10-7 日向、首斬りをする
六時間目の予鈴が鳴っている。
逃げるように去っていった衣田乃々。その後ろ姿を見送りながら、ショックを受けたようにカナがつぶやく。
「乃々が、あんなことするなんて」
日向は首の後ろに手をやる。
「手芸部か演劇部に恨みでもあるのかな?」
「『お姉ちゃんは関係ない』って言ってたけど……」
カナはいまだに信じられないという表情をしている。
だが、『チョッキーを持ち去ったのは、私です』――とたった今、彼女は告白したのだ。そのことは否定の仕様もない。
「あ……」
背後でかさりと音がした。足元にポスターが落ちている。『三食バランスよく食べよう』。家庭科室の掲示板に貼られていたものだ。
四隅のテープを貼り直していたカナが、ふと動きを止める。
「変なこと、思い出しちゃった」
「うん?」
「昨日、家に送ってもらって降りるとき、乃々がトランクから箱を出してくれたのね」
「カナさんのサツマイモが入った方の?」
「うん。後から気づいたんだけど」
カナはセミロングの髪を撫でつけながら、
「箱の蓋を閉じていたガムテープが剥がれてたの。梱包してくれた直後は、封がしてあったんだけど」
「――それ本当? 中身が変わっていたりは?」
「最初に分けた通りよ。サツマイモが八本」
人が変わったように食いついてきた日向に、カナは気軽に答える。
「日向くん?」
授業始まるよ、と呼びかけられたが、それどころじゃなかった。
今まで見聞きした情報が、頭の中で、めまぐるしく旋回している。授業はじまるよっ、とカナに背中を押されたり、すねを蹴られた気がするが、身動きひとつできなかった。
*
「ん……やっぱり熱っぽいかも」
「でしょ? いつにも増して普通じゃないもん。白目むいてたし」
遠くに聞こえていた声が、ぐっと近くなった感覚。
「――日向?」
目の前に雷宮光の顔があった。額をぴたりとくっ付けられている。
「っ!? はぅわあああっ!」
日向は椅子ごと後ろにひっくり返った。
「な、な、なに、なんですかいきなり」
ドギマギしている日向を、やっと現実に戻ってきた、と野巻アカネが面白げにコメントした。光に手を引かれて、作業台の椅子に座り直す。
ここは――家庭科準備室か。
「家庭科室の前に座り込んでたんだよ、石像みたいに。殴っても蹴っても動かないって、カナちゃんが。アタシと光に抱えられたの覚えてない?」
「……覚えてません」
「すごいね。人間ってこんなに集中できるものなんだ」
アカネは純粋に感動したようだ。
「その集中力を勉学に向けられたらな」
と、お決まりの皮肉をぶつけられ、光に頬を撫でられる。
「だいじょうぶ? 少し熱っぽいみたいだけど」
冷たい手が心地よくて気持ち良い。
「さすが恋人同士だわよね。額コツンで熱を測るなんてラブいわ~。ああ、ドキドキした」
「別に。この方法が一番分かりやすいし、道場の門弟たちにもやってるぞ」
「男女関係なく?」
「苦手な奴じゃなければ」
「止めたほうがいいって。光はそういうところが無防備なんだよ。ねえ、水無月くん?」
同意を求められたが、日向の興味は、作業台に並べられたものに引かれていた。
「チョッキーの代わりよ。家の物置をひっくり返して、探してきたの」
お下げの女の子や、指をしゃぶった赤ちゃん等々、眺めているだけで賑やかな会話が聞こえてきそうだ。
「新品で探した方が手っ取り早いんじゃないか」
「駄目よ。チョッキーは、“遊び飽きた子供に捨てられた人形”って設定だからさ。使い古した感がないと。光は家にないの? お人形」
「私は人形より、動物派だから」
「中学生までクマちゃん抱いて寝てたもんね。かわい」
「悪いか」
アカネが、ふぅと悩まし気な息を吐く。
「乃維ちゃんもね、最後まで力になりたいって、人形を探してくれてるんだ。――水無月君はどれが良いと思う?」
「う~ん……それぞれ印象が違いますね」
「素材が違うからね。これは布製だけど」
アカネはお下げの人形を片腕に抱いて、「こっちのは塩ビ製だし」と赤ちゃん人形も一緒に抱く。
お下げの人形を、はい、と手渡された。
綿がぎっちり詰められているのか、見た目の印象より、固くてしっかりした感触だ。
「その子はアンジェリーナだよ。気に入った……水無月くん?」
アカネの問いかけを無視して、日向は家庭科室の方へ消える。
一分もたたずに戻ってくると、その手には包丁が握られていた。銃刀法違反である。
「ちょっ、なにする気……?」
慌ててアカネが呼び止める。
「大丈夫です」
言葉とは裏腹に、ぬらりと包丁を振り上げると、『アンジェリーナ』の首を斬りにかかった。
「うぎゃあああーっ!! 何してくれとんじゃワレっ!」
「ふぅ、ダメだ」
どこか催眠術めいた動作を中断して日向がぼやく。
「これ、すっげえ斬りにくいですね」
「――そりゃそうだ。料理用包丁なんだから。塩ビ製のなら、まだマシかな」
違う人形に視線をやった光に、アカネが叫ぶ。
「これ以上は許さないよっ! 水無月君って、そんな過激派だっけ!?」
首を切断し終えた日向は、切り口を注視していた。
布がほつれて綿がはみ出している。
作業台の隅で、人形用のベッドに寝かされたチョッキーの胴体――その切り口に一致する。
「野巻先輩」
「な、なによ。実は僕が犯人でした、とか言い出すんじゃないでしょうね?」
