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階段下は××する場所である  作者: 羽野ゆず
Interval03 安楽椅子探偵
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戻るには遅すぎる―Too late to return【中編】

「なんだこれは?」


 顔をしかめる光に、日向は唇に指をあてがう。静かに――。


「先輩の真似です」


 内緒話のボリュームでささやき、光の背後を指す。

 最奥のボックス席には、お手洗いから戻ってきたOL風の彼女が加わり、三人がかしましくお喋りしている。年齢は二十代から三十代といったところか。


「まさか」


 察した光が声をひそめる。


彼女たち(、、、、)の会話(、、、)を書き取ったのか?」


 こくりと頷いた日向に、光は心底呆れたように吐息した。


「あまり良い趣味じゃないな」

「先輩だって、地下鉄でおじいちゃんの会話を盗み聞きしたんでしょ」

「それはたまたま耳に入ってきただけだ」


 ふいに女性たちの笑い声が響いた。

 あまりのタイミングに、ふたりはそろってビクリとしたが、違う話題で盛り上がっているらしい。日向は苦笑して、


「でも、失敗でした。無作為に抜き出しても上手くいきませんね」

「当たり前だ」


 ペンを放ってドーナツにぱくつく、と思えば、落ち着かない様子でブレザーの袖をまくる。


「今、三時半ですね」

「なにか用事があるのか」

「いえ……」


 腕時計から会話記録に視線を移し、


「この〈休みをとる〉って、どういう意味でしょう」


 日向は『4時まで休みとったよ』の一文を指す。


「どういう意味って――」


 喋りかけた光は耳をふさいだ。

 カウンター席の女子高生らが爆笑し始めたからだ。とてもうるさい。席を移れば良いのだが、それもしゃくなのだ。なかば腹いせのつもりで話し出す。


「〈仕事〉の休みを取る、ってことだろう、普通に考えて。学校を休むときはそんな言い方しないし」


 四時までということであれば、時間単位の休暇か。光の父が経営している工務店でも、通院等の理由で従業員が中抜けすることがある。


「四時まであと三十分もないですね。すぐ戻らなくちゃいけない」

「まあそうだな」


 光は頷きかけて、首をひねる。


「彼女たちの服装を見たか? トレーナーにジーンズとか、服装がラフすぎる。勤め人の恰好とは思えない」

「そういう服装が許されている職場なんじゃないですか。アパレル系の店員さんとか」


 納得しかけた光は、ふたたび首をひねって、


「ちなみにそれは三人のうち誰が?」

「最後に合流した女性です」

「――やっぱり妙だな」

「とは?」

「だって、彼女ここに来てから着替えてる(、、、、、)んだよ」


 トレンチコートの下はパンツスーツだったはずだ。が、お手洗いから戻ってくると、ボーダーシャツにミニ丈スカートという服装に変わっていたのだ。


「メイクと髪型は同じままだから印象に残っていたんだ」


 化粧まで落としていたら、同一人物とは判別できなかったかもしれない。


「四時には戻らなきゃいけないっていうのに、わざわざ着替えたりするか? 変だよ」

「仕事着だと行きにくい場所にこれから繰り出すとか」

「そんな様子には見えないけどな……」


 際限なく続く会話は、“花が咲く”を通りこし、実が付きそうな勢いである。まだまだ居座りそうだ。


「じつは、他の二人もなんだ」

「とは?」

「服装はラフなのに、化粧だけはキッチリしている。首から上と下がちぐはぐだ。彼女たちも同じように着替えたのかもしれない」

「先輩、すごい観察力ですね!」


 目を見張る日向に、光は、ふんと鼻白はなじろむ。 


