9-5 萌える?―【F】の部屋
「いい加減にしろっ!!」
気付いたときには、光は肩で息をしていた。
あらん限りの力で頬を打たれた田雲は、うつむいて沈黙してる。やがて、くつくつと笑いだした。
「やっぱり、正解だったな」
「……は?」
目元を指して、「眼鏡。外しておいて良かった」
「っ!!」
押しとどめていた怒りが爆発する。
拳を握って近づいてきた光に、ごめんごめん、と苦笑した。
「たまたま修理に出していただけ。こういうことをする為に、外してたわけじゃないから」
「…………」
光は油断なく相手を見据える。
大きなため息が聞こえた。
「――理解ってたよ。君が僕に近づいてきたこと、単なる興味本位だって」
「きょうみほんい?」
少し間を置いて、ゆっくりうなずく。
「でも、僕は嬉しかった。親が決めた許嫁とか関係なく、ずっと君のことが好きだったから」
「――だったら、どうして裏切った?」
訊いてから、しまった、と思う。
このことは二度と口にしないと決めていたのに。一度放った台詞は消えない。堰を切ったように、責める言葉が溢れてくる。
「私の他に、何人も……! 私が政宗を好きになる前に、政宗が私のことを裏切ったんだ」
「彼らとは親しくしていただけで、君と同じ関係じゃなかった」
「嘘つくなっ!」
田雲は弱ったように額を手で覆う。
「どうすれば許してくれる?」
「もう無理だ」
「弁解したいことは色々あるよ……でも、結局無理なんだろうな」同意して、肩をすくめた。「悔しいなぁ、あんな何も知らない真っ新な子に、光ちゃんを奪われるなんて」
「…………」
「日向くんのことが好きなんだね――?」
きょとん、としている光に頭を下げる。
「ごめん。やり過ぎた」
「……どうして」
こんなこと――?
猫のような瞳でじっと見つめると、自嘲めいた表情になって視線をそらす。
「そろそろ、ね。“解放”してもらおうと思うんだ」
深く澄んだ黒い瞳は、どこか遠くを眺めているようで、光は映っていない。
「解放?」
田雲は言う。
「君を想い続けることから」
*
「光、もうすぐ来るって」
マキシスカートのポケットにスマホを仕舞って、アカネが告げる。
「ほんとか!」「マジか~」
陽太がぱっと笑顔になり、楓が眉を八の字にした。
「師範代、怒ってました? 怒ってましたかっ!?」
「分からないわよメールだし。そんなに怖いなら覗きなんてしなきゃよかったのに」
バカねぇ、とアカネは縋ってくる楓を押し戻す。
「玲於奈さーん。そろそろ光が来ます」
横断歩道の先にいる〈案内嬢〉が、はぁい、と白い手を挙げた。
つられて日向も玲於奈を見やる。もう、あの美々しい笑みには騙されない。今後は、彼女も疑ってかからなければ。
「おい、開いたぞ」
新たな鍵で開いたのは、【F】の部屋だった。赤いライトが漏れる部屋。
陽太がドアを開けた途端、カナが歓声を上げた。
「うわぁ、可愛い」
ピンク色の絨毯が敷き詰められた上に、天蓋付きのベッド、白いチェストにデスク。パーテーションの壁には、ウォールステッカー(蝶々のだ)が貼られている。
「今までの部屋と全然違うね」
「女の子の部屋……?」
呆気にとられている一同。ひとり、アカネが顔を引きつらせている。
「野巻先輩? どうかしました」
「……あは。なんでもない」
「明らかに何かありそうですけど」
「誰だコイツ?」
陽太が向き合っているのは、おそらく、部屋の“主”。
黄色い部屋【D】側に寄せたベッドの脇にいる《マネキン人形》。背格好からして、小学校低学年くらいか。真新しいランドセルを背負っている。
「誰かに似てるような……?」
赤フレーム眼鏡を掛けたアニメ絵っぽい顔を眺めて、カナが呟く。
「気のせいじゃない?」
『ハァイ、あたしアカネ! しっかり準備して交通安全で学校に行くよー☆』
マネキンが喋った。
正確に表現するなら、人形に内蔵されている録音機が再生した。
「――今、アカネって言いましたよね?」
「気のせいじゃない? 気・の・せ・い!」
『ハァイ、あたしアカネ! よろしくね★』
「うるさいわ!!」