「首斬りされたチョッキーを見つけたとき、人形をベッドに寝かせていましたね。そのとき、妙なことを言ってませんでしたか」
『ベッドに収まるようになっちゃって。痛々しいわね、チョッキー』
「……ああ、うん」アカネは眼鏡の赤フレームを触りながら頷く。「試作段階で寝かせたときは、足先が数センチはみ出していたのよ。チョッキー用に作ったベッドじゃないから仕方がないんだけど。それが収まるようになっていたから」
「収まるようになったら駄目なんじゃないですか?」
「は?」
だって、と日向は切り離したアンジェリーナの頭部と胴体をピタリと合わせる。
「――ほら。人形の身長が縮まったわけじゃないでしょ」
綿がはみ出した分、むしろ縦長になったようにさえ感じる。
「ベッドから足がはみ出ていたチョッキーが、首斬りされた後、収まるようになったというのは変ですよね」
「た、たしかに……」
慄然として、アカネが呟く。
「でも、どういうこと……? なんでそうなっちゃったのかしら」
日向は人形の胴体をじっくりと観察する。
「首の他に、傷つけられた箇所はなさそうです」
「うん。頭の方も無事だったと思うけど」
「――だとしたら、可能性はこれしかない。
人形の首は、少なくとも二か所切断されたんです。そして、切り取った一部を持ち去られた」
「マジで!? やけに縮んだような気がしたけど、実際に短くなっていたなんて……」
「そうでないと、チョッキーの身長が低くなっていたことに説明がつきませんから。周辺に布や綿は落ちていなかったので、首の一部は持ち去られたんだと」
「持ち去った? 何のために?」
アカネがしきりに首をひねる。
「わかりません……けど」
日向は静かにかぶりを振った後、ついと顔を上げる。
「手芸部って、衣田先輩と縫野さん二人だけですか」
「そうそう。今年から縫野ちゃん一人になっちゃうからピンチよね。我が演劇部も総勢五名だけど」
「野巻が抜けたら四人だろう」
手持ち無沙汰だったのか、糸くずを片づけていた光がツッコむ。
「――じゃあ、昨日、チョッキーを発見した現場には、演劇部と手芸部の全員が集合していたんですね」
「昨日はチョッキーの完成お披露目会だったのよ。アタシと乃維ちゃんはゲスト扱いで、準備が整った段階で、部員が呼びに来てくれたんだけど」
そこでアカネは、いかにも演劇っぽく大げさに悶えた。
「すっごく良い出来だったのに! 高校最後の製作だからって、乃維ちゃんが張り切ってね。イギリスから輸入したアイボタン(ぬいぐるみ用の目)を使ってくれたのよ!」
「そんな貴重なものを使ってたのか。あの人形に」
もったいない、と光が小さくつぶやく。
「頭さえ無事なら修復できたのに。――はっ、まさか!」
興奮したようにアカネがまくしたてる。
「貴重なボタン目当てで、誰かが泥棒したんじゃ!?」
「だとしたら、犯人は相当な手芸マニアだな」
光が冷めた声で言う。
頭部を持ち去った犯人は、衣田乃々である。
秘密にして、と懇願されたばかりなので、この場で明かすのはさすがに躊躇われた。
いや、正確には、『明日まで秘密にして』と頼まれたのだ。
何故、明日までなのか。明日になったら何があるのだろう――?
「おい、また白目をむきかけているぞ」
目の前で手をひらひらされる。日向は光の手をつかんで、
「園芸部は?」
「……え?」
「園芸部も、部員二人だけですか」
光は目を大きくして瞬かせる。
「園芸部の元部長って、A組の恵庭だろ。二年生が一人しかいないってぼやいてたのを聞いたことあるけど」
「やっぱりそうですか。……天文部は四人だし」
「天文部といえば、今、演劇部の後輩たちと揉めてるのよね」
アカネは細い眉を寄せて唇を尖らす。
「揉め事か?」
「ビデオカメラ争奪戦よ! 明日の本番と今日。舞台を撮影するために、演劇部が貸出予約をしていたんだけど。昨日になって、天文部が割り込みで借りて、まだ返却しないんだって。後輩から怒りのメール送られてきたもの」
ビデオ――天文部の撮影で、天野川が持っていたハンディカムのことか。
「ビデオって台数少ないんですか?」
「放送部の備品が、カメラ四台とビデオ二台のみだから。前々から予約しておかないと、本当は借りれないんだからねっ! 天文部め~!」
「ご、ごめんなさい……」
叱られてしまった。天文部じゃないのに。
スマホのメール画面を開いていたアカネが、憤然と立ち上がる。
「ええいじれったい! アタシが直接、ビデオの交渉をしてくる!」
「野巻、だから、あまりしゃしゃり出るなと言ってるだろう」
「非常事態だからしょうがないじゃない!!」
ドタバタという形容がぴったりな階段を下っていく足音。それが遠ざかるなり、光が話しかけてくる。
「――あのさ、日向」
「はい?」
「話があるんだけど」
彼女にしてはめずらしく歯切れが悪い。
「もし、東京の大学の試験に受かっていたら、わたし……」
「え」
猫のような双眸が彷徨い揺れている。
背景には窓を通じて、雪がまばらに残る中庭が広がっている。中庭が……
「――ちょっと、すみません」
すっくと日向が立ち上がった。
「空野くんを探しにいかなきゃ。あと放送部にも」
「日向?………おい!」
呼び止めたときには遅かった。
家庭科準備室を飛び出した日向は、振りむきざまに伝言する。
「野巻先輩が帰ってきたら伝えておいてください! チョッキーは、きっと無事に戻ってくるからって!」




