7-7 半纏ロジック【解決編1】
「湖多美倫代を刺したのは、紫藤マサル、だって――?」
「はい」
ひとしきり首をひねった後、黒部巡査長は眉間に皺をよせた。糸のような目がさらに細くなる。
「何故そうなる?」
「『半纏』を羽織っていたからです」
しれっと答えた日向に黒部は頬を掻きながら、
「だからさ、どうして紫藤マサルが発見時に半纏を着ていたイコール湖多美倫代を刺した――ってことになるんだよ」
「正確にいえば、その可能性が高いってことですけど。雷宮先輩もわかりませんか」
むすっとしたまま黙っている光に、日向は弱ったように頭を抱えた。
「うーん。どう説明したらいいんだろう……ええと、そうですね、じゃあまず確認から。
紫藤さんは、酔いつぶれて〈奥の間〉に寝かされた時点では、半纏を着ていなかった。――が、事件の発見時には、半纏を着ていた。状況からして、それは本人が着たものに違いない」
うどんの汁が染みついた制服を着た黒部が、こくこくと頷く。
「ここで問題提起します。眠っていたはずの紫藤さんは、いつの時点で目覚めて半纏を着たのか? 【1、湖多美倫代さんが襲われる前(事件前)】、【2、事件の最中】、【3、事件後】――どのタイミングでしょうか」
「ちょっと待った」
両手を『T』、タイムの形にして黒部が口を挟む。
「湖多美倫代だけじゃなくて、紫藤マサルも襲われているんだから。併せて考えないといけないんじゃないの?」
「わかります、わかりますけど」
日向は小刻みに頷いて、
「今は、湖多美倫代さんに焦点をあてて、話をさせてもらえませんか」
不満げに顎を引いた黒部に、「では」と説明を続ける。
「湖多美さんを刺した犯人は別にいて、紫藤さんは事件に関係ない被害者――と“仮定”します。
酔いつぶれて眠っていたはずの彼は、いつの時点で目覚めて半纏を着たのか?
まずは、【1】のタイミング――湖多美さんが襲われる前だった、とします。〈奥の間〉で寝かされていた彼は目を覚ます。その後、どんな行動を取るでしょうか」
日向は、光と黒部を交互に見やる。
「そうだな」
黒部が一息吐いて、
「寝かされていた部屋の電気は消されていただろうし、宴会の後片付けをしている隣の〈雪の間〉を覗いてみる、ってのが寝起き一番の行動じゃないのかね。仲居さんにあいさつでもするだろうさ――『いやあ酔いつぶれてしまったようで、エライすいません』」
急に芝居がかった声色になる。
「『いいえ。気持ち良く酔ってらっしゃったようで』『いや面目ない。ところで私の半纏はどこに?』『そちらの部屋に掛けておきましたよ』『すみませんね……よっと。ほな、お疲れ様です』――退室、と」
ひとり芝居を終えた黒部に、日向は大喜びで拍手する。
「すごいすごい! 素晴らしいです、黒部さん! 僕の想像していたとおりの展開です」
「へへ、オレ実は落語が趣味で……って、お巡りさんに何やらすんだよ!」
「なるほどな」
傍観していた光が独りごつ。
「事件前に目覚めたなら〈雪の間〉から去っているはず、ってことか」
日向は満足げに頷く。
「『半纏を着る』ことができるほど覚醒したなら、〈雪の間〉を出て、さっさと部屋に戻るでしょう。会社の仲間たちも客室に戻っているし、宴会場に留まる理由はありませんから」
「姪っ子のユキちゃんならまだしも、オバチャンの仲居相手に居続けるのもな」
さらりと不謹慎なことを言う黒部。
「犯人にしても、二人でいるところを襲うとは考えにくいですしね。次に進みましょうか」
二本目の指が立てられる。
「【2】のタイミング――湖多美さんが襲われている最中に目覚めた。この場合はどうでしょう」
探偵役から期待に満ちた瞳を向けられた黒部は、少し身を引く。
「襲われている最中って、隣の部屋でドタバタやってるところで目が覚めたってこと……? そりゃあ、寝起きで訳がわからないままパニックになるんじゃないか。オレだったら、騒動が収まるまでじっとしてるな、うん」
「助けに踏み込まないのか、警官のくせに」
完全に黒部を敵視している光。
「う、うるさいなあ! ――まあ今のは冗談として。『踏み込む』か『逃げる』かだな。〈奥の間〉の窓からも外に脱出できるわけだし」
日向は納得したように相づちをうち、さらに意見を求める。
「【2】のシチュエーションで、『半纏を着る』という行動が想定できましたか」
黒部はぶんぶんと首を振る。
「そんな余裕ないだろ。まずは落ち着いて半纏を着て――って、んな悠長な! そんなことしてる暇あったら、逃げるよマジで」
「やっぱり逃げるんだ」
「だからァ……頼むからオジサンを苛めるのは止めてくれないか」
光と黒部のやり取りを日向は苦笑しながら、
「騒動が収まるまで、じっとしている場合も同じですね。〈雪の間〉を覗いて、刺されている湖多美さんを発見したら、善意の人間であれば、すぐに誰かに知らせるか通報するはずです。
まずは半纏を着て――というのは想定しづらい。紫藤さんの半纏は、彼が眠ってから仲居さんが気を利かせて掛けたものだから、どこに在るか直ぐにはわからなかったはずですし。旅館の半纏にそれほど執着があるとも思えませんから」
日向が言ったことを咀嚼するように、二人はゆっくりと頷いて同意を示した。
妖精が飛び回っているような沈黙の後、三本目の指が立てられた。
「次が最後です。【3】のタイミング――湖多美さんが襲われた後に目覚めた。黒部さん?」
「名指しかよ。しょうがねえなァ」
お調子者の巡査長は、苦みしばった表情になる。
「犯行には気づかずに眠っていた、ってことだろ? でもなあ、すぐ隣の部屋でドタバタやってたのに眠りこけてるなんてどうよ? や……でも、これ【2】と同じじゃないか。薄暗い〈奥の間〉で目覚めた紫藤は、隣の〈雪の間〉を覗いてみる。刺されている湖多美倫代を発見して、慌てふためいて即通報」
「半纏は?」
光が鋭くツッコむ。
「薄暗い、といっても、続きの部屋が明るければ隙間から射し込む明かりで、半纏を羽織るくらいできるだろう。その後の展開は同じだけど」
