9-1 それぞれのプロローグ
【NONモール・イベント情報】
『交差点からの脱出』――“The SIX rooms”
平和な休日。
ふらりと寄ったショッピングモール。
「ここは――?」
迷い込んだのは、“日常”から“非日常”へいざなう扉の前。
扉の先には、あか、あお、き――。
信号の3色に彩られた“6つの部屋”。
絶望的にふさがる壁。各部屋に仕掛けられた罠。
あなたは『6つの部屋』を縦横無尽して謎を解き、
“悪夢の交差点”から無事に脱出することができるだろうか!?
Coming soon!!!
※ホール型。1チーム6人のゲームです。
プレイの制限時間 分。
*
「蹲踞のとき、ふらつくな」
たよりない腰を、竹刀の先で押さえつけられる。
しゃがんだ姿勢の少女は、顔だけ後ろを向いて笑った。
「光さん。あいかわらず厳しい」
「――あのな。いくら型が綺麗にできたって、蹲踞で減点になることもあるんだぞ」
「はい」
素直な返事。
少女は、師範役の雷宮光を小動物めいた目で見上げる。
稽古後の個人練習中につき、他に門人はいない。
「……光さん。道場辞めちゃうんですか?」
「辞めはしないよ」
手ぬぐいをかぶった頭をさらりと撫でる。
「しばらく休ませてもらうだけ。落ち着いたら戻ってくるから」
本当は、辞めるつもりだった。
最近は塾のせいで休みがちだったし、無事大学に受かっても、それからの生活環境は未知数だ。これまでどおりに通えるかは分からない。
道場主にそう伝えたが、『何も辞めなくても』とやんわり拒否された。幼い頃から指導してくれている師範だけに、無理は言えない。
「ところで、今日、空野は? 稽古で見かけなかったけど」
「楓くんなら、イベントモニターの仕事があるから休みだって」
「……」
アイツめ。
お調子者の後輩を思い浮かべ、光は道着の腕を組んだ。
「あ、若先生」
少女の視線の先、道場の戸口に、田雲政宗がいた。
道場主のご息子だ。柔和な表情を浮かべながら、歩みよってくる。
「練習中に悪いね」
「……なんだよ」
ろくに指導もしないのに、“若先生”とは良いご身分だ。そんなことを思いながら、光は、猫のような瞳で田雲を睨む。
「終わったらちょっといいかな。しばらく道場に来ないんだろ? 忘れ物を渡しておきたくて」
「忘れ物?」
あからさまに嫌そうにする光に近づいてきて、ささやく。
「僕の部屋に忘れた君の、だよ」
「…………」
眉を寄せた光は、あきらめたように息を吐く。そして、
「わかった。着替えてから行く」
ぽかんとして見上げてくる少女に、「またな」と優しく微笑んだ。
*
円状に空いた吹き抜けは、まるで未来都市のよう。
ふだんから人混みは避けて生きている。水無月日向は、階上から見下ろす光景にめまいがした。
さすが休日のショッピングモール。すごい人混みだ。
「――なあ、光は?」
エスカレーターの一段下から、パーカーの袖をひかれる。
水無月陽太が、日向とよく似た顔の、白い頬を膨らませている。
「光なら、道場に寄ってから来るって。さっき連絡あったよ」
「えーっ、光に会えると思ったから来たのに!」
先頭にいる、野巻アカネは、赤フレーム眼鏡の奥の目をぱちくりさせる。
「陽太くん、光のことが好きになったの? いつの間に!?」
「くそ、来て損した」
「こら陽太」
たしなめたのは、兄の日向ではなく、幼馴染の宮西カナ。
「……なんかコイツ、巨乳派から美乳派になったって宣言して」
げんなりした表情で日向がいう。
「ちょっ、日向くんも! そういう解説いらないから!!」
陽太の一段下にいるカナは、華奢な肩を落とす。「すみません野巻先輩。……私と陽太まで付いて来ちゃって、ほんとに良かったんですか?」
「むしろ大助かりよ。チーム戦だからね、人数が必要だったの」
わざとらしくウインクすると、アカネは感心したように呟く。
「それにしても良いわね、光。兄弟から同時に好かれるって、ティーンズラブコミックの設定みたいじゃん!」
「……何の話ですかそれ」
イベントモニターやらない――?
