7-9 ミステリ好きに贈る謎解き【解決編2】
高い位置で結った艶やかな髪。
凛とした顔貌、姿勢の良いしなやかな肢体、すんなり伸びた脚。
湖多美ユキは、食堂から出てきた少女に羨望のまなざしを注いでいた。
そっけない作業着姿の自分とは違う、あでやかな容姿。
少女の後ろから、見おぼえのある少年が出てくる。ふたりともコートを羽織って、お土産の紙袋を下げて、どう見ても帰り間際の泊まり客だ。なぜ食堂から出てきたのかは謎だが。
その少年――水無月日向は、ユキに気が付くと、ぎこちない笑みを浮かべて手を振ってきた。
*
「ごめんね。忙しいのに」
「ちょうど休憩時間に入ったところだから」
午前10時半の旅館ロビーは、日帰り温泉客が入り始め、騒がしくなってきていた。
長椅子に座った三人の横を小さな男の子が奇声をあげて走り抜けていく。
「前に来たときも思ったけど、良い宿だな」
荷物のあいだで脚を組みかえながら光がいう。
「内装もキレイで清潔だし。働いている人たちも活気にあふれてるっていうか」
「皆、忙しくて必死に動いてるだけなんですけど。でも、ありがとうございます」
「ユキ姉ちゃん、叔母さんは?」
遠慮げにたずねてきた日向に、ユキはしずかに首を振る。
「まだ意識は戻っていないって」
「――実は、事件のことを考え直してみたんだ」
「え?」
突然切り出された話題に、ユキは間の抜けた反応をしてしまう。
「ユキ姉ちゃんはどこまで知っているのかな。叔母さんが、もうひとりの被害者、紫藤マサルさんに襲われたらしいってことは」
「……叔母さんと紫藤さんの間に、過去に何かトラブルがあったんじゃないか、って警察に聞かれたわ」
動揺を隠せないまま答える。
ユキを見つめる大きな瞳は幼い頃のそれとは違って、彼女が知らない深い色を帯びている。
一方、日向の横に座る光は、唇を一文字に結び、床に視線を落としていた。ちぐはぐな光景に、なぜだか背筋がふるえた。
これから一体何がはじまるんだろう――?
「今回の事件は不思議だらけだ。現場の状況も不自然だったけど、それ以前に、不思議なことがある。
紫藤マサルが犯行を決意したのはいつの時点だったか――ということだ。ちなみにそれは、旅館を訪れる前のことではない」
ユキは丸みのある唇を開く。
「凶器をこちらに来てから購入してるから」
掠れた声で返すと、日向は無言のままうなずいて、
「購入した人物は、変装していたようだけど防犯カメラにバッチリ姿が映った上、彼の部下が疑われてしまっている。とても計画的とは思えない」
これは想像だけど、と続ける。
「警察が疑っているように、叔母さんと紫藤さんには過去に何かあったのかもしれない。どちらかが殺意を抱くほどの何かが。いずれにしても、彼はこの旅館を訪れてかなり早い段階で犯行を決意している」
「早い段階で……?」
「防犯カメラに凶器を購入する男が映っていた時刻は午後4時。チェックインしてから、わずか一時間後だ」
光がひそかに息をのむ気配がした。彼女は話の内容を伝えられていないのか。
「たった一時間で、彼に何が起きたのか。叔母さんと会って話をしたのか、いやそれはあり得ない。なぜなら叔母さんは昨日はずっと」
「厨房で働いていた……」
腰痛を理由に本来の客室担当を外れていたのだ。
「さっき食堂で聞いたんだけど、叔母さんが厨房を離れることは無かったみたい。昨日は昼前から夕方まで混んでいたし、仕事を抜け出す余裕はなかったって。休憩やトイレも奥にある従業員専用のものを使っていたらしい」
ユキは驚いたというか呆れてしまう。食堂から出てきた彼らはそんなことを確認していたのか。
「じゃあ、他に何があったのか? 叔母さんに会うことなく、『湖多美倫代さんがこの旅館にいる』という確実な情報でも掴んだのか。旅館に着いてから一時間でどうやって? ――で、これだ」
手の中に握っていた、メッセージカードを見せつけられる。
【いらっしゃいませ 本日は当旅館にお越しいただきましてありがとうございます どうぞゆっくりとお過ごしくださいませ お客様のお部屋は 湖多美 がお掃除させていただきました】
――〈湖多美〉がお掃除させていただきました。
「客室に置いてあったメッセージカード。失礼な言い方かもしれないけど、佐藤や鈴木なんかと違って、湖多美はそうそうある苗字じゃない。かなりめずらしい部類に入る。これを目にした紫藤さんが、この客室担当の仲居が〈湖多美倫代〉さんである――と考えても無理はないんじゃないかな」
実際に、日向もこのカードを見て、湖多美ユキが旅館にいることを察したのだ。
