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階段下は××する場所である  作者: 羽野ゆず
バレンタイン回想録―My lost 27days
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V-2 これが泥沼ってやつ?

 チョコレート色の玄関ドアの前で、日向はひとつ深呼吸をした。

 いつも少しだけ緊張する瞬間だ。

「はぁい」

 202号室のインターホンを押すと、赤フレーム眼鏡の快活そうな女子が出てきた。


「水無月くん、お久しぶりー!」

野巻のまき先輩!?」

 いきなりのハイテンションだ。

 野巻アカネは日向をまぶしそうに見つめて、

「あぁ、もう既に高校の制服が懐かしいわ。元気だった? インフルエンザとか大丈夫だった?」

「はい。えと、先輩は、お元気そうですね」

「アタシはいつも元気モリモリだよ!」

「先週まで高熱を出していたくせに」

 ようやく部屋主が登場した。

 アカネは光に抱きついて、えへへと漫画っぽく笑う。

「風邪で休んでた講義のノートを貸してもらいに来たの。いやぁ持つべきものは光だね。ごめんねお邪魔しちゃって。――早乙女さおとめくん、帰るよ!」

 はーい、とリビングから返事がして、なよっとした男子が光の後ろに現れた。


 えっ……男……?

 なよっとした人――早乙女は、大学生にしては子供っぽいキラキラした瞳をしている。

「うわぁ」

 アカネを押しのける勢いで迫られて、日向はのけぞった。

「これが噂の彼氏君かぁ、うわぁうわあうわ~あ。すごい美少年だ!」

「でしょでしょ!? 水無月くん、志望校黒志大(うち)だよね。今度こそ演劇部で待ってるからね」

「うんうん、彼がいたらシェイクピアとか出来るんじゃないかな。光ちゃん、ジュリエット()る?」

「私は裏方志望だ」

「つれないなぁ」

 無理やり握手を求められ、じゃあまた、と慌ただしく去っていく。 

 嵐のあとの静けさが訪れた。


「入ったら?」

 光に手招きされて、日向はようやく靴を脱ぐ。

「いまの人……」

「演劇部の早乙女だよ。ほら、剣道部を辞めてそっちに入ったって言ったろ」

 アカネに誘われて入部した光は、裏方で大道具や小道具を作成しているらしい。

 夏休み、実家の庭でトンカチを手に書割り(背景)を作っている姿を目撃したことがある。光にトンカチで、『リアル鬼に金棒だな』と連想したことは極秘だ。

「サークル帰りで、野巻に付いてきただけだよ」

「だったら別に部屋に入れなくてもよかったんじゃ……」

「あのなあ」光は面白そうに笑って、「早乙女のことだったら気にする必要ないよ。日向のことだって、伝えてあるし」

「…………」

 突っ立ったままでいると、おいで、とソファに押し込まれる。

 髪をサイドに緩くまとめた光は、いつもより大人っぽい雰囲気だ。そういえば、最近ポニーテールをしなくなった、と今さら気づく。

 互いに予定が合わなくて会えたのは久しぶりだったのに――いや、久しぶりだからか、やけに距離を感じてしまう。


「で、さっきのはなんだ?」

 隣に腰を下ろすなり、本題を切り出してきた。

 言わずもがな東雲莉麻の件である。 

「ええと……」

 日向はしどろもどろに説明した。

 告白されたこと。宇宙研に入会希望されたこと。『二十七日間契約』のこと。

「ふうん」

 床に放っていた日向のコートとブレザーをハンガーにかけながら、光がぼやく。

「その東雲って子、変だな」

「ですよね。変わっているっていうか……あ、告白はちゃんと断りましたから」

「そうじゃなくて――二十七日間、日向を下僕げぼくにしたって、どうなる?」

「下僕になれ、とまでは言われてないですけどね」

「日向だったらどう? 告白してフラれた後、そんなことを望むか」

 ふむ……?

