V-4 H2O殺人事件【推理編】
「まずは、目撃者に話を聞いてみることをオススメするよ」
犯人(推森)に勧められるのも変だが。
午後四時三十分――犯行後ほやほやの『事件現場』を出ようとしたところで、莉麻がきびすを返した。
「確認したいことがあります」
「どうぞ。高校入試満点だった東雲さん」
「満点じゃありません295点です。――ええと、被害者のHくんは、水溶性宇宙人だそうですが。どの程度の水量で溶けてしまうのでしょう? 致死量を知りたいのですが」
まるで毒のようだが、Hくんを死に至らせたのは『水』である。
推森は企むような表情を見せた。
「どんなに微量だろうと、彼にとっては致命的だ。一滴浴びただけで絶命する」
日向はあらためて観察する。
びっちょりと濡れたジャージの上下、吸水しきれず水たまりができた床……一滴どころじゃない、溢れるほどの水が在るではないか。
だが、と推森は口ごもって、「僕はそれを知らなかった……ということにしておこう」と微妙な言いわけをした。
「では――ここにある水は全量、推森先輩が運んできたと」
「ああ。水溶性宇宙人が溶けて水になった、ということもない。Hくんは、蒸発するように消滅したのだから」
死に様のフィクション性にもほどがある。
なにせ被害者は宇宙人。例外が多すぎる、というか例外しかない。
気を取り直して――。
まず、階段の踊り場へ向かうことにした。犯人がたどった順路通りに。七条原のガイドに従ったのだ。
ダンス同好会が夢中でステップを踏んでいる。
「ラスト違う。タッタッタ、じゃなくて。タッタタだよ、ほら」
「こうすか」
「違う。それじゃ、タッタータだ」
「お取込み中失礼。お仕事ですよ」
七条原が近づくと、兵隊のように姿勢を正した。踊り場の隅に、同じコーラのボトルが二本ある。まさかあれで買収されたのか?
オレンジ色のTシャツを着た男子が、ちっす、と日向に手を上げた。
「楢崎。何踊ってるの」
「変ダンスだよ」
ちなみに彼――楢崎と日向は、バスケ部を辞めて新しい同好会を起ち上げたという共通点がある。日向の後ろに引っ込んでいた莉麻が「いまさら?」とつぶやいたの逃さず、楢崎が舌打ちした。
「うるさいな。黒志山小のダンスクラブに、振付教えてくれって頼まれてんだよ」
振付師といい目撃者といい、色々と頼まれる同好会だ。
七条原に視線で促され、日向は本題に入る。
「ダンス同好会は何時からここで練習してるの?」
「三時四十五分から」
ハーフパンツのポケットから、メモを取り出す楢崎。
「四時頃に推森が階段を上がっていって、その後に、『Hくん』が来た」
「推森はひとりだった?……誰かと一緒だったとか」
「ない。独りだった」
「推森がここを通ったのは一度きり? 何度か往復したということは?」
「俺たちが奴を見かけたのは一度きりだ。下りてきてもいない」
「推森とHくん以外、ここを通った人は?」
「お前らだ」
楢崎はカンペから顔を上げて、「二十分頃か。七条原さんと水無月と、水無月の新しい彼女と」
なあ、と後輩らしき青Tシャツの男子とうなずき合う。犯行現場を訪れたときのことだろう。
ニヤけた顔を向けられた莉麻は、彼女だなんて、と金魚みたいに口をぱくぱくさせている。日向は咳払いして、
「推森は何か持っていなかった?」
「ぴーっ!」
幼稚すぎる口笛が乱入した。
「それはNG質問です、水無月くん。答えそのものでしょうが!」
ダメだぞぉ、と額をこづかれる。やっぱり変な人だ。他に質問がないなら次行きましょう、と現場を切り上げられた。
四階に戻る。いつもは賑わう図書室も、今日は書架整理のため閉まっている。
第二の目撃者――廊下の奇術同好会は、二人がかりでトランプタワーを作っていた。
「手先の器用さと、集中力を高める訓練だよ」
シルクハットを被った男子が教えてくれる。ツインテールの女子が勢いよく前に出て、
「事件のことだよね? さあさ、なんでも聞いてプリーズ」
とのことなので、さっそく伺うことにした。尋問開始。
「推森が予備室に入ったのを見かけましたか?」