「叔母さんがここにいることを確信し、犯行を決意した彼は凶器の購入を部下に頼んだ。これが午後3時にチェックインしてから、午後4時までの出来事」
おとぎ話のように締めくくって、薄い唇を撫でる。
「でも、これだけじゃ不十分だ。彼女と会う約束をしなければ目的は果たせないから。
モタモタしていたら、5時から会社の宴会が始まってしまう。彼は叔母さんと接触するため、旅館中を探し回ったのかもしれない。現に食堂でも、配膳係の従業員さんが厨房を覗きこむ不審な男性を見かけている。でも、叔母さんは厨房から出なかった。そこで、彼は“苦肉の策”をとることにしたんだ」
勢いよく喋っていた日向は、つまり、と声の調子を落とす。
「『この部屋を担当している、湖多美という仲居を出してくれ』と。フロントに内線電話を入れた」
ぎゃあーっ、と。
さっきとは違う男の子が騒がしく走り抜けていく。鬼ごっこでもしているんだろうか。今話している内容からすると、喧噪はむしろ都合良く感じられた。
「この旅館は人手が足りなくて、ひとりがいくつもの仕事をこなしている。ユキ姉ちゃん、そう教えてくれたよね。チェックインのとき、鳴りっぱなしだったフロントの電話をユキ姉ちゃんが取っているのを見かけたよ」
少しの間が空く。あなたは何を言いたいの、そんな風にユキは日向を見つめ返す。
「つまり――ユキ姉ちゃんは、紫藤さんからの電話を取ったんじゃないかな? 『雪の間での宴会後、話をしないか。俺は酔いつぶれたふりをしてその場に残るから』――詳細はわからないけど、とにかくそんな内容の伝言を受けた」
「……ようするに」
ユキは膝の上に乗せていた手をきゅっと握る。
「私は、叔母さんと紫藤が宴会後に会うことを知っていた――そう言いたいわけね」
そこで、おもむろにユキは、嘲笑った。ただ不安げだった表情がわずかに、しかし、確かに変化した。
「――ねえ、覚えてる? 私ね、推理小説とか好きなんだよ」
「覚えてるよ。XとかYの悲劇って貸してくれたのユキ姉ちゃんだし」
日向は微かにウンザリしたように返す。
「さっきの推理だけど……弱い、かな。特に、私が内線電話を受けたっていうくだり。全然、空想の域を出ていない。そうねえ」
ユキはふっくらした頬を撫でる。
「叔母さんと紫藤は過去になにかの因縁があったかもしれない。叔母さんには不安定な時期もあったし、そういうこともあったんじゃないかって覚悟はしてる。だから、ふたりには繋がりがあった――としたら、連絡先くらい知っていてもおかしくないんじゃない? 内線電話なんか使わずに、じかに連絡がとれた」
日向はゆるりと首を振る。
「その可能性も否定できないけど、たぶん違う」
「根拠は?」
「凶器を部下に購入させているから。〈協力者〉の存在は便利だけど、犯罪が露見するリスクも高まる。協力者から責められてバラされたらアウトだ」
ユキは油断のない眼光で先をうながす。
「そんなリスクを冒してまで、なぜ他人に買いに行かせたか――彼にはどうしても〈やらなければいけないこと〉があったからだ。さっきも説明したけど、湖多美倫代さんと接触すること。連絡先を知っているなら、こんな危ないことはしないと思う。……彼がそこまで急いでいた理由は謎だけど。翌日のチェックアウトは11時だから、前日のうちに決着をつけておこうと考えたのかもしれない」
「また空想の域に入ってるけど、いいわ。携帯電話の番号を知っていたとしても、過去にトラブルがあった間柄なら、番号を変えるか、着信拒否に設定している可能性が高いからね」
自らの問題提起を簡単に否定して、ユキは肩に手を置いて首を回す。
「教えてあげようか。紫藤からの伝言を受け取ったのは、私よ。直接電話に出たのは事務員さんだけど、『仲居の湖多美を出せ』と言われたから、引き継いだの。私は聞いた内容を叔母さんに伝えた」
「じゃあ、ふたりが宴会後に会うことを知っていた。それは認めるんだね?」
「さっき警察にも証言してきたことよ」
日向がほっと息を吐くのを見て、ユキは意地悪な笑みを浮かべる。
「――でも、それが何だっていうの。まさかこれで終わりってわけじゃないでしょ?」
「そういえば、ユキ姉ちゃんに謝らなきゃと思ってたことがあるんだ」
弱ったように頭を掻きながら、昔馴染みの少年がいう。
「あのとき貸してくれた推理小説だけど、実は……全然読まないまま返してたんだ」
「まあ」
あけっぴろげな告白に、ユキは憮然として眉を寄せた。
日向は小さく舌を出す。
「だって、エラリー・クイーンとかさ。小学生には難しすぎるよ」




