10-2 悪魔参上でもたらされたこと
「ぎゃああああっ、チョッキーーっ!」
もともと発声が良い人の悲鳴、というものは、すさまじい迫力がある。
演劇部の元部長・野巻アカネは、両手で頭を抱えていた。トレードマークの赤フレーム眼鏡が少し曲がっている。
「野巻。どうしたの」
ハスキーな声の女子が、調理台に近づいてくる。声の印象に違わず、外見も大人っぽくて背が高い。はっと息をのんで、
「……なにこれ」
外国の少年っぽい型の人形を、茫然と見下ろしている。
身長は50センチ程か、ただ、その首から上と下は切り離されており、断面からは手芸用の綿がはみ出ている。無理に引き裂かれたのだろう、切り口の布がほつれて、ひどい有様だ。
ハスキー声の彼女が、腹に突き刺さった《包丁》に手をかけた途端、すごい勢いで誰かが駆け寄ってきた。
「うわっ、酷い!!」
ボブというよりは、オカッパという形容が似合う髪に小柄な体。童女のような見た目の女子が、包丁を抜いて、胴体を抱き上げる。
「誰がこんなこと……っ」
「――乃々」
大人っぽい外見の女子がきっと振り向く。
「あなたたち、家庭科室にずっと居たんじゃないの?」
いつのまにやら、家庭科室には結構な人数が集まっていた。アカネのほか、演劇部員たちも揃っている。
「調理の材料を取りに行く間、空けていたけど……」
こわごわと応じたのはカナの隣にいる料理部員だ。皆の視線を受け、怯えたようにカナと頷きあっている。
「でも、空けていたの5分位だと思います。鍵を閉めていかなかったのは、良くなかったかもしれないけど」
「開けっ放しにしておいたの?」
即座に噛みついたのは、人形を抱いたオカッパの女子だ。
「それじゃあ、手芸部の部室にも侵入できたってことじゃない! 鍵の管理は料理部に任せてるんだから、しっかりしてよ! 準備室の扉、当分は修理してくれないみたいだし」
「……すみません」
カナたちがシュンとなって俯く。
準備室というのは、家庭科準備室のことで、〈手芸部〉の部室でもある。そして、〈料理部〉の活動場所は家庭科室だ。
今のやりとりで、日向が事情を察することが出来たのは、日直の雑用で準備室に入ったからだ。
老朽化した準備室の鍵を開けるには、ちょっとしたコツがいるのだが、先月赴任してきた教育実習生が無理に鍵を差し込み力技で回したせいで、扉が開かなくなってしまったという。
それでも、家庭科準備室が“開かずの間”にならないのは、家庭科室から続きの扉が在るからで。つまり現在のところ、家庭科準備室の〈施錠〉は家庭科室のそれに依存している状況なのである。
「野巻先輩」
アカネに近づき、こっそり耳打ちする。
「水無月くん、なんでここに?」
「すみません教えてください。何ですか、あの人形は」
ショックから立ち直れていないのか、アカネはうつろな口調で答える。
「〈卒業ライブ〉の公演で使う人形よ、『チョッキー』っていうの」
「卒業ライブ……」
黒志山高校で、卒業式後に有志で催されるイベントだ。演劇部や軽音部の公演、はたまた教師陣によるカラオケ大会――と種々多用なステージが、夜遅くまで延々と続けられるらしい。
「『悪魔人形とランデブー&ラプソディー』っていう劇でね。イメージに合う人形が見つからなくて、手芸部に作成お願いしたんだけど」
「それ卒業式の日に演ったらダメなやつじゃないですか?」
「失礼ね。ラストには、呪い殺された人々が生き返ってチョッキーとダンスするっていう、ハートフルな物語なんだから……誰なの、あんな酷いことしたの」
ぐすっと鼻を鳴らして、涙目のまま家庭科室を出ていく。
「あ~あ」演劇部員のひとりが呟いた。
「手芸部に頼まなきゃよかった。あの程度だったら、演劇部にも作れる人間がいたのに」
演劇をやっている人が皆そうなのかは分からないが、“独り言”は必要以上に響いた。
「――てかさ、これやったの演劇部じゃないの?」
オカッパの女子が、黒目がちな瞳で演劇部員たちをねめつける。
「私と衣田先輩が作業してるところを見に来て、『不気味すぎる』とか『きもい』とかクレーム入れてたじゃん。あれ、すっごい感じ悪かったんだけど」
「わたしたちがやったっていうの? ふざけんな!!」
「縫野!」
「あんたたちも止めなさいって!」
一触即発な雰囲気のなか、衣田と呼ばれたハスキー声の先輩と、戻ってきたアカネが仲裁に入る。アカネは、人形用のベッドにチョッキーの首を乗せて、さらに、オカッパ女子の縫野から胴体を奪って、首の下に置く。
「喧嘩してる場合じゃないでしょうが! 公演は明後日なんだから、どうするかを考えないと……あぁベッドに収まるようになっちゃって。痛々しいわね、チョッキー」
「野巻。大丈夫」
衣田がさっと名乗り出る。人形を一瞥して、
「何とかなるよ。オーバーオールは、破れた部分だけ縫えばいいし。首と胴は一周縫ってくっ付ければいい話だから。その分、丈は詰まっちゃうけどさ。
呪われた人形って設定だし、少しくらいボロ感あってもいいでしょ」
「全然いいよ! でもそれって、明後日までに出来るもんなの?」
「あたしと縫野、ふたりでやれば余裕だよ。1時間もかかんないと思う」
「マジで!? 乃維ちゃん素敵!」
「いや、私が家に持ち帰ってやりますよ」
縫野が慌てたように口を挟む。
