表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
階段下は××する場所である  作者: 羽野ゆず
階段下は××する場所であるーHow done it?
7/162

1-2 日向、拉致られる

 以降、放課後だけでなく休み時間も光は日向を狙い続けた。が、残念な運動神経のわりに逃げ足だけは異常に早く、なかなか手中にできずにいた。


「まだ水無月くんのこと追っかけてるの? いい加減あきらめたら」


 授業前というのにグッタリしている光に、頬杖をついた野巻アカネが諭すように言う。

 アカネは舐めていた棒つきキャンディを口から出して、マイクのように持ち直す。


「私の後輩も、水無月くんに振られてさ。諦めきれずに追い回したけど、逃げ足が早すぎてストーカーにもなれなかったらしいよ」


 唾液に濡れた飴玉を向けられて、光は不快そうに顔をしかめると、むぅ、と唸った。


「逃げるなんて卑怯だろう。私は諦めないぞ、まだ。――そうだ野巻、ちょっと協力してくれないか」

「なあに。光のためならエンヤコラだよ」

「空き教室の鍵を調達して欲しい。演劇部の衣装合わせで使うとか理由をつけて」

「いいけど……何をするつもり?」

「追いつめて、強制的に治療(、、)してやる」

「治療とは、またいかがわしい言葉ね。大丈夫?」


 心配そうなアカネに、光は「たぶん」と不敵な笑みでうなずいた。





 このところ途切れなく続いていた雷宮光の襲撃が、今日はまだ一度もない。

 久しぶりに穏やかな気分で、日向は部活動に向かうところだった。しかし油断はできない。どことなく気配を探るのが癖になっている。


「わ、すごい積乱雲せきらんうんだ」


 まっすぐ体育館に行くつもりだったが、つい足を止めてしまった。

 廊下の窓から、ソフトクリームの大群みたいな入道雲が見えたのだ。昔から空が好きだった。あの雲の先に無限に広がる宇宙が――と想像するだけわくわくした。


「明日の天気は雨か」


 端正な顔でほほ笑む。そんな自然を愛する無垢な少年に――とびっきりの不幸が襲った。

 突然後ろから羽交い絞めにされ、もの凄い力で階段脇にある教室まで引っ張られると、そのまま中に押し込まれる。


「痛っ! うぅ」


 ここは……? 放り出されて尻もちをついた日向は周囲を見渡す。

 黒板はあるが学習机と椅子はなくて、乾いた雑巾みたいな匂いがする。空き教室か。

 ふいに視界を遮られた。目の前に二人の女子が仁王立ちしている。


「――久しぶりね、水無月くん。相変わらずの王子様フェイスじゃないの。今からでも遅くないから、入ろう演劇部」

「イヤです。ていうか野巻先輩なぜここに? 雷宮先輩も!」

「野巻、ありがとう。もういいよ」

「グッドラック光」


 ひらひらと手を振って、アカネは教室を出ていった。

 グッドラックって、どういう意味だろう。状況が理解できず固まっていると、光がゆっくりと近づいてきた。

 

「やっと捕まえた」

「えと、何でしょうこれは」

「君が悪いんだぞ。逃げるから」

「告白なら断ったはずですが」

「私のことが嫌い?」

「そういうわけじゃ……」

「はっきりしないな。中途半端な態度じゃこっちも諦めがつかないだろう」

「すみません」


 消え入りそうな声で謝り、黙りこんでしまう日向。光は腕組みしていた手を解いて、彼の前にしゃがみ込む。


「女性恐怖症ね。そうなる原因があったの?」


 日向は無言のまま目を伏せた。頬に睫毛のかげができる。答えるつもりはないらしい。

 光は小さく息を吐く。


「言いたくなければいい……でも、このままじゃあんまりだろう。何があったか知らないけど忘れた方がいい――私が忘れさせてあげる」


 つ、と頬を撫でられ、身をすくめた日向は息をのむ。

 間近にせまった光の表情が予想外に優しいものだったから。

 力強い瞳に真っすぐ見据えられ、つい魅入ってしまう……気付くと焦点が合わなくなっていて、唇に柔らかい感触がした。え? ええ?


