10-4 イチャイチャお手製弁当と消失
「あーん」
だし巻き卵が攻めてくる。
「あーん」
肉巻きゴボウも攻めてくる。
「あーん!」
唐揚げも。三連コンボだ。美味しいとコメントする暇さえ与えてくれない。
彼女が手作り弁当を食べさせてくれる! なんて甘いシチュエーション! のハズが……。かんじんの光が不機嫌極まりないので、甘い気分にひたれそうにない。
「妬けるなあ」
そしてここは保健室である。
養護教諭の田雲政宗が、にこやかにからかってくる。
「僕もいただいていい?」
ひょい、と重箱の巻き寿司をつまんで、
「うん美味しい。光ちゃん、料理が上手くなったね」
「元は下手だったみたいな言い方をするな」
「でも、これはおばさんに手伝ってもらったでしょ?」
「…………」
図星だったのか、光はぷいっと横を向く。
卒業式一日前。
なんと光が手作り弁当を持ってきてくれた。巻き寿司やらサンドイッチの一段に、肉じゃがと揚げ物が揃った一段、サラダやフルーツが色鮮やかに詰められた一段……と豪華な三段重箱で、どう見ても、お母さんが早起きして作った運動会の日の弁当である。
感動したやら怖気づいたやらで、『僕だけじゃもったいないから、皆で食べましょう』と言ってしまったのが運の尽き。光はすっかりおかんむりだ。
「ほらっ、あーん!」
眉間に皺を寄せたまま、おにぎりを押し付けてくる。おにぎりくらい自分で食べたい……。
日向が困った顔をすると、光は照れくさそうに口をとがらせた。
「恋人同士が手作り弁当を食べるときは、『あーん』しなきゃいけないんだろ? そういう決まりがあるって聞いたから」
誰が言ったんだそんなの、と思っていたら、エビフライを頬張っている野巻アカネが意味ありげにウインクしてきた。
「ふぅ。お腹いっぱい、ごちそうさまー。碧ちゃんはそれで足りるの?」
アカネが、ツナサンドイッチをちまちま食べる晴川碧をこづく。碧は田雲をうっとり眺めている。
「んー。先生は『イケメン鬼畜眼鏡攻め』ですよね」
ちなみに本日も女子制服姿なので、外見は美少女にしか見えない。
「ちょっと碧ちゃん……」
さすがにアカネがたしなめ、碧は、はっとした顔になって、
「ごめんなさい! 『理系変態ドS攻め』の方がよかったですか」
「僕、理系ってわけじゃないから。最初ので」
「って、受け入れちゃうの先生!?」
「ヒナちゃんは『純情健気受け』ね。よし、次の創作ネタは“保健室で××”にしよ」
わざわざ立ち上がって日向の背後に回ると、グヘヘと不気味な笑いをくれる。背筋を震わせた日向に、アカネが解説した。
「教えてなかったっけか。碧ちゃんはね、“男の娘+腐女子”っていう禁断のレアキャラなのよ!」
「女子じゃないだろう、女子じゃ」
「そうだけども。あ、光と碧ちゃんが並ぶと百合っぽい」
調子にのって、お姉さまっ、と碧が光に抱きつく。一拍遅れて、日向がそれを引きはがす。
「とうとう明日は卒業式か。早いね」
雪がまだらに残る中庭を眺めて、田雲がしみじみと呟く。
「三年間あっという間だったわ。こうして保健室でたむろするのも最後かと思うと寂しい」
泣き真似をしたアカネは未練たらしく田雲を見て、
「ときどき遊びに来るからね、先生」
「待っているよ」
「あっ、でもでも! 卒業したら生徒と先生の関係じゃないのよね。堂々とデートができるじゃん! グヘヘ」
碧とまったく同じ笑い方をした。
「ところで、むぐ……“チョッキー”はどうなったんですか?」
あーんされた肉じゃがを飲み下して、日向がアカネに聞く。
昨日の放課後、首切りという残忍な手口に遭った人形のことだ。食事中の話題に出すのもどうかと思うが。
「チョッキーなら、今日中に直してくれるって乃維ちゃんが約束してくれたよ。昨日は縫野ちゃんと手芸店の限定セール行くから、すぐに作業できなくてごめんねって謝られたけど」
のいちゃん。ハスキー声の先輩のことか。対照的に、座敷童っぽかったのが後輩の縫野だ。
「直すのに1時間もかからないって言ってましたもんね」
「どうなることかと思ったけど良かったわ。アタシ裁縫とかサッパリだからさあ」
「野巻。まだ部活に顔を出しているのか」
猫のような瞳をぎらつかせて、光が忠告する。
「いい加減にしろよ。引退した三年生がいつまでも出しゃばるのは良くない」
ここに来る途中、女子剣道部の部員たちに「部活に顔出ししてくださいよ」とせがまれていた光の姿を思い出す。そのときも同じことを言って、やんわり断っていた。
「だぁって、後輩たちのこと可愛いし心配だし。サポートしてあげたいじゃん」
「そういう時期はもうとっくに過ぎてるんだよ。あのな」
ふいに聞き慣れた着信音が響く。日向のケータイだ。画面を見て、ため息を吐く。
「……まただ」
「どうした?」
「知らないアドレスから、変なメールが届くんです。昨日から」
『件名:!再警告!