その誘いを受けたのは、金曜日の放課後である。
ショッピングモールのイベントとして開催予定の〈体感型・脱出ゲーム〉。正直、その手のゲームに興味はなかったが、一緒にいた光が「いいよ」と承諾してしまったため、半強制的に日向も参加することとなった。
「はあ」
ひとり浮かない表情を浮かべているのは、最後尾の空野楓である。
「師範代、稽古に出たのか。最近来ないから、今日も休みだと思ったのにさ。これじゃあ、オレだけがサボったことに……」
「そんなに光のことが怖いの? 大丈夫よ、アタシが味方してあげるから」
「ほんとですか!?」
「そりゃそうよ。こちらが無理に誘ったんだから」
グーにした手を挙げて、「まかせて」と胸を張るアカネ。
「よっしゃ! 脱出ゲーム、たのしみだなー!!」
楓はからりと元気になる。
この単純なところが、彼の長所であり短所である。
4Fの《アミューズメントフロア》に到着し、激混みのゲームセンター、さらに、献血ルームを抜けていくと、
「――ここよ」
《イベントホール》と銘打たれた扉には、〈準備中〉の張り紙がされている。一般客には閉ざされているエリアに、アカネは悠々と入っていく。
「パパ、連れてきたわよ」
薄暗い室内。
まず、目に飛び込んできたのは、深夜の闇のような暗幕。
暗幕の黒に紛れるように、ブラックスーツの男性が仁王立ちしていた。
「やあ、よく来てくれたね」
しぶいバリトンの美声。
パパ、と呼ばれた男――野巻清兵衛は朗らかな笑みで、一同を出迎えた。鼻の下のチョビ髭が印象的だ。
“黒ひげ危機一発”を上品にしたらこうなるんじゃないか? そんな連想を日向はした。
「うちのパパ、イベント企画の会社を経営してるの。今回のゲームはね、パパが直々に企画したのよ」
「君たちのことをアカネから聞いてね。ぜひモニターになって欲しい、と私からお願いしたんだ」
小さな目をまばたきして、カナが訊く。「イベントはいつから公開されるんですか?」
「一週間後だよ。プレイの制限時間を細かく設定していなくてね。
君たちの出来次第で、決めようと思っているんだ。無事に脱出できたら、少しだけど賞品もあるよ」
「マジですか!!」
目を輝かせたのは、楓と陽太だ。
「オレ、脱出ゲームけっこう得意なんですよ。スマホとかPCでよくやってるし!」
「おれも!」
野巻氏はわずかに表情を緩ませた。
よく整えられたチョビ髭を触りながら、
「そういう人にぜひ試してもらいたいと思ったんだ。健闘を祈るよ。……ん?」モニターたちを見回す。「ひとり足りないね?」
「光よ、光。寄り道するから遅れるって。ここの場所は伝えてあるから、来たら入れてあげて」
想定外の報告に、野巻氏は「うむ」と唸った。
「……まあ、なんとかなるだろう」
暗幕の隙間に手を差し込み、左右に開く。
「さあ、どうぞ」
シャーロックホームズの世界に登場しそうな、古めかしく洒落たドアが出現する。
目を凝らして見ると、それは、板に描かれた“扉の絵”だった。本物かと見紛うほどに精巧だ。
ドアノブ付近に、南京錠が付けられている。その箇所だけ妙に現実めいている。野巻氏が扉を開いた。
「『交差点からの脱出』にようこそ。――君たちのゴールはひとつ。扉の鍵を発見して、こちらに戻ってくることだ」
交差点、だって……?
日向は首をひねる。ドアの隙間からは、交差点どころか、暗闇ばかりで何も見えない。
「よっしゃ!」「あ、おれが先だよ」
黒ひげ社長に誘われるまま、勢い込んだ楓と陽太が入っていく。
続いて、カナと日向が、最後にアカネが「いってきまーす」と手をひらひらしながら入る。
「君たちの柔軟な脳、その閃きに期待しているよ」
美声が響き、扉が閉ざされる。
わずかに入り込んでいた光が遮断され、必然的に、暗闇が訪れる。近くにいたカナが怯えたように腕を掴んできた。
かちゃり、と――。
闇のなか、南京錠の鍵がかけられる金属音が、容赦なく響いた。
Game start!!
次話からいよいよゲーム開始です。
画像アリなので、データ重かったらすみません。