「まあこんなこと考えても仕方ないけど」


 コーヒーを啜ると、独特の酸味が舌の上をころがった。


「じゃあ、この〈りんじ〉っていうのは?」


 日向の興味は次のセンテンスに移っている。

 まだ続けるか。出来ればもうしまいにしたかったが……。彼のやっかいな性癖を知っている光は、ひそかに舌打ちする。

 好奇心にかれた瞳がらんらんと輝いている。

 こうなったら(、、、、、、)もう駄目だ。疑問がスッキリさっぱり解消されない限り、元には戻らない。

 抹茶色のドーナツを、光はひょいと奪う。


「あっ、甘いモノは苦手なんじゃ」

「抹茶味だけはかろうじて許せるんだよ」


 と返すも、口中に広がる甘ったるさに後悔しながらペンを持つ光。


 臨時


「漢字に変換するとこれだろうな」

「臨時……何かの略でしょうか」

「この後に、『いなくなる』と続いている。いなくなる、というのは動作、述語だ。つまり、述語の前にある〈臨時〉は主語ということになる」


 従順にうなづく日向に光は続けて、


「この場合の主語は“人”だろう。職場であれば、〈臨時社員〉とか〈臨時職員〉――そんなところじゃないか」

「ああ、なるほど。なるほどです」


 背後の席で拍手が巻き起こった。もちろん光に送られたものではない。お喋りがますます盛り上がっているらしい。それに負けず劣らず女子高生らがマシンガントークを続けているので、すぐ近くの人物について推理する、という奇妙な状況が成立している。

 光は肩をすくめて、


「〈臨時社員〉がいなくなると困る、〈誰か〉がいるようだな」


『〈臨時〉もいなくなるし、困るでしょ。えらそうにしてるくせに、何もできないんだから』


 日向は頬杖をつく。「いったい誰が困るんでしょう」

「知るか。でも、ひとつハッキリしていることがあるぞ」

「なんですか」

「この発言をした人物は、〈誰か〉のことを良く思って(、、、、、)いない(、、、)

「『えらそうにしてるくせに、何もできないんだから』という言いぶりから、ですね。というか、明らかに嫌ってますよねこれ」

「もうひとつ。その〈誰か〉とは、彼女たちの共通の(、、、)知り合い(、、、、)である」

「共通の、知り合い……?」


 口端にチョコシロップを付けたまま、あ、と日向が漏らす。見かねた光は紙ナプキンで口元を拭ってやった。


「す、すみません……ええと、言われてみればそうですね。名前が(、、、)出て(、、)いない(、、、)のに、誰かが通じるのが当然のような言いぶりです」


 光は脚を組み替える。


「えらそうにしている、っていうんだから、職場の〈上司〉あたりじゃないか。偉ぶってるけど、何もできない無能な上司って実際にいそうだし」

「彼女たちは同じ職場の仲間で、〈誰か〉はその〈上司〉ってところですかね」


 この辺りは適当だ。が、大真面目に耳をかたむける日向に、光はさらに調子にのる。


「一般的な会社の終業時刻って、何時だと思う?」


 急な問いかけに日向は小首をかしげて、


「五時から六時じゃないですかね」

「じゃあ、四時というのは?」

「う~ん……ちょっと早すぎる気がします」

「父の事務所の場合だけど。四時っていうのは、臨時職員が退社する時刻なんだ」


 一般職員とは、勤務形態が違っており、朝も少し遅めに出勤してくる。


「――で、これだ」


 会話が記録された用紙に注目を戻した。


『4時まで休みとったよ』

『〈臨時〉もいなくなるしね、困るでしょ。えらそうにしてるくせに何もできないんだから』


「四時になったら、何が起こるのか? 〈臨時社員〉が退社する。そうなると〈上司〉は困る。なぜか? 人手が(、、、)足りなく(、、、、)なり(、、)、〈上司〉にも仕事が回ってくる。ゆえに、何も出来ない無能な〈上司〉は困る」


