C-2 光、人質になる
はたしてこれは現実だろうか――?
光を拘束している目出し帽の人物は、全身黒ずくめの服装で、光より頭一つ分大きい。
「きゃーっ!」
誰かが悲鳴を上げた。
「うわ」
続いて誰かが悲鳴を上げる。混乱と恐怖が猛スピードで伝染していく。DJからマイクを奪った闖入者がすばやく怒鳴った。
『しずかにしろ!!』
精悍な男の声。おびえるDJに向かって、
『このまま全館放送にしろ。店長聞いてるか? 警察に連絡したらその時点で、人質の命はないと思え』
光は身じろぎせずにいる。
武道のたしなみがある彼女だが、包丁を突き付けられては迂闊に動けないのかもしれない。
一瞬だけ目が合うと、わずかに首をふった。来るな、の合図。
椅子から引きずりおろされたDJは、床に四肢をついていた。その背中に黒い物体が押し当てられている。
あれは、まさか、拳銃……?
『今からオレが要求するものをここに持ってこい。〈走り役〉は、そうだな――君がいい』
唯一露出した双眸が真っすぐこちらに向いた。
日向は乾いた喉をならす。
『お前、このお姉ちゃんの彼氏なんだろ?
彼女のために、命をかけた‟お使い”をするんだ。いいな?』
男が軽薄な笑い声をあげる。
日向は顔をしかめた。背中に嫌な汗がつたっていくのがわかった。
『要求するものは一度しか言わないから、よく聞け――〈くりもとのスペシャル・ハッピー・クリスマスケーキ〉』
「……えっ」
日向だけじゃない。
大衆にも戸惑いが走るのがわかった。
人質をとった犯人が要求するものが、ケーキだって……?
『聞いてるのか坊主? わかったなら早く行け! 〈ケーキ屋〉聞いてるな? ガキが行くから、ラッピングして用意しとけよ!』
おずおずと走り出した日向に、『制限時間三分!』と注文が追加された。
おちつけ……おちつけ……落ち着け。
状況を整理している暇はない。KKモールは売り場面積だけで五万平方メートルを超える。日向は、〈くりもと〉の位置さえ分かっていないのだ。
タッチパネルでフロアガイドを呼び出す。
くりもと、くりもと……?
振り向くと、〈パンとお菓子の店・くりもと〉――森っぽい看板がかかげられた店舗があった。センターコートから20メートルも離れていない位置である。
店頭のレジでは、三人がかりでケーキをラッピングしている。
「――あの、ケーキを」
「あ、ああっ!」
コック棒をかぶった女性が呼応した。赤リボンがかかった箱を手渡される。
「五千円(*4)です」
「高っ!」
ちなみに代金を払う必要があったのか、気づいたのはずっと後だった。非常事態で店側もパニクっていたのだろう。
センターコートに駆け戻ると、モーセの十戒のように人混みがわれた。
『おかえり。残り時間が一分も残っているぞ。優秀だな、少年』
男はブーツの脚で扉を蹴って開ける。
日向は隙間からケーキの箱を入れた。光を見上げると、いつもの気丈な目をしている。
おもわず歯噛みした。
スタジオになんか行かせるんじゃなかった。彼女は嫌がっていたのに……百パーセント自分の責任だ。
目出し帽男はキレイに包装された箱を開けもせずに、次の要求を言い放つ。
『じゃあ、次のお使いだ。――〈カフェショップUのクレマン・ド・シャルドネ〉。くくっ、何のことだかわかってない顔だな。シャンパンだってよ。今度の制限時間も三分だ。おらっ急げ!』
ケーキにシャンパン。パーティーでも開くつもりなのか?