「っ!」


 キス。

 キスされた!

 キスしてしまった!


 数秒後に気づいた日向は、顔色を赤くして青くした。

 心臓の鼓動がどくんと波打ち跳ねている。鼻の奥がつんとした。ああ……意識が遠のく。

 一方、顔を離した光は艶っぽく微笑むと、てきぱきとした動作で掃除用具入れのロッカーからモップを取り出し、教室の前方と後方の扉にひっかけて出入りを封じる。


「これで誰にも邪魔されない」


 スカートをふうわりさせて座り直すと、今度は日向のネクタイに手をかけてくる。


「あのう」

「なに」

「何をしているんですか」

「だから、治療よ。最初は自尊心が傷つくかもしれない。けど、水無月君には荒治療が必要だと思う」

「だから何の治療ですってば!」

「大丈夫すぐ慣れるから」


 一点の曇りもない美々(びび)しい笑顔で、オヤジな発言。

 やっぱり雷宮光に関わっちゃいけなかったんだ……! 一瞬でも油断した自分が憎い。

 後悔する日向だがそれどころじゃない。

 貞操の危機である。

 しかも相手は、細身の女子とはいえ、鬼と呼ばれた剣道部の元部長様。抵抗して組み合っているが、すでに力負けしそうだ。

 カッコ悪いが外に助けを求めるしかない。

 日向は、覚悟を決めて、大きく息を吸い込んだ――が、



「ぐわあっ!」



 響いた悲鳴は彼のものでなかった。同時に何かがぶつかり合うような鈍い音がした。


「今の……?」


 ただならぬ気配に、ふたりは顔を見合わせる。

 日向に覆いかぶさっていた光はすっと立ち上がり、みずから作った防波堤(ぼうはてい)を崩して、教室を飛び出した。


「あっ、先輩、ちょっと!」


 わけが分からないまま、廊下をかけていく光を追いかける。

 長い廊下の突き当たりの階段下で何かがうごめいていた。近づくにつれて、その正体が明らかになる。いかつい体格の男子がエビのように背中を丸めて倒れていた。


「どうした、中園なかぞの!」


 知った顔なのか、男子の傍らにしゃがんだ光が名前を呼んだ。


「くそ……京島(きょうじま)のヤツ」

「京島?」


 光が繰り返すと、短髪の男がはっとしたように口をつぐむ。

 一方、日向は階段の踊り場に視線をやっている。もうひとり、大柄な男子が仰向けに倒れていた。半開きの唇から、うう、と低い呻きをもらしている。


「ちょっとどうしたのよ、光?」


 二階の手すりから野巻アカネが身を乗り出している。騒ぎを聞きつけてやって来たのだろう。アカネの背後で、数人の女子生徒がこわごわと階下を見下ろしている。演劇部の部員だろうか。

 

「それ空手部の京島くんじゃん! いやっ、死んだ? 死んでるの?」

「死んでいない。気絶しているだけだ」


 混乱してわめくアカネに、昏倒した男子の脈をとった光が冷静に返す。光は意識のある方の中園を振り返って、


「いったい何があったんだ」

「……なんでもねえよ」

「何でもないわけあるか!」


 怒鳴られた中園がそっぽを向く。

 光は、京島の腕を自分の肩に回して半身を起こさせた。うぅ、と微かに京島がうめく。


「保健室に連れていく。水無月君、手伝って」

「は、はいっ」


 光の逆側から京島の体を支えて、なんとか立ち上がらせた。ぐったりした巨体は鉛のように重かった。いち、に、と光のかけ声で歩調を合わせ、無事に階段を下りてから日向は気づく。


 階下にいたはずの中園が消えていた。 

評価をするにはログインしてください。
この作品をシェア
Twitter LINEで送る
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