 思考が飛躍ひやくしすぎた感はあるが、当たらずとも遠からずではないか。満足感を抱き、光は推理を締める。


「――どうだ。こんな風に解釈できないかな」


 惚けたように聞いていた日向は、数回(またた)きをした後、眉根を寄せた。


「なんだよ。反論があるなら聞くぞ」

「……いえ適切な推理だと思います」


 だったら、砂糖と塩を間違って舐めてしまったような顔をするのは止めていただきたい。


「でも、どこか、違和感が」


 判然としない口調でつぶやき、日向は黙り込んだ。

 白目をむきかけているところを見ると、深い思考にふけっているらしい。

 そうしたら違和感の正体が分かる、とばかりに、甘いココアとクリームパイを交互に食べている。糖質地獄に終わりが見えた頃、ついと顔を上げた。


「わかりました。――『臨時()いなくなる』。副助詞の“も”を見逃していました」

「も?」

「これは、〈臨時社員〉と共に(、、)誰かがいなくなる、ということですよね。――『4時まで休みとったよ』」


 聞いた当時の口似しているつもりなのか、やけにキャピキャピした声で愛らしく首をかしげる。

 かわいい、と光は思ったが同時に少しイラッともしたので、口には出さない。


「これを聞いた僕はこう考えました。四時まで休みということは、当然、四時までに(、、、、、)仕事に戻る(、、、、、)んだと」


 すっかり真顔に戻って、早口のまま続ける。


「でも、先輩の考えは違いましたね。だったら今、着替えるのはおかしい。彼女たちは、仕事に戻るつもりはない、と推理した。そのときは半信半疑でしたけど。あれから一向にどこかへ出かける気配はない」


 日向は腕時計に目線を落とす。


「今、三時四十五分になりました。ここまで来たらもう、先輩の推理が正しいと思えてきました」


 身支度と移動を考慮すると、すでにギリギリの時間ではないか。光はこっそりと背後を伺う。女子トークの勢いは衰えをしらない。


彼女たちは(、、、、、)四時までに(、、、、、)戻るつもりは(、、、、、、)ない(、、)


 呪文のようにとなえて、日向は両手の指を絡ませる。


「――おかしいですよね。戻る気がないのに、なぜ四時までしか休みを取らなかったんでしょう。戻らなければ、どうなるか」

「無断欠勤になるな」

「……ですよね」


 光が即答する。覚悟を決めた飛び込み台で背中を押されたかのように、日向は喉を鳴らした。


「さっきの違和感の正体が分かりました。〈臨時社員〉が四時に退社することは、毎日のいわばルーティンですよね。だったら、人手が足りなくなるという非常事態にはならないと思うんです」


 ナルホドその通り。光はぐうの音も出ない。

 多少の悔しさが込み上がったが、無言のまま先をうながす。


「話を戻しますね。『臨時()いなくなるし』の“も”が意味するところ。臨時社員と共にいなくなるのは誰なのか――? それは彼女たち自身(、、、、、、)じゃないでしょうか」


 だって、と日向は語気を強める。


「彼女たちが四時に戻れば、別に〈上司〉は困りませんよね。臨時社員が退社した後も、それなりの人員は確保しているはずだから。――にもかかわらず、彼女たちは、『〈上司〉は困る(、、)』と言っている」


 会社の規模によりますけど、と前置きして、「同じ職場で、四時に復帰するはずの三名が戻ってこない。臨時職員も退社してしまっている――これならば、非常事態といっても良いのではないでしょうか。業務に支障が出る可能性が高いのでは」


 光は神妙しんみょうに頷く。

 大企業を例外として、この不景気な時勢じせい、どこの会社もギリギリまで人員を切り詰めているはずだ。 


「そういう事態になって、一番困るのは誰でしょう?」


 まっすぐ見つめてきた日向に、光は仏頂面ぶっちょうづらで答える。


「ひたすら迷惑な話だな――その同僚とか、〈上司〉にとっては」


 そこで、光ははっとして口を覆った。対して、日向はしてやったりの笑みを浮かべている。


それが(、、、)彼女たちの(、、、、、)目的(、、)だとしたら?」一呼吸置いて、「僕の結論はこうです。彼女たちは、嫌っている〈上司〉を困らせるため――つまり、“嫌がらせ”のために、わざと無断欠勤するつもりである――と」

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