9-7 『交差点からの脱出』
“アカネちゃんの部屋”を出ると、玲於奈が待ち構えていた。
小机に置かれた安全旗を取り、歩み寄ってくる。
「クリアおめでとう。こちらへどうぞ、さあ」
スーツの袖を捲った腕で、最後の部屋【D】へ誘導する。【Yellow】の鍵を出したところで、グーッと間抜けな音がした。
「……あ」
日向はお腹を押さえる。肝心なところで腹が鳴ってしまった。これは恥ずかしい。
ぷっと玲於奈が吹き出す。
「早く鍵を見つけて、脱出しないとね」
黄色いスポットライトが漏れる【D】の部屋。
「でっけぇ」
内装はごくシンプル。100V型の巨大なテレビが、無機質な存在感を放っている。
「すげーな。こんな大きいテレビ、見たことねーや」
「そう?」感嘆する楓に、アカネがさらりと言う。「うちのホームシアターのと変わらないけど」
「……そうすか。アカネさんち金持ちだもんな。待てよ、逆玉って手も」
主電源は入っているが、黒画面のままだ。左上部に【ビデオ1】と表示されている。
「よくわからないけど、とりあえず再生ボタン押してみよっか」
アカネが、ローボード上のリモコンを操作する。
ファンファーレが鳴り、ラスボス対決戦を想起させる様なBGMが流れ始めた。
ゴシック体の白文字がゆっくりした速度で表示される。
『“悪夢の交差点”に迷いこんだ旅人へ。
ここまでたどり着いた諸君に、まず賛辞を贈りたい。世界主が創った、非日常の世界。楽しんで貰えただろうか』
「回りくどい喋りだな」陽太がぼやく。
『この世界を脱出するための鍵の在り処。それは……』
それは――?
一同固唾をのむ。しかし、突如画面は砂嵐に変わった。
「え……故障かしら?」
「いや、何か浮き出てきたぞ」
3D画像を見るときのように目を細めると、砂嵐に白文字が浮かび上がってきた。
『NEXT→Yellow』
「イエロー?」日向は手の中の鍵を見やる。
「向かいの部屋のことじゃないのか」
もうひとつの黄色い部屋【C】の方を、光が顎でさす。
「オレ行ってきます!」
「待て」飛び出して行こうとした楓を止めて、「こういうのは皆で行動しなきゃ。誰の閃きが正解に繋がるかわからないし」と光。
差し向かいの部屋へ、6人でゾロゾロ移動する。
……あれ?
ふと違和感を覚えた。横断歩道の定位置に、〈案内嬢〉の玲於奈が居ないのだ。厄介な問題に一枚噛んでいたこともあり、また何か仕掛けてくるのでは、と勘ぐってしまう。
【C】の部屋は、壁に隙間なく貼られたカレンダーが変らず目を引く。
楓が激突したパーテーションの、数枚が剥がれ落ちて、そこだけぽっかり隙間が空いていた。
「見ろ、光ってる!」
拘束された楓を恐怖に陥れた《穴》――その映像が流れていた液晶画面が、チカチカと点灯している。画面をタッチすると、ファンファーレが流れ始めた。
『ようこそ【黄の部屋】へ。ここまでたどり着いた諸君に、まず賛辞を贈りたい』
「いやもうそれはいいよ」楓がぼそり。
『世界主が創った、非日常の世界。楽しんで貰えただろうか』
「マジでくどい!」舌打ちする陽太。
『この世界を脱出するための鍵の在り処。それは……』
誰かがゴクリと生唾を呑んだ。しかし――
『NEXT→Yellow』
「えっ、またぁ!?」
身を乗り出していた楓と陽太がずっこける。
「ふざけんな!」
黄色を指し示す部屋は、【C】と【D】のみ。つまり【D】へトンボ返りだ。
「頑張って!!」
部屋を出ると、今度は玲於奈が居た。安全旗を大振りしている。
「もぉ、嫌」
移動中、カナが小さく漏らした。日向は深く同意する。
どこを見回しても、赤、青、黄――似たような部屋を何度も行き来して、気がおかしくなりそう。
逃げ場のない袋小路に追い詰められているような、そんな感覚さえする。
『この世界を脱出するための鍵の在り処。それは――』
「次焦らしたらコロス」
100V型の画面に陽太が毒づく。険悪な雰囲気のなか、ついにその先が流れた。
『かつて扉が在った場所』
5秒余りの静止の後、再びの砂嵐。
あとに浮き上がってきたのは、『END』の文字だった。焦らされたわりに、呆気ない結末である。
「扉が、在った場所……?」
復唱したアカネが眼鏡の蔓を上げる。
「扉ならそこら中にあるけど」楓が背後のドアを指す。「この部屋にも在るし、それぞれの部屋にも付いてる」
「多分違うよ、それ。扉っていったら、やっぱりアレだよ。最初に南京錠を掛けられた、“大元の扉”のことだろ。それより……」 陽太が華奢な首をひねる。
「『かつて』、『在った』って、過去形ばかりなのが気になるな」
言い換えると、今は無い――ということになるのか。どちらにしろ、抽象的すぎて意味が分からない。
「そうだ――!」
楓がくるくるした眼を輝かせる。
「このショッピングモールって、昔は駅ビルだったよな?」
「ああ、3年前に全館改装されたんだっけ」
「オレの記憶だと、4階のちょうどこの辺にあったスポーツショップの名前が『DOOR』――“扉”だったんだ!」
「へえ~知らなかった」
得意顔で楓は続ける。「それをヒントに考えていけばきっと……」
「そうかなぁ」
ひとりカナが首を傾げている。
「このゲームは、不特定多数の人が挑戦するわけでしょ? 昔の駅ビルの店舗名とか、限られた人にしか分からない問題を出すかしら」
「……ぐっ」
そのとおりだ。『DOOR』についても、楓は知っていたが、日向は知らなかった。それでは駄目なのだ多分。
重い沈黙のまま、壁に凭れていた光が嘆息する。
「とりあえず、他の部屋を探ってみないか。ここでグダグダ考えていても仕方がないし」
「そうね」アカネも同意し、各々【D】の部屋を出ていった。
静かになった室内で、腕組みをした日向は深い思考の海に沈んでいく。
“悪夢の交差点”――か。
信号色に彩られた部屋、横断歩道、交通安全係……作り込まれた設定のわりに気になるのが、全体の舞台装置の安っぽさだ。
部屋割りは移動式のパーテーションで、信号色はカラーライトを照らすことで簡易的に表現されている。〈アカネちゃんの部屋〉のように凝った箇所もあるだけに、手抜き加減が目立つのだ。
それとも、こうでなければならない理由があるのか――?
