10-6 謎でもなんでもない
「よくわかんないけどさぁ」
組んだ手を後頭部にまわして楓がぼやく。
周りの生徒たちがぼちぼち『この人誰?』という視線を、学ランの彼に向けはじめている。
「家庭科準備室に秘密の抜け穴とかあるんじゃねえの? 隠し扉とかさ」
「ないと思うよ」
日向は笑って答える。あったら面白いと思うが。
「ねえ、鍵の貸出簿は?」
現実主義のカナは、あくまでも現実的に突き進む。
「日向くん、確認してきたんでしょ。今日、家庭科室の鍵を借りた生徒はいなかったわけ?」
「一年D組宮西カナ。以上」
「入ったの私だけかぁ」
「そうとは限らないけどね。教員だったら、貸出簿をスルーして自由に鍵を使える」
「あー。でも、黒志山高の先生はそんなことしないよ。動機もなさそうだし」
黒志山高の部活動は顧問が置かれているものの、基本的には生徒主体で、教職員の関わりが総じて薄い。現段階では除外しておくか。
「じゃあ、授業中は? 家庭科室で授業があったクラス、一組くらいはあるでしょう」
日向は目を丸くする。
「そこまで調べてないけど。誰かが授業中に盗ったって、カナさんは考えてるの?」
「不可能ではないでしょ」
「や、難しいんじゃねえの?」
楓があやしげな手つきで、球を形どっている。
「チョッキーの頭、バレーボールくらいの大きさじゃん。授業中にそんなもの持ってたら、目立って仕方がないだろう」
「鞄に隠せばいいじゃない」
「同じだよ。家庭科の授業に持ち込むのって、教科書と筆記用具と、あとエプロンとか? せいぜいそんなもんだ。チョッキーの頭が入るようなデカい鞄を持ってたら、目立つことに変わりないって」
正論である。楓に圧倒されたのがショックだったのか、カナは深くうなだれた。
鞄――か。日向は、縫野が持っていたスポーツバッグがどうしても頭から離れない。童女のような容姿に不似合いな、ごつい品物だった。彼女はあれを日常的に持ち歩いているのだろうか。
「カナさん。昨日あの後、手芸部はどうだった?」
「昨日? 手芸部?」
昨日と今日。話が行ったり来たりしているせいか、カナは混乱ぎみだ。
「首切りされたチョッキーを見つけた後のこと? 二人ともすぐ帰っちゃったよ。カメリアのセールがあるからって」
「カメリア?」
「手芸用品を扱う専門店。会員限定の特別セールだから、どうしても外せないとかで」
そういえば、アカネも同じことを言っていた気がする。チョッキーの修復作業は一時間もかからない、とも。思索にふけっていると、カナに顔をのぞき込まれていた。
「日向くんの考えてること当てようか――? 今日じゃなければ昨日。縫野先輩が帰るとき、チョッキーの頭を盗んだって、そう疑ってるんでしょ?」
無言のまま見つめ返すと、だったら違うからね、と早々に却下される。
「だって、手芸部の二人が帰った後、見たもの」
「え……?」
「扉のガラス窓からだけどね。在ったよ、頭。あんな事件の後だから気になって、何度か覗いてみたの。ベッドに寝かされたチョッキーの姿を確認したけど、“無事”だったよ」
すでに首を切断されているから、無事とは表現し難いが。日向は、むぅ、と唸る。
「いったん帰った後、どちらかが単独で戻ってきたりは?」
「昨日は閉門時間ギリギリまで家庭科室にいたけど――あ、調理実習の片付けでね。でも、そんなことは無かったよ。最後に戸締りしたの私だし」
「じゃあ、そのときは? 家庭科室を出るとき頭は在った?」
「……ちょっと待ってよ」
にわかにカナが声を荒げる。
「手芸部が帰った後、家庭科室に残っていたのは料理部だけど。まさか、私たちの中に犯人がいるって言いたいわけ?」
「可能性として検討してるだけだ」
つらっと答えた日向に、カナは激昂して机を叩く。
「ほんっと昔から変わらないよね、そういうところ! 好奇心旺盛なのは良いけど、それが人を不愉快にさせるって考えたことないの!? フォローするのに私がどれほど苦労したか!」
勢いよく怒りを振りまいた後、燃え尽きた線香花火みたいに、かくりと首を落とす。
「……忠告しても無駄だってわかってる。そんな自分にも腹が立つのよ……」
「まあまあ」
楓は、日向を憐れむように一瞥して、
「水無月くんが無神経な変人であることは置いといて。料理部にも犯行は無理だったと思うぜ」
隠し玉でもあるのだろうか、くりっとした瞳を輝かせて、得意げに語り出す。
「――さっきも言ったろ? “運搬”の問題だよ。人目を忍んでチョッキーの頭を手に取ることが出来たとしても、だ。それをどう持ち去ればいい? 現物のままってわけにはいかないし、鞄か何かに入れたとしても『何それ?』って不審がられるのがオチだ」
「……そうか。そうよね」
自身を納得させるようにカナが頷く。
「な? 周りに不自然に思われないよう、チョッキーの頭を持ち去るなんて不可能なんだよ」
ここにきて、意外な名探偵ぶりを発揮した楓。ところが、彼の華々しいデビューはすぐに終わりがくるのである。
「あっ!」
悲鳴に近い声を上げたのは、カナだ。
「……アレを使ったのかも」
「なんだよ、アレって?」
