7-11 延長デートする?
「誰かを殺したいほど憎んだことなんて、今までなかったの」
いっそ清々しいほどの潔さで――。湖多美ユキが独白をはじめた。
「紫藤の名前を伝えたときの、叔母さんのこわばった表情。それだけで、良好な関係じゃないっていうのは充分にわかった。なのに会うって言うから……土間に広がる血の海を見たときの、私の気持ちわかる?」
ふっくらした唇が噛みしめられる。
「ほら、やっぱりこういうことになった、と思ったの。
靴箱の上のコケシを掴んでおそるおそる襖を開けたら、叔母さんが倒れていて。あの男は〈奥の間〉で、こちらに背を向けて半纏をはおるところだった……音を立てないように近づいて、コケシで殴りつけたの、思いっきり! ――その瞬間、目があった」
華奢な肩を上下させて、ユキは吐息をもらす。
溜め込んでいたものを吐き出すような、そんな爽快感さえ感じられた。
「〈奥の間〉の窓を開けておいたのは、ほんの思いつきだった。犯人は外から侵入して、そこから逃げて行ったと思わせるように――でも」
日向をちらりと見て、
「逆効果だったみたいね。土間から出るとき、血が拭かれていたことにも気づかなかったし……推理小説に登場する犯人って、なんてマヌケだろうって思ってたけど、私も同じね」
皮肉げに笑って、すぐ表情を引き締める。
ゆっくり立ち上がると、黒部の方に歩を進めた。
「まもなく、あの男の口から私のやったことが暴かれるのだし。自分から証言するわ」
「ユキ姉ちゃん、待って――黒部さん」
日向はユキを制して、黒部に詰めよる。
「湖多美倫代さんを襲った犯人が紫藤だということは、もう確定しているんですか」
彼の剣幕に、中年の巡査長は少したじろいで、
「そういう方針で捜査は進められているが、本人の証言を聞かないことにはなんとも」
無精髭が伸びた顎を撫で、うぅむ、と唸る。
「――あの、防犯カメラに映ったナイフを購入した男。紫藤の部下と思われる彼が名乗り出て、自供してくれれば容疑も固まるんだが」
と、黒部はロビーの自動販売機の前にいる三人の男性を見やった。
皆、似通った長身痩躯の体型だ。離れたところから見ると、誰が誰だか見分けがつかないほどに。まだ帰宅が許されていないのか旅館の浴衣のままで、赤、白、茶の手ぬぐいをそれぞれ首に下げている。
そのうちのひとりが、自販機のボタンを押した瞬間、日向は動いた。
「あなた、左利きですね?」
取り出し口から飲み物の缶を取ろうと屈んでいた男が、「えっ」と振り返る。
「食堂でも、テーブルの一番左端に座っていた。僕もそうだからわかるんです。左利きの人間は並んで座るとき、利き手の自由を効かすため左端に座りたがる」
赤い手ぬぐいの男は、不審げに面長の顔を歪めている。
かまわず、日向は指摘した。
「――あなたですね、ナイフを購入したのは」
「はあっ!? いきなり何を言って」
「レジでは気を付けて右手を使っていたのかもしれない。――でも、それ以外では? 商品を物色しているときは? それを手にしたときは? 防犯カメラが設置されているのはレジ回りだけじゃない」
「だから……なんのことだか……」
平然としていた男の顔色がにわかに怖気づいていく。
「紫藤マサルさんの意識が戻りましたよ」
その一言で、あきらかに赤手ぬぐいの男は狼狽をみせた。
日向は相手を正視したまま追い詰める。
「このまま黙っていても良いんですか。もしかすると、彼は、自分の都合の良いように事実を変えて証言するかもしれない。たとえば、あなたの方から殺人を提案してきた、とでもいうように」
男は目をかっと見開いて、缶を持っていない方の手で頭を抱えた。
「そんなわけあるか! 俺は、アイツにっ……くそっ!!」
「何やってるんだ!?」
突然我を失ったような悪態を吐いた紫藤の部下に、周りが騒然となる。不穏な空気をさとった黒部が慌てて駆け寄ってきた。
日向は無感情な調子でさらに言い放つ。
「土間の血を拭いたのはアナタですか」
「俺は……何も聞かされていなかったんだ。でも、奴が俺に購入させたナイフで何をするつもりなのか気になって……宴会場に戻ったら戸口に大量の血が……!