「はいはーい! バッチリ見たよ。モリモリ(推森のことか)の十分後くらいかな、『Hくん』が入るところもね。それから間もなく、断末魔の叫びが聞こえて……あれは恐ろしい悲鳴だったわ!」
さすが、ショーをメインに活動する奇術同好会。カンペに頼っていない。
「推森先輩は予備室から出ていませんか?」
先輩をまったく信用していない問いかけをする莉麻。
「出てないね。……えっ、もう終わり? ほかに聞くことないの?」
目撃者から逆に責められ、日向は少し考えてから廊下の奥を指す。コンピューター実習室の方だ。
「向こうからは誰も来ませんでしたか?」
「だぁれも!」
ツインテールはガッカリした様子で、勢いよくかぶりを振った。
風圧でトランプタワーが崩れる。あぁあ、とシルクハットも膝から床に崩れた。廊下の隅に、見覚えのあるコーラのペットボトルが二本ある。コーラ買収説はこれで確実となった。
*
驚くべきことに、そう驚くべきことに――有益な情報はほとんど得られなかった。
目撃者なんて必要だったのか、と思うくらいだ。予備室に戻ると、推森は机で居眠りをしていた。ぷぴー、という鼻詰まりぎみの鼾が聞き苦しい。
「東雲さん」
「なんでしょう、水無月先輩」
「何か考えない? 推理クイズが好きでここに入会したんでしょ」
「……別にそういうわけじゃ」窓辺にもたれる七条原をちら見して、「勧誘にきた七条原さんが面白すぎて、つい」
そんな理由で!?
あきれ顔になった日向に、じゃあ考えつくままを述べますよ、と前置きして莉麻はいう。
「犯人は水をどのように運搬したか?
仮説1・〈学習机〉を利用した。ほら、あの物入れ部分に水を溜めて、机ごと運んだのです」
「それは俺も考えたけど。あのジャージ、全身ずぶ濡れだろ?
物入れに何リットル水が溜められるか知らないけど、ジャージ上下と床を水浸しにするまでの量にはならないと思うよ。何度も往復すればクリアできるだろうけどさ……」
推森を見かけたのは一度きり、とダンス同好会が断言している。
彼らが踊り場で練習を始めるよりも前に、運搬していた、という可能性は除外しておこう。それじゃあ、推理クイズにならないから。
「仮説2・〈ロッカー〉を利用した。中のコピー用紙を取り除いて、水を溜めれば良いのです。ほらバッチリ」
「水量的にはバッチリだろうけど、一人で運ぶのはまず無理だね」
推森は独りだった。これもまた証言されている。
めげずに莉麻は続ける。
「仮説3・これが本命です。そもそも犯人は道具を使っていない、事前に大量の水を飲んでおき、自らの胃袋で運んだ。胃から逆流させた水を吹きかけて、被害者に攻撃したのです。――ご存知ですか? 胃袋は何倍にも拡張するんですよ、個人差はありますが」
「まったく隙がない推理で感服するけど、絵的にツラいね」
可憐な見た目の天才(?)少女は、むぅ、と唸って、ボブカットになった髪を撫でる。
「水無月先輩は何かお考えが?」
「うん……〈氷の器〉で運んだ、という方法を思いついたけど」
「氷。溶けてしまえば痕跡は消え失せるというわけですか。――しかし、どうでしょう?
あれだけの水量だと、それなりに大きな器が想定されます。犯行時刻は四時十分。私たちが現場を訪れたのは四時二十分。わずか十分で器が溶けきるとは考えづらいのでは?」
暖房の設定温度を高くしたら可能かもしれないが、黒志山高では、生徒にそこまでの権限は与えられていない。
「ときに水無月先輩。お願いがあるのですが」
「ん?」
「私と……手を繋いでみてくれませんか?」
「なぜ今ここで!? 推森と七条原さんいるよ!」
「だからです」
莉麻は目元をピンクに染めている。
「おふたりとも良く知った仲ですし……それに部室は……私にとって慣れ親しんだ場所なのでリラックスできるというか……」
お願いです、と薄い唇を結んで目をつむる。
「わたしのことはどうかお気になさらず。ヒーッヒーッヒーッ」
七条原の引き笑いが炸裂した。楽しんでいる……!
日向はわしゃわしゃと頭を掻いた。これも二十七日間契約に含まれるのだろうか?