楓と日向をちらと見て、気まずそうに押し黙る。うっかり口に出してしまったことを、後悔している顔だった。
「カナさん」
そんな彼女に、なるべく穏やかに日向は切り出す。
「昨日の夜、うちにサツマイモをおすそ分けしてくれたね」彼らの家は隣同士である。
「……実習で余ったから。友達と分け合いっこして持ち帰ったの。それでも結構な量があったから」
「スイートポテトも美味しかったよ。ありがとう」
「どういたしまして」
なんだよこの会話、と楓は幼馴染の男女を遠巻きに眺める。
「そのサツマイモなんだけど。学校から家までどうやって持ち帰ったの?」
「どうって」
「いや、ダンボール箱とか使ったんじゃないか、と思って」
昨日、カナたちが運んでいたサツマイモの〈ダンボール箱〉。
あれなら申し分ない大きさだし、料理部内で持ち歩いても不自然じゃない。カナは犯人ではないだろう。だとしたら……
「分け合いっこした友達って誰?」
ずばり急所を突かれたカナは、観念したように目を閉じる。やがて、ため息交じりに口を開いた。
「――乃々。衣田乃々よ」
*
「だーれだ?」
こんな児戯をするのは誰だ。目を覆う手を払って振り返ると、予想通りの人物がいた。
晴川碧が屈託のない笑みを浮かべて立っている。
「こんなところで何してるの? 次の授業、家庭科?」
六時間目の前の休み時間。家庭科室近くの階段脇である。
「違うけど……ちょっと用があって」
曖昧に返すと、碧はチョコレート色の瞳をぱちくりさせたが、すぐ笑顔に戻る。
「ねー、ノマちゃんから聞いたよ。光さんとヒナちゃんって付き合ってるんでしょ?」
いいないいな、と腕を取られる。
「保健室で抱きついたとき、光さん良い匂いしたなぁ。機会があればもう一度お近づきに……あっ、嘘うそ!」
ひと睨みすると背中を叩かれた。めちゃくちゃ力強い。日向はゲホゲホと咳込む。
「そういや、『ブラックホール化事件』はどうなったの? もう解決した?」
「ブラックホール……?」
「やだな忘れたの。天文部と園芸部がバトってたじゃん、昨日。白が黒になったっていう」
「ああ」
そんなこともあったな、と日向は思い出す。
天文部が部室から中庭に向かう数分間で、花壇に敷き詰めていた白砂利が、一面黒砂利に変わっていたのである。しかも、その黒砂利は園芸部の所有物で、これが事を複雑にした。
「まあ、あんなの謎でも何でもないけどね」
スカートのひだを気にしながら、あっけらかんと碧が言う。
「|片づけるより散らかすほうが簡単――そういうことでしょ?」
「……」
「たぶん実行犯はあの人だと思うけど。動機はさっぱりだね。むしろ彼らのキャラの濃さの方が興味深かったりして」
くふふ、と口元を隠して笑う。日向は鼻を啜る。
動機――。今まで真剣に考えてこなかったが、チョッキーの事件でも、動機は全く謎である。卒業式直前の学園でいったい何が起こっているのだろう。
「あっ、楓くんが来る! 逃げなきゃ」
誰かが階段を上がってくる気配に、ひゃあ、と碧が嬌声を上げた。
「なんで逃げるの? 空野くん、碧ちゃんのこと探してたよ」
「プレイの一環だからね、青春イチャイチャ鬼ごっこ。じゃね!」
ウサギのように跳ねながら廊下を走り去っていく。
日向は不愉快になる。この人たちは、他人の学校で何をしているんだろう……?
碧の予想に反して、現れたのは楓じゃなかった。
宮西カナと、もう一方は見覚えのある少女。面長で鼻筋の通った、整った顔立ち。姉に似て、どこか大人びた雰囲気を放っている。衣田乃々はあからさまに警戒した様子だった。
「いきなり呼び出してごめんね」
まずカナが謝ったので、つられて日向も頭を下げる。なぜここで待ち合わせたかといえば、他人に話の内容を聞かれたくないのが一つ目、あわよくば現場を確認したいという日向の願望が二つ目。
「あの、昨日はありがとう。家まで送ってくれて」
カナは乃々にお礼をいって、次に日向に、
「乃々のお母さんが車で学校に迎えに来てくれたの。呼び出してごめんね、乃々。確認したいことがあって――後片付けのとき、余ったサツマイモを私と山分けしたよね? 乃々がダンボールに詰めてくれて……えと、そのときのことなんだけど」
「もういいよ。分かってるんでしょ」
落ち着かない空気がぴんと張り詰める。切れ長の目を床に落としたまま、乃々は続ける。
「チョッキーを持ち去ったのは、私です」
何もかも諦めたような表情だった。カナが顔を歪ませる。
「嘘でしょ……なんで?」
乃々は答えない。だんまりだった日向が口を挟む。
「それは自分の意思でやったこと?」
乃々の顔色が変わる。小麦に近い肌色が紅潮したのがはっきり見て取れた。
「衣田先輩……お姉さんに命令されたわけでは?」
手芸部と料理部の接点。その最たるものが、彼女たち姉妹である。
「お姉ちゃんは、関係ない」
重い沈黙があって、やがて絞り出すようにそう言った。途端、気丈だった表情が緩み、すがるような眼を向けてくる。
「ごめんなさい。まだ理由は言えないけど……私がやったこと、秘密にしておいて欲しいの。明日まででいいから……お願いします!」
ひたすら懇願してくる乃々に、日向とカナは困惑して顔を見合わせた。