理不尽な要求にとまどいながら、日向は再び走りだす。
調べると、〈カフェショップU〉は一階の東端だった。三分で往復するなんて絶対に無理だ。〈くりもと〉と同じ時間で往復しろだなんて、何を考えているのだろう。
息も絶え絶えにたどり着くと、店頭にスーツ姿の男性が立っていた。
「支配人の森田です。この度はご迷惑をおかけして申し訳ない」
日向は声を低めて、
「警察には?」
「連絡しました。今、外で待機している」
「僕は、どうしたらいいんでしょう?」
「このまましばらく要求に従ってほしい、とのことです。本当に申し訳ない」
きっちり七三に分けた頭を下げる。日向は強く頷いて、さらに訊く。
「犯人に心当たりは?」
支配人は重苦しい動作で首をふった。
「……あの、時間が」
「!」
残り時間が一分を切っていた。
シャンパンを受け取って、全力で走り出す。
年始めにバスケ部を辞めてから、ろくに運動していないツケを痛感した。スタミナがない。汗が流れ落ちる。熱い。荷物と一緒にコートも預けてしまえばよかった。
センターコートに戻ると、何ともいえない不穏な雰囲気がただよっていた。
『遅刻だ――彼氏くん』
「ッ」
肝が冷えた。絶望的な形相になった日向に、男が続ける。
『どこかで油を売っていたんじゃねえだろうな? ……まあ、いい。
次は絶対に遅れるな。三つ目のお使いだ――〈MOCOスタイルの天上のブラ・クリスマスVer〉……?』
首をかしげた日向に、男はもごもご呟いて、
『店舗は三階だ。詳しくは店員に聞け』
「エレベーターを使ってもいいですか?」
『ダメだ。階段で行け』
容赦ない。
はあ、はあ、はあ……。疲労と緊張で全身が心臓のように鼓動していた。
三階まで駆け上がると、通路の一角で誰かが手をふっている。〈MOCOSTYLE〉の店員か。事情を察して待ちかまえていてくれたのだろう。
頼もしい、と思っていたら、女性店員が困ったようにたずねてきた。
「じつはぁ、放送を聞き逃してしまってぇ」
「へっ? 天井のブラ、とか言ってましたよ」
「〈天上のブラ〉ですよね。それは分かりますぅ。うちの看板商品ですから。でも、サイズはどうしたらよろしいでしょう」
はて……? サイズ指定までされていたか。思い出せない。
レジの上には、サイズ違いのブラがずらりと並べられていた。クリスマスらしく赤を基調としたカラーだ。
「困りましたねぇ。彼女さんのサイズ(*5)にしましょうか?」
「そんなの知りません! もういいですっこれで!」
一番大きいカップのものを奪って走る。
子連れの母親にぶつかりそうになって、「ぎゃっ!」と悲鳴を上げられた。そういえば、今回は制限時間を設けられていなかった。日向はスピードをゆるめる。
通りすぎた宝石店では、カップルたちが深刻そうな視線を送ってきた。怖いもの見たさで騒動に注目しているのかもしれない。
『ぶわっはっは!』
ブラを手に戻ると、目出し帽の男に爆笑された。光は目を合わせてくれなかった。
どうして自分がこんなめに……。
日向は泣きたくなった。職場をジャックされたDJは、戦意喪失状態で床にぐったり倒れている。
『よくやったな。それお前にやる。あとで彼女にプレゼントしな。次だ』
また? 一体いつまで続くのか――?
膝に手をついた日向が見上げると、
『さすがに疲れてきたか。若いんだから頑張れよ。そうだな、次で終わりにしよう――〈ブルガリナ・クリスマス限定ペアウォッチ〉……いやそれは却下。〈FDCマートオリジナル・冬ブーツ〉』
「時計じゃなくてブーツ? それを持ってきたら、彼女を開放してくれますか?」
『さっさと行け』
「……」
人質を無事に解放するのか――。
男は答えをはぐらかした。保証もなしに、ただ走らされるのがもどかしい。
FDCマートなら知っている。先月、そこで冬靴を買ったばかりだからだ。目的の靴屋は二階。
日向が階段を駆けあがろうとしたところで、
「っ!?」
背後から何者かに肩をつかまれた。
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*4 8号サイズと思われる。(直径約25センチ、6~8人用)
*5 光のサイズはC65。(以前、活動報告でちらっと公開しましたが、覚えてるかたいますか?)