光の顔が頭をよぎったが、手ぐらい良いか、と考えなおす。汗ばんだ手のひらをズボンで拭って、莉麻の手を握った。
「ぎゃあー! なっ、なんでいきなり恋人つなぎ!?」
うっかりしていた。
光と手を繋ぐときは、最初から問答無用で恋人つなぎだったので、つい指を絡めてしまったのである。
「ごめん、間違えた!」
「間違えたって……彼女さんと? この前みたいに?」
「この前とは? 詳しくプリーズ」七条原が身を乗り出してきた。「聞き逃せないねぇ」寝ていたはずの推森も起き上がる。
「私のはじめてが台無しに……うぅ」
「あーあ」
蔑んだ視線が痛い。完全なアウェー状態に、日向は急速に気持ちが冷めた。
そもそも、この推理クイズは、東雲莉麻をかけた戦いなのである。
クイズに解答できなければ、莉麻は推理研に戻る。それだけのことだ。負けたことを知られたら、星住と宇井川は怒るだろうが、やっぱりそれだけのことだ。
「……んん?」
「なんですか鬼畜の水無月くん」
「その呼び方はやめて欲しいな。――推理研にもうひとり男子部員っている?」
「…………」
沈黙してしまった七条原の代わりに、莉麻がこたえる。
「はい、在籍しています。塙くんっていう一年生で……塾で部活を休みがちなので今日もそうだと思っていたのですが。知り合いですか」
「いや、いるかどうかも知らなかった」
「じゃあ、どうしてわかったんです」
大したことではない。
『宇宙科学研究会だか何だか知らないけど、自分の他は女子ばっかり入れてさ、カルトなハーレム作らないでくれるかな』
果たし状を持ってきたときの、推森のセリフだ。
男子部員が日向だけの宇宙研を、彼は、‟ハーレム”と揶揄したのだ。しかし、推理研の状況を見るに、メンバーは推森、七条原、莉麻。男1:女2。少なくとも、二名以上の男子がいないと、侮辱された方は納得できないではないか。
「水無月先輩、どこへ?」
「もう一度、目撃者に話を聞いてくる」
「待ってください!」
「はぅ!?」
扉を開け放った瞬間、体当たりされた。というか後ろから抱きつかれた。
「もしかして答えが分かったんですか!?」
「……た、たぶん」
「ずるい」
許さない、とばかりに、ぎゅうっと力を籠められた。背中に胸が密着している。
予測していた以上の圧に、日向は冷や汗が流れだした。さっきは手を繋ぐだけで大騒ぎだったのに……天然なのか? そうなのか?
過去に光には散々あざとくイタズラされたが、莉麻はたぶん違う。胸が当たってるよ、と正直に伝えたら……大騒ぎどころか失神するんじゃ……!?
「ヒントをください!」
「ひ、ヒント? よし――」
むしろ自分が気絶しそうだが、日向は頑張る。
「ヒント1・水溶性宇宙人は実存する」
「星住先輩から訊きましたよ……水無月先輩は宇宙人の存在を信じているって。でも、今回のケースは」
「ちがうちがう。役、という意味で。『Hくん』は存在する」
犯人役が推森なら、被害者役もいる。おそらく、塙くんとやらだろう。
「ヒント2・推森は犯行現場で一度たりとも、‟死体”という言葉を使っていない――楢崎」
押し殺した声で呼ぶと、あいよ、と返事があった。
密着する日向と莉麻の周りに、ギャラリーが出来ていた。目撃者たちに目撃されていた。皆、例外なくニヤけ顔である。
「いいなぁ水無月……あ、俺たちには構わずイチャついてて」
なっ!? と悲鳴を上げて莉麻が体を離した。
日向は安堵の息を吐いて、
「もう一度聞くけど、『Hくん』を目撃したか?」
「したぜ。実際に」
ようやくその質問が来たか、という風だった。
「……そんな。私はただ、推森先輩の筋書き通りに証言しているだけだと思っていたのに」
「俺も東雲さんと同じだったよ」
水溶性宇宙人なんて存在するわけがない。だから、目撃証言もどうせ架空のものだろうと。
推森琢也という人間が、推理クイズにどこまで情熱をかけ、どこまでフェアにこだわるか――。
それが次の質問で暴かれる。
当たって欲しいような欲しくないような……複雑な思いを抱きながら、日向はたずねる。
「Hくんはどんな格好をしていた――?」