玲於奈の気配を感じながら、交差点の横断歩道を彷徨う。
今彼女がいる入口側も、反対側の突き当たりの壁も、《暗幕》で挟まれ閉ざされた世界……。
何の気なしに【E】の部屋に入ると、青いスポットライトの下、ポニーテールの後姿が見えた。
「……あ」
日向を視野に入れると、光はすっと目を伏せる。ああ、まただ。
「あの」
思い切って尋ねてみる。
「僕、何かしましたか?」
日向はじっくりと光を見据える。いつもと逆だな、と思う。一方的な視線を受ける光は、いつもより小さく見えた。
「なんだか、避けられてるような気がして」
「……そんなことないよ」
表情を強張らせたまま否定する。
いや、そんなことあるだろう。そうに違いない。普段の彼女は、こんな奥歯にものがはさまったような物言いはしないから。
「この部屋は何もないな……」
【E】の部屋には、チューリップが植わったプランターがひとつだけ。光は、突っ立ったままの日向の脇をすり抜けようした。
「待って」
腕を掴まれた光は、そうされるのが分かっていたように抵抗しない。
「やっぱり変です、先輩……何かあったんですか?」
掴んだ手に、知らず知らずのうちに力が籠っていた。猫のような瞳が揺らいで、すっと見上げてくる。
「私たち、さ――」
「あーっ! こんなところで二人っきりになってる!!」
背後からけたたましく罵倒された。
「ヒナタめーっ! 光を襲おうとしてたんだろ!?」
大丈夫か、と光にかけ寄った陽太は「あれえ?」と細い首を伸ばす。
「何だありゃ!?」
正面向かって右側の壁、パーテーションと床の隙間に《カレンダー》が落ちていた。
「前に来たとき、あんなの無かったぞ!!」
「私は見たよ」
スカートの裾を押さえてしゃがんた光はカレンダーを拾い上げて、
「皆と合流する前、開いてる部屋を見回ったんだ。そのときに落ちてた」
なんだ――。
日向は急速に理解する。要はこういうことだ。日向に蹴られた楓が【C】の壁に激突して、その際に剥がれたカレンダーが、隣の【E】の部屋まで飛んできたのだ。
「ああ、やっぱり〈12月〉だったか」
馬鹿馬鹿しい説明をする気になれずにいると、光が何やら得心している。
「どうしました?」
カレンダーだよ、と40×30センチ程の紙片を掲げる。
「最初に見たときは〈12月〉のカレンダーだったのに、〈1月〉のに変ったように見えたから」
要領を得ない説明に、揃って首をかしげる水無月兄弟。見かねた光は、実際に再現して見せる。
「ほら、こんな風に――。
12月の、2が、パーテーションと床の隙間に入り込んで見えなくなっていたんだ」
「――それ確かですか?」
白目になりかけた日向は、下唇を指でなぞってる。
「確かだと思うけど……」
くるりと陽太の方を向いて、「お前、カレンダーを弄ったりしていないよな?」
「してねーよ。てか、誰も弄ってないだろ。ずっと全員一緒に行動してたんだから」
「先輩は?」
光は無言のまま、かぶりを振る。
「誰も弄っていない筈なのに、カレンダーの位置がズレていた――」
パーテーションの壁、さらにその奥の暗幕を俯瞰するように眺め、独りごちる。黒目がちな大きな瞳に力が込められる。
「そうか……移動したのはカレンダーの方じゃないんだ……!!」
日向は光の両腕をがばっと掴む。
「ありがとうございます!」
「……は?」
「先輩のおかげで、鍵の場所が分かったかもしれません」
黒髪の頭を下げるなり、部屋を飛び出していく。
「水無月くん、どうしたの?」
普通でない様子に、アカネが戸惑いの声をかけてくる。それを無視して、横断歩道の終着点――突き当たりの壁と対峙する。
壁を覆う暗幕を探って切れ目を掴むと、カーテンのように左右に開いた。
「あーっ!!」
アカネが悲鳴混じりの歓声を上げる。
「……へへ」
思わず笑いが漏れた。
漆喰壁に取り付けられたフックに――オモチャ染みた《鍵》が掛けられていた。
【next…】