 たしかに不自然な気がする。フラれた相手と一緒にいたいなんて。ひねくれているというか、自虐的というか。

「たんなる腹いせだと思いますけど」

「どうかな」

 こくり、とかしげた頭を肩に乗せられた。

 間近で花のような香りが漂う。考え込むように、桜色の爪を押しつけた光の唇がやわらかそうで、思考はそちらに奪われた。


「――ん」

 突然キスを仕掛けてきた日向を、光は押し返す。

「まだ話の途中だろ」

「ひさしぶりに会えたから、嬉しくて」

「何か……怒ってる?」

 細い指が伸びてきて、眉間を突かれる。

「ここ。皺寄ってる」

「怒ってません」

「もしかして、まだ早乙女のことを気にしているの?」

「……そんなのどうでもいいじゃないですか」

 日向は続けて小さくつぶやいた。

「光さんだって、僕のこと信じてないくせに」

 自分でもぞっとする冷たい声音だった。


「いい加減にしろ!」


 ものすごい衝撃を感じて、目をつむって開けると、ソファから転げ落ちていた。光に突き落とされたのだ。

「なにするん……」

 仁王立ちした光を見上げて、背筋が震えた。

 今まで見たことがない、怒りと軽蔑が混じった表情だった。

「信じてないってどういうことだ? 言いたいことがあるなら、ちゃんと言えよ。ごまかそうとするな」 

「…………」

 獣みたいな荒い息だけが響いている。

 日向は唇を結んだままでいる。

「ひなた――」

 名前を呼ばれる。愛おしいとは、ほど遠い口調である。

 部屋の隅まで追い詰められて、芋虫のような体勢のまま叫んだ。


「光さんだって……光さんだって、僕のことを全然信用してないくせに!!」

「だからなんだよそれは」

「星住さんとか宇井川さんに色々根回ししていたじゃないですか……入会テストとか色々。僕が、どれだけ惨めな気分になったか」

「……あ」

 ギラついた猫のような目が、かすかに揺らいだ。

「気にさわったなら謝る。でも、日向がいつも無駄に愛想をふりまくから……心配していたら、案の定、後輩に告白された? どうしてひと月も黙ってたんだ」

「すぐに断ったし、心配させたくなくて……」

「黙っていられるほうが嫌なんだよ私は」

「……じゃあ言いますけど。そっちだって、僕の知らない男を家に上げてたじゃないですか。ひとり暮らしの部屋に男を入れるなんてバカなんですか!? 襲われたらどうするんです?」

「私が早乙女ごときに襲われるか」

「そういう問題じゃなくて!」

「じゃあどういう問題なんだよ!」

 平手が飛んできた。

 すんでのところで避けたが、鼻先をかすめたのか血が流れ出した。かっとして反撃のかまえをすると、今までの何倍も強烈な一撃をお見舞いされた。

「――ッ!!」

 両膝が床につく。

 さすがにやり過ぎと思ったのだろう、光がかけ寄ってきて日向を膝に寝かせる。

「バカ、かまえの姿勢をとるから」

 反射的に攻撃してしまったらしい。


 光に歯向かうのがどれだけ無謀で危険かが分かった。鼻血を拭いてくれる手を退けて、むすっとしたまま日向は立ち上がる。

「帰る」

「待って。話が終わってない」

「……話し合いなんてできない」

 もう殴られるの嫌だし、と吐き捨てると、憤怒ふんどの気配がして上着を投げつけられた。


「っ、いいよ帰れ!」

 語調も荒く怒鳴られる。

 光の双眸が潤んでいることに気付いたが、優しい言葉をかける気持ちにはなれなかった。


「二十七日間じゃなくて――ずっと(・・・)でいい! お前の顔なんて当分見たくない!!」





 ちらちらと粉雪が舞っている。

 自宅付近のバス停で、日向はベンチに座っていた。

 雨風をしのぐには簡素すぎる小屋のなかで、寒さに震える。今日は家族がそろっている日だ。腫れ上がった顔の惨状について、どう説明すれば良いだろう……? 

