と顔をしかめるカナ。すばやく話題を逸らす。
「料理部は順調?」
「え、まあ……うん」
新部長になってから、しばらく大変そうだったが、最近は楽しくやっているらしい。頷きかけたカナは迷ったように、
「ちょっと変なことがあったの」
と言った。
「家庭科室に謎の毛髪が落ちていたとか?」
「なにそれ……? さっき気づいたんだけど、〈重曹〉が無いのよ」
「重曹?」
「昨日の実習で、重曹とベーキングパウダーを使ったんだけどね、重曹だけが見当たらないの。大袋で買って、半分以上残っていた筈なのに」
「…………」
「日向くん?」
重曹、とつぶやき日向は押し黙る。
白目をむきだした幼馴染に、「こりゃダメね」とカナは早々に諦めて去っていった。
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