「それに、衣田先輩。明日は、大学の入学手続きで部活出れないって言ってたじゃないですか」
「そんなのどうとでもなるよ。それに――」
衣田は、自分より10センチ以上低い縫野の頭を撫でて、
「手芸部として最後の活動だからさ。縫野との合作だし、ふたりで仕上げたいのよ」
「うわーんありがとーっ!! こっちは公演までに仕上げてくれればいいから! よろしくね」
手芸部員ふたりと握手して、アカネが安堵のため息を吐く。と、思い出したように振り向いて、
「そういや、水無月くん。練雨くんが探してたよ」
「あっ!」
「アタシの友達も居るはずだからよろしく――って、もう行っちゃったか」
*
「遅い! 何やってたんだよ」
「すみません」
天文部の活動場所は、特別棟三階の物理準備室。
けっして広くない空間で、坊主頭の男子がビデオカメラを構えていた。部長の天野川である。
「とりあえず、その子の隣に座ってくれ」
練雨が、天体模型を弄っている生徒を指す。うつむき加減で顔がよく分からない。
ちょっと待って、と一年生の女子、宇井川が、走って乱れた髪に手ぐしを入れてくれる。もう一人の女子、星住は椅子を引いてくれた。
状況がつかめず固まったままでいると、模型を弄っていた生徒がこちらを向いた。
「こんにちは」
「…………」
フレンドリーに挨拶してくれる。知らない生徒だった。
いや、そんなことはどうでもよくて――。日向は、かつてない程のショックを受けていた。
チョコレート色の短めの髪、同色の瞳、きめ細やかな白い肌に、淡いピンク色の唇――こんな“美少女”見たことがない!!
「座らないの?」
「……あ、はい」
座面をぽんとたたかれて、条件反射的に腰かける。
「よし。じゃあ適当に、熱心に研究している天文部員を演じてくれよ」
適当に熱心、とは矛盾している気がするが。
正面にはカメラを持った天野川がおり、彼も、どことなく落ち着かない風である。日向はちらと横を見る。
日向とて、幼い頃から『美少年』と評され続けてきた。そのときついでに言われるのが、『毎日鏡で自分の顔を見ているから、目が肥えているんでしょ?』という意味不明の偏見だ。勿論そんなことはなく、可愛い女子を見たら人並みに興奮したりもする。
「碧」
「へっ?」
「名前、晴川碧。よろしくね」
いけない。間近で見つめるだけで、意識がぼおっとしてしまう。天使と見紛う容姿だけでなく、不思議な色気を兼ね備えている。
「天文部の紹介ホームページを作ることにしたんだが、宇井川くんと星住くんは写りたがらないし、天野川だけじゃ絵にならないから、野巻にモデルを紹介してもらったんだよ。そうしたら、予想以上に可愛くてな」
練雨が着々と説明してくれる。
「晴川くんと並んでつり合いがとれるのは、水無月しか思いつかなくて」
「顔が掲載されるんですか」
「大丈夫。適当にぼかすから」
じゃあ、誰が写ってもいいんじゃ? とツッコミをいれようとしたところで、
「よしよし。次は中庭のセットで撮るぞ。天野川はカメラと三脚、宇井川くんと星住くんは天体望遠鏡を運んでくれ」
立ち上がった練雨が、部員たちに向かってテキパキ指示をする。
「あ、お手洗いに行きたいんですけど」
授業中のように挙手して、碧が言う。
「俺たちは先に行って準備してるから、水無月に案内してもらってくれ」
「僕が?」
日向は慌てふためく。
普通、女子トイレを男子が案内するものだろうか。宇井川と星住を伺うが、ふたりとも微笑んでいるだけだ。
天文部員がさっさと出ていってしまったので、戸惑いながらも碧と歩く。
「――ねえ、水無月くんのこと知ってるよ。ノマちゃんから聞いて。野巻アカネ。知り合いでしょ」
知り合いだし、さっき会ったばかりだが……。何故アカネが話題に出てくるのだろう。こうして並ぶと、碧はわりと身長が高い。もしかしたら、光より高いかもしれない。
日向はふっと表情を引き締めた。ニヤけた顔で碧と一緒にいるところを光に見られたら、『浮気だ!』とビンタされるかもしれない。
「こっちのことも知ってると思ってたけど。ぼくの写真見せたって言ってたし」
「……あ」
そういえば――。
かすかな記憶がよみがえる。
晴川碧――そうだ。正月に皆で集まったとき、アカネが紹介してくれた写真の子だ。そのとき、何やら衝撃的なことを聞かされた気がするが、はて何だったか?
「じゃ、女子トイレそっちだから」
逃げるように、隣の男子トイレへ駆け込む。
碧と別れて、ほっと息をついた。気持ちを落ち着かせるついでに、用も足しておこう。
「なんだ日向くんもしたかったんだ」
「……っ!? 女子トイレ隣だよ!!」
碧が男子トイレに入ってきた。
小便の途中なので動くことができず、声だけで制止する。が、碧は動じる様子もなく、隣に立った。
「んー、スカートでオシッコって難易度高いよね」
制服のスカートをめくり上げる。日向はいよいよパニックになった。
「ちょっ、なにやって…………!?」
視線が逸らせないまま、日向は、“あってはならないもの”を目撃してしまった。
正月の記憶が急速によみがえる。勿体ぶって発表したアカネの姿も。
『皆騙されたな! この子は晴川碧くんといって、実は――』
「お、おっ、男の娘おおおおおーーっ!?」
男子トイレに悲痛な絶叫が響きわたった。