 触れた頬はまだ熱を持っていた。

「痛っ」

 夏休みの甘ったるい思い出が全て吹き飛んだ。

 やっぱり雷宮光は乱暴者だ。

 自分にも非があった、とは思う。が、体中を断続的に襲ってくる痛みが、反省を上書きしていた。


「水無月先輩……?」

 薄暗い小屋に、ボブカットの少女が入ってきた。

「どうしたんですか、その顔!」

「……東雲さん?」

 一瞬、誰だか分らなかった。

 数時間前はロングだった髪が短くなっている。真っ青になった東雲莉麻は髪を乱して、気遣ってくる。

「誰にやられたんですか!?」

「…………」

 日向は顔をそむけた。そもそも、彼女さえ現れなければ、こんなことにはならなかったのだ。なんだか無性に苛立たしくなって、ぶっきらぼうに言う。

「東雲さんさ、二十七日間で何するの?」

「え……」

「東雲さん、男性恐怖症なんでしょ。そんなんで、まともに男と付き合うとかできると思わないけど」

「……私はただ……少しの間でいいから先輩の一番近くにいたいと思っただけで……具体的に何がしたいとかは」

 おどおどした表情や仕草にイライラした。

 莉麻といると落ち着かなくなる。理由は分かっている。昔の女性恐怖症ぎみだった自分自身を見ているようで、苛立たしくなるのだ。


「やあ、こんばんは」

 重苦しい沈黙のなか、第三の人物が顔をのぞかせた。

推森おしもり先輩……!」

 驚いた莉麻が白い息をはく。

 粗末な小屋は、いまや人口密度が限界を迎えた。日向は腰を浮かせて小屋を出る。

 マフラーをぐるぐる巻きにして顔半分が隠れた人物は、雪が降るなか、くつくつと笑った。

「ご無沙汰だな、東雲さん。悪いけど、尾行させてもらったよ――水無月くん」

 隣のクラスの男子生徒、推森琢也(たくや)だった。

 合同授業の体育では、小柄だがすばっしこい動きに定評がある。そして、推理クイズ研究会の会長でもある。

「東雲さんは推理研の会員なんだ。勝手にスカウトしないでくれるかな」

「……は?」

 違うんですそれは私の意思で、と莉麻が遮るのを無視して、推森は続ける。

「困るんだよねえ。宇宙科学研究会だか何だか知らないけど、自分以外、女子ばっかり集めてさ。カルトなハーレム作らないでくれるかな」

 作ってない……!

 思いっきり舌打ちする日向にかまわず、推森は顔を近づけてきて、

「ん? その顔はどうした? いや説明しなくていい。推理するから――。

 ちなみに君、カラダにもダメージを受けているね。体勢が傾いているからわかる。左の方が腫れがひどいね。おそらく右利きの人間に、力いっぱい殴られたんだろう。その後、右を殴られ、蹲ったところを袋叩きにされたってところかな。鼻血も出たね。いや、爪の間が血で汚れているから、すぐ分かったよ」

 喋りながら、顔をゆがめる推森。

「しかし――痛々しいね。犯人は、ゴリラ並みの腕力を持つ大男だろう。君も見た目に似合わず無理をする、無謀なケンカはよしたほうがいい」

「……うるさいな」

 不愉快すぎる推測だった。

 肝心なところが間違っているのが、よけいに腹立たしい。日向はそっぽをむいたまま、何か用、と尋ねる。

「実はね――果たし状を持ってきたんだ。聞いたよ、君、推理クイズが好きなんだって?」

「……クイズ?」

 にたぁ、と粘着質な笑みを浮かべて、推理研の会長は不敵にのたまった。


「我ら研究会の推理クイズを見事に解いたら、東雲さんを宇宙研に譲ろう。――だが解けなかったら、彼女を推理研に返してもらおうか」

記念すべき100話目なのに、こんな話になってしまいました…。次回は『V-3 H₂O殺人事件【問題編】』です。(※早乙女は拙作の『投票会場の論理パズル』にも登場してます)

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