怖かったんだ、自分が買ったナイフが殺人に使われたなんて! だから、すぐ発見されないように、大浴場にあるタオルで血を拭き取っておいた。仕事のミスを何度か揉み消してもらっていて、アイツに逆らうことは出来なかったんだよ……」
黒部に抑えつけられた男は、苦しげに弁明した。こうして血染めのタオルが、黄田川のカートに放られることになったのか。
告白を終えた紫藤の部下はガクリとうなだれた。
「なんてこった――」
黒部がボサボサ頭を掻きまわす。
「くわしく話を聞かせてもらおう」
「何の騒ぎです!?」
重要参考人を拘束した巡査長に加勢がやって来た。白原刑事である。
黒部はうすらと笑って、
「しゃらくさい説教は止めてくれよ。防犯カメラに映っていた人物が特定できたところだから
「なんですって!? ああ、そうだ、湖多美さん」
白原は派手に驚いた後、思い出したようにユキを呼んだ。
呼ばれた本人はびくりと体を震わせる。
「叔母さんの意識が戻ったよ」
まるで夢から覚めたように、ユキのつぶらな瞳が見開かれる。
「腹部に腰痛ベルトを巻いていたおかげで、傷が致命傷にならずに済んだようだ。大量出血で一時は本当に危なかったようだが」
「あ……」
白い手が口元を覆う。
「腰痛ベルト……私がプレゼントしたやつだ」
秘め事のように呟いたユキは、間近にいた光に肩を抱かれた途端、子どものように泣き崩れた。
*
「ユキ姉ちゃん!」
警官に付き添われ、玄関ロビーで靴を履きかえていたユキが振り返る。
「小学生のときは無理だったけど、中学に入ってから読んだよ。XからZの悲劇まで」
日向の言葉に、ユキは色白の頬を緩ませ首をかたむける。
「どうだった?」
「面白いって……思ったよ」
「そう」
ユキは満足げに微笑むと、今度は、光にむかって頭を下げる。
「色々とご迷惑をかけました。私がこんなことを言う資格はないけど、日向くんのことよろしくお願いします。――日向くん昔、私のこと好きだったんですよ」
回想するようにユキはしみじみと、
「学校でもずっと私のそばを離れなくて。ずっと手を繋いでいて、ってせがまれて。私が友達とお喋りしているのにも嫉妬して、『僕以外の子と話さないで』って。あのときは『じゃあどうすればいいのよ!?』って逆ギレしちゃったけど。今でも時々思い出すんです、ほんと可愛いかったなぁって」
聞かないフリをしていたらしい黒部が、「ほおぉ」と下世話そうな呻きを漏らした。
日向は両手で顔を覆っている。やがて光が呆れたようにコメントした。
「……女性恐怖症のトラウマ、ね。わりに大したことなかったな」
うつむいたまま日向がなげく。
「僕は今、この瞬間が新しいトラウマになりそうです」
さようなら。
冬の終わりの淡雪みたいに、やわらかで儚げな声が聞こえて、ふたりは振り返る。
手を振りながら去っていく湖多美ユキは、口元に晴れやかな笑みをたたえていた。
*
『続いて、北海道の気象情報です。これから、明日にかけて北日本の日本海側を中心に非常に激しい雷雨のところがありそうです……』
わずかなボリュームで流れるラジオの音声は、ここちよい眠りを誘う。
結局というか、当然というべきか。帰りの観光バスに乗車できなかった。割り勘で乗るにしても、高級すぎるタクシーの後部座席で、日向と光はぐったりとシートにもたれていた。
光は流れていく山々の景色に飽きて、日向を見やる。
日向は両腕を首の後ろに回して目をつむっている。疲弊したように――それもそうだろう。色々なことがあり過ぎたから。
「ひとつだけ分からないことがある」
光の問いかけに、日向はまぶたを薄く開けた。
「――防犯カメラの男を特定できた理由」
先刻の場面、台詞をひとつひとつ追想しながら、光は小声でいう。
「左利きがどうこう言ってたけど――本当か? 防犯カメラの映像なんて見ていないだろう」
迂闊すぎるお巡りさん、黒部とはいえ、さすがにそこまではしてくれなかった。それなのに――
「さすがです。よくわかりましたね」
日向は前を向いたまま、薄い唇の片端を上げた。その不敵な表情に、光はぞくっとして、
「よくわかりましたね、って……まさか、当てずっぽうだったんじゃ」
「まったくの当てずっぽうではないですけど。半分は“神頼み”です」
コートのポケットから紙片を取り出す。
それが何か理解するなり、光は眉間のしわを深くした。温泉街行きのバスで拾った、〈大凶〉のおみくじではないか。
「ほら、ここにある最後のお告げ」
【ラッキーカラー 赤】
「長身痩躯の男性たち。それぞれ、赤、白、茶のタオルを首に巻いていたでしょ。だから、このお告げに頼るしかない! と思って」
「ラッキーカラーが赤……。だからって、赤手ぬぐいの男!?」
信じられない、といわんばかりの光に、日向はニンマリと笑う。
「大凶でも悪いことばかりじゃないですよね」
「っ、おまえ馬鹿か!?」
つい声を荒げて怒ってしまう。
雪道を安全運転していた運転手がビクリとして振り向いた。
我にかえった光は声をひそめて、
「……無茶するな。相手が認めたから良かったようなものの、間違ってたらどうするつもりだったんだよ?」
「そのときは、土下座です。僕まだ高校生だし、全力で謝れば許してもらえると思って」
開き直ったような態度の日向に、光はポニーテールの頭を抱えた。
お願いします、と託された少年が、こんなに無鉄砲極まりない存在だったとは――。
「ご利益を貰ったことだし……。このおみくじ、さっそく神社に結んでいこうと思うんです。だから、一緒に付き合ってもらえませんか」
臆面もなく、そんな懇願をしてくる。
ほんとは凄く疲れているし、真っすぐ家に帰りたい気分なのに……。光は深々とため息をついた。
「いいよ。大学の合格祈願も兼ねて、付き合ってあげる」
やっぱり神宮へお願いします、と運転手に告げた光に、「ありがとうございます」と日向は破顔した。シートに投げ出していた光の手に、そっと指を絡めてくる。
「……ひなた?」
意外な行動に驚いて顔を覗き込むと、照れたように窓の方を向いてしまった。
光は、その淡く染まった耳朶に、唇が触れるほど寄せてささやく。
「昨日の夜、言ったことを覚えてないってやつ――あれ嘘だろ?」
ますます赤くなった頬と耳朶に満足して、光は、つながれた指をきゅっと握り返した。
(to be continued...)
シリーズ最長のエピソードでした。お読みいただき感謝感謝です。
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