本文:警告にかかわらず、お前はオレを裏切った。やはり地獄へ落ちろ! 悪魔人形より』
「なんだこれ」光が顔をしかめる。
「気持ち悪いな。警察に相談した方がいい」
「でも、メールが送られてくるだけなので……」
「だけど悪質だよね、文面が。全く、どこのどいつがこんなことを」
そのとき、保健室の窓がコツコツと叩かれた。ひっ、とアカネが悲鳴を漏らす。
黒コートにフードを被った人物が、窓ガラスに顔と掌を密着させ、こちらを覗き込んでいた!!
田雲がクレセント錠をはずすと、待ちかねていたように窓が開き、身軽な動きで入ってくる。
「よう」
はらりとコートを脱ぐ。
学ラン姿の小柄な少年、空野楓が、彼特有の人なつこい笑顔を浮かべていた。
「そ、空野くん!?」
「あ~楓くんか。そんなホラーっぽく登場しなくても」
「お前、学校は?」
光が真っ先にたずねる。
彼は黒志山高校の生徒ではない。兄弟校の白志山高校の生徒なのである。
「うちは今日、午前授業なんすよ。師範代、ご無沙汰してます。相変わらずおきれいで……」
くりくりした瞳を巡らせて、碧を発見すると、健康的な顔色がぽっと赤くなる。
「は、はじめまして……空野楓です」
「ノマちゃんから聞いてますよ。こんにちは、楓くん」
碧に微笑みかけられた楓は、とろけそうな表情をしている。恋する少年の瞳だ。
正月の集まりで、碧の写真を見て、即ひとめ惚れした楓だったが、ちょっとした手違いで“真実”を知らないままでいる。この様子だと、まだ真実は告げられていないのだろう。
「水無月くん、ちょいツラ貸せや」
「え?」
突然ガラが悪くなった楓に、衝立の向こうへ連行される。
「――見たぞ昨日。中庭でイチャイチャしているとこ。なんでオレより先に、碧ちゃんと仲良くしてるんだよ?」
昨日? 中庭? 天文部の撮影のことだろうか。
「それは、まあ、色々あって。空野くん、昨日も黒志山高に来てたの?」
「先週から毎日のように通ってるぞ」
「へえ。どうして?」
「卒業ライブの公演に出てもらうためよ! 主役でねっ」
密談を交わす男子らに、アカネが強引に入り込んでくる。楓は、童顔を邪悪にゆがませて、妙な声色を出した。
「『お前を呪い殺してやるぞーッ。ヒヒヒッ』」
たっぷりの沈黙の後、日向は目を細くして、
「チョッキー?」
「声優よ。なんたって呪われた悪魔人形だからさ、うちの演劇部は女子しか居ないんだけど、声の迫力がイマイチでね。楓くんに客演をお願いしたってわけ」
役者志望の少年が胸を張る。
「声だけじゃなく、生出演もするぞ。道端に捨てられたチョッキーにからむ酔っぱらいの役。おっと、これ以上はネタバレか」
おそらく最初に呪い殺される役に違いない。
「――もしかして」
日向は思い付きを口に出す。
「悪魔人形ってメール、空野くんが?」
楓は真顔に戻ると、さも当然、といった様子で頷いた。
「お前なぁ、オレの気持ちを知ってるくせに、碧ちゃんに手を出すとか無いだろう! 師範代という彼女が居るくせに許せん男だな!! ……へっ? メルアド変えたの連絡してなかったっけ?」
あまりの脱力感に、日向は膝から崩れ落ちそうになる。
「だったら、声かけてくれればよかったのに」
「馬鹿やろう。碧ちゃんがあまりに可愛すぎて、ビビって近寄れなかったんだよ」
「あそう」
それでも今日は覚悟を決めてきたらしい。楓はぎくしゃくした動きで、碧に近づいていく。
「あの、オレ、君のこと」
「とりあえず座って。お弁当でも食べたら? ほら、あーん」
碧は食べかけのサンドイッチを、楓の口に放り込む。
「おいし?」
「……お、美味しいですっ」
日向は目を覆いたくなる。君が想いを寄せる“美少女”は、男ですよ――なんて到底伝えられない状況だ。
「ったく、人が作った弁当でイチャつくなよ」
光がぼやいたところで、「あいよ」とアカネが電話に出る。
間もなく、午後授業の予鈴が鳴る時間だ。テーブルを片す田雲を手伝っていると、
「マジで!? ちょっ、落ち着いて」
アカネが急に声を荒げた。
手でスマホを包むと顔を上げて、カナちゃん、と日向に告げる。
「今、縫野ちゃんと部室に入ったら、チョッキーの……人形の頭が無くなっているって」
「はあ!?」
楓がすっとんきょうな声を上げる。
「とりあえず、アタシ、行ってくるから!」
「僕も行きます」
保健室を飛び出したアカネに日向が続いた。
黒志山高校の校舎は、保健室や職員室がある管理棟を中心に、普通教室棟と特別教室棟が中庭を挟んでコの字に配置されている。
息を切らすアカネとともに、特別棟の階段を駆け上がる。
家庭科室は開け放たれていた。準備室に続く扉の前で、カナが、たよりなげに立ち尽くしている。
「カナちゃん!」
「……あ」
アカネと日向を見ると、少しだけ表情を緩ませる。日向が準備室を覗くと、縫野の後姿が見えた。
たいして広くない家庭科準備室は、中央に在る作業机がスペースの多くを支配している。机上には、人形用のベッドが置かれている。演劇部の小道具だ。
日向の記憶では、そこに、チョッキーの全身が横たわっている。筈だった。
しかし今、存在しているのは、黒いオーバーオールを纏った胴体のみで、頭部は忽然と消え去っていたのである。
「何……なんなのよ……?」
呆然としている縫野の細い肩から、スポーツバッグが音もなく床に落ちた。




