9-2 注意!?―【C】の部屋
暗闇に眼が慣れるのを待つさなか、日向は鼻をひくつかせた。
どこからか花のような香りがする。
「“悪夢の交差点”にようこそ」
耳元で囁かれ、背後から抱き着かれた。
「っ!? ぎゃああああああ!!」
悲鳴と同時に、明かりが灯される。
「ごめんなさい」
透明感のある白皙の肌に、日本人離れした顔立ち。
童話の世界から抜け出てきたような美女が、手で口を覆っている。
「玲於奈さん!?」
くるくるした瞳を見開いて、楓が叫ぶ。
「久しぶりね、楓くん」
美女、谷島玲於奈は優雅に微笑む。
野巻氏と同じブラックスーツを身にまとっているが、華やかさがまるで違う。スーツの胸ポケットに、黒バラの造花を挿している。
「どうしてここに?」
玲於奈は、アカネと楓が所属していた劇団の看板女優だった。ある事件がきっかけで、しばらく女優業を退いていたはずだが。
「アカネちゃんにバイトを紹介してもらったのよ。舞台復帰に向けてのリハビリね」
ね、と頷きあう玲於奈とアカネ。
「玲於奈さんもゲームに参加するんですか?」
尋ねた楓に「いいえ」と返し、手にしていた黄色旗を振る。
「私は〈案内役〉よ」
旗には、『横断中』の文字と『付近に学校あり』の警戒標識。さしずめ交通安全係といったところか。
「それでは、どうぞごちらへ」
第二の暗幕が開かれる。
旗が掲げられた先には、灰色の床に白い縞模様のペイントがされている通路。これは――
「横断歩道かよ……」
呆れたような陽太のつぶやき。
道の左右は、白い壁に囲まれていた。
壁……いや、部屋を仕切るためのパーテーションだ。天井までに僅かな隙間があり、〈赤・黄・青〉のカラーライトが漏れている。赤が2、黄が2、青が2――それぞれ2部屋ずつ。
「もうお察しですね。各部屋から漏れているのは〈信号〉の三色です。――とはいえ、赤の部屋は〈止まれ〉、青の部屋は〈進め〉という意味ではないので悪しからず」
黄の部屋は〈注意〉という意味では当たっているかも、と案内嬢は悪戯っぽく笑んだ。
「今から皆さんには、こちらの六部屋に仕掛けられた謎を解いてもらいます。……ええと、ひとり足りないのよね?」
「光は後から来ますから」
報告したアカネに、「了解」とサムズアップして、
「では、各部屋を縦横無尽して、脱出するための鍵を発見してね。さあ、どうぞ――!」
スタートの合図とともに、玲於奈は、小ぢんまりした机の側に身を引いた。
「退けっ」
「どわっ!?」
突っ立ったままの日向を突き飛ばし、楓と陽太が、横断歩道を走っていく。
「ここ鍵がかかってる……!」
向かって右の、一番手前の部屋【B】のドアノブを回して、陽太が舌打ちした。
「こっちの部屋が空いてるぞ!」
「よし、そこだ」
ふたりは顔を見合わせると、左側の真ん中の部屋【C】に駆け込む。
「――他に鍵が開いてる部屋はないみたいね」
奥まで進んで戻ってきたアカネに、日向が訊く。
「野巻先輩は、お父さんから何も聞いてないんですか」
「なにを?」
「ゲームの攻略法とか」
アカネは大袈裟にかぶりを振った。「あったりまえでしょう! 攻略法なんて知ってたら、アンフェアだし」
「何モタモタしてるんだよ兄ちゃん! 皆も早くこっちに来て」
「あーはいはい」
陽太に怒鳴られて入った【C】の部屋。
白いパーテーションが、天井のスポットライトに照らされて、黄色く塗装された室内にいるような。そんな錯覚に陥る。
「なんなの……なんなのこれは?」
セミロングの髪を揺らして、カナが部屋を見回している。
カレンダー、カレンダー、カレンダー……
左右の壁に、隙間が無いほどに《カレンダー》が貼られている。今年のモノもあれば、1970年と古いモノもある。無秩序だ。
「落ち着け、諸君」
入口から見て正面の壁に、電光掲示板が掲示されている。表示は〈0:00〉。
奥隅には、《自動車のシート》が置かれていた。シートベルトまで備え付けられている。
楓はシートにどかっと腰を下ろし、ゆったり足を組んだ。
「脱出ゲームの必勝法。――それは、『決してあせらないこと』だ。とりあえず、落ち着いて周囲を観察してみようぜ。そうすれば必ず活路が……ん?」
カレンダーに紛れて、《シートベルトを着用してください。背後にご注意》との貼り紙がある。
「なんだこりゃ?」
指示どおりに、シートベルトを締める楓。途端――、
ぐおん、と機械が作動するような音がして、電光掲示板の表示が動き出した。
〈5:00〉、〈4:50〉、〈4:48〉……
「シートベルトが外れないんですけど!!」
「えー!?」
楓に助けを求められた日向はベルトを外そうとするが、「ほんとだ。外れない」
「マジかよ!? おいっ、何だか分からないけどあと〈4分40秒〉しかないよ!」
「そう言われてもね。何をどうしたら良いのか、まだ全然わかんないし」
「あっ。ここに《入力モニター》がある!」
慌てふためいた楓が、シートの肘掛けを指す。
《Push button》――ボタンを押せ。
0〜9の数字と《Enter》のボタンがあり、3つの数字を入力するようになっている。
「――ねえ」
カナがしきりに首をかしげている。
「そのシート、動いてない……?」
言われてみれば――。
耳をすませば微かなモーター音が聞こえる。
じっくり観察しないと分からないスピードで、シートは横進みしていた。カニの歩みのようにゆったりと、だが、確実に。
床付近が暗くて気付かなかったが、細く長いレールが敷かれている。その終着点に、《マンホールの蓋》がある。
残り時間が〈4:00〉を切ったとき、その蓋が自ら口を開けた。
「穴だ! 穴がある!!」
日向の背中越しに覗き込んでいた陽太が叫ぶ。
ぽっかりと開いたそこは、まるで井戸の底のように深く見える。
「このまま進めば、シートごと穴に落ちるんじゃ……?」
楓がすっと青ざめた。
ふだんの能天気さが嘘のように、血の気がなくなっている。
「っ、嫌だっ、落ちたくない!!」
「落ち着いて、楓くん。答えを入力すれば、シートの動きが止まる仕組みなのよ、きっと」
「マンホールの蓋、閉じられないの?」
わりに冷静なカナの提案に、日向はそのとおりにしようとするが、
「――駄目だ、動かない。一度開いたら閉まらない仕組みになってるんだ」
謎を解かない限りは。
日向は入力モニターを見やる。
入力するのは0~9の数字。数字といえば……?