マネキン人形にツッコミを入れたアカネは頭を抱える。
「……アタシの部屋なの」
「え?」
「小さい頃の、だけど。……ここまで忠実に再現しなくて良いのに」
パパの馬鹿、と鼻を鳴らす。
「へえ~そうなのか! あはははっ」
「か、可愛いお部屋ですね」
楓が爆笑し、若干引き気味のカナがフォローする。日向もドン引きだ。ゲームのステージとして、娘の部屋を再現するとは何たる悪趣味。
「ちょっと止めてよ!」
「え……?」
問題の手がかりを見つけようと、デスクを探り出した日向をアカネが怒鳴る。
「あ、ごめんね。自分の机を探られてるみたいで、落ち着かなくて」気まずそうに自ら引き出しを開けた。
一段目の引き出しは、混沌だった。
ケースに収まっていない、《クレヨン》が散らばっている。よく観察すると、《色鉛筆》と《絵の具》のチューブも混じってる。バラバラだ。
「ははっ、汚ねー机だなアカネさん!」
「だから、アタシの机じゃないんだってば!!」
二段目の引き出しにはロックが掛かっていて、取っ手横にモニターがある。
「――またこれかよ。いい加減飽きてきたな」
うんざりした様子の楓にアカネが言う。「違う部分もあるみたいよ。前のとよく似てるけど、入力枠の横にほら」
左から順に【緑】【黄】【赤】のカラーシールが貼られている。
「今度は“色”?……あ!」
カナが一段目の引き出しを開けて、
「緑色や黄色って、クレヨンとか色鉛筆のことじゃないですかね!?」
「ふっふふ、よく分かったね。オレもそうだと思ったんだ」楓がカナの肩に馴れ馴れしく手を置く。カナはそれを振り払って、
「何本在るか数えてみます!」
カオスの奥から空き箱のケースを取り出し、画材を手早く収めていく。
「頼もしいわね。カナちゃん」
「そうですね」
実は、日向もカナとほぼ同時に、同じ発想をしていた。
不慣れなゲームとはいえ、数ステージクリアしたことで経験値が上がってきたのかもしれない。
「緑が1本で、黄が2本で……あれっ?」
「どうした」
手元を覗いてきた陽太に、困り顔でカナが答える。
「赤は一本も無いっていうか、0本なんだけど……。【0】の入力キーが無いの」
「これは?」色鉛筆の一本を指す陽太。
「どう見てもピンクでしょ。なんで【0】が無いのかしら……ミス?」
そうだろうか――?
たぶん違う、と日向は思う。今までのパターンからして、“フェア”とは言い難いが、“アンフェア”の誹りを受けない程度の解答は用意されているはず。
【0】が無いのはミスじゃない、意図的にそうしてあるのだ。
と、なると――?
「〈在るもの〉じゃなくて、〈無いもの〉を入力するんじゃないのか?」
腕組みをした光が、楓のすぐ背後に立っていた。
うわあああ、と楓が尻餅をつく。
「光、ずいぶん遅かったわね。待ちくたびれたわよ」
「ごめん……」
怯えまくる楓を訝しげに見下ろし、寄ってきた陽太の頭を撫でる。
「懐かしいな、このゲーム」
モニター画面を見やって、光が目を細める
「なつかしいって? やったことあるの?」
「昔、野巻の家に遊びにいったとき、おじさんがクイズを出してくれただろう」
「うっそぉ、全然覚えてないんだけど!」
ケースに整然と並べられた画材を指でたどる。
「……ふうん。この場合、【赤】は【3】だな」
「一本も無いのに、ですか?」
思わず口を挟んだカナに、悪戯っぽく笑む。
「入力キーに【0】が無いってことは、そういうことだ」
「――ああ! 〈抜けているもの〉を数えれば良いんですね!」
【緑】が抜けているのは、《クレヨン》と《絵の具》。【黄】は、《色鉛筆》のみ。【赤】はどこにも無い。
「2、1、3――と」
さっきとは真逆の解答。
間もなく正解音が響く。
「やったぁ!」
カナと笑い合う光に、日向が感心したように声をかけた。
「スゴイ。さすがですね」
光が顔を上げる。
「昔、野巻のおじさんが出してくれた問題に似てたから」
……あれ?
いつもは瞳が合うと、日向が照れてどうしようも無くなる程、じっくり見つめられるのに――。
何故だろう。
今日はすぐに視線を逸らされてしまった。
【next...】