パーテーションの壁を埋めつくすように貼られた《カレンダー》。ここに正解があるに違いない。
他のメンバーはとっくに思い当たったらしく、部屋中に散らばって、カレンダーを舐めるように眺めている。
「あと〈3分50秒〉しかない! みんな早く!!」
「うるさいな、全力で探してるよ!」
自分が落ち着けって言ったくせに、と陽太がぶつくさ文句をいう。
しかしどこもかしこも、同じようなカレンダー。写真や絵柄は付いておらず、日付だけが並ぶシンプルなものだ。
「〈シートベルトを着用してください。背後にご注意〉。『背後』って何のことだ……?」
貼り紙を朗読した陽太が、華奢な腕を組んでいる。
「それならさっき見たよ! つまり、《穴》に注意、ってことじゃね!?」
自らに迫るピンチを再認識し、怯えたように楓がわめく。
一方、陽太はシートの背もたれの後ろ側に回った。
「何か書いてある……【×】【○】【△】。――そうか」
「どうした?」
たずねてきた日向に、苛立たしげに答える。
「入力する数字は、〈3つ〉だろ?
カレンダーのどこかにある、同じマークが付いた日付の数字を、そのとおり入力すりゃいいってことだよ!」
「……よく分からないんだけど」
「とにかく『×、○、△を探せ』、ってことよ」
ピンときていない日向に、カナが直接的な指示を出した。
カレンダーを探りながら思考する。
たとえば、【2】の日付に【×】が付いていたとする。陽太の考えたとおりだとすると、最初に入力すべき数字は【2】になる、ということか。
「――あった!!」
残り時間〈2分30秒〉になったところで、ついに発見する。
「けど、これ……」
が、発見者のアカネは困惑したように眉を寄せている。「おかしいの。〈日付〉じゃなくて、〈曜日〉にマークが付いてる」
「はぃいい!?」
残りのメンバーたちもカレンダーを覗き込む。
曜日を表す、SAT(土曜日)の【A】に【×】、FRI(金曜日)の【F】に【○】、WED(水曜日)の【E】に【△】が付いている。
「入力キーにアルファベットは?」
「無い。数字だけ」
「早くっ! 早くっ解いてくれ!!」
涙目でわめく楓を尻目に、陽太が宣言する。
「――わかった」
「ホントか!?」
「アルファベット順に、数字に変換させるんだよ。Aを1、Bを2、て具合に」
「ああ、なるほど!!」
拍手が巻き起こった。
脱出ゲームが得意、と自称していたのはダテじゃなかったらしい。陽太エライっ、とカナが年下の幼馴染の頭を撫でた。
「【×、○、△】が【A、F、E】だから……【1、6、5】」
ピッピッピッ、と入力音。
自信満々の陽太だったが、数秒後、その笑みは消え去ることになる。
「――動いてる!? まだ動いてるよ!!」
シートが停止しなかったのだ。
「どうしてだ……? これで間違いない筈なのに」
《穴》まで到達するのに、あと5センチもない。楓が、ぎゃーっと叫び、シートベルトをがちゃがちゃやり出す。
非日常的な黄色のライトが思考を乱す。
残り時間、30秒――。
「陽太」
傍観していた日向が、モニターに近づいてくる。
「モニターの数字キー、何から始まってる? 【1】か?」
「え……いや、【0】からだけど」
唇を指でなぞり、うつむき加減の顔を上げる。
「――それだ。【1】からじゃなくて、【0】からアルファベット順に変換してみよう」
「……【A】は【1】じゃなくて、【0】ってこと?」
黙ってうなづく日向。
陽太が震える指で、数字を入力する。
【A、F、E】すなわち、【0、7、6】
もし、これが間違っていたら――?
緊迫が最高潮に張りつめる。
嫌にたっぷりとした間の後、ピンポン、と効果音が響いた。モーター音が停止し、シートはその動きを止める。
電光掲示板は〈0:05〉を指していた。
【next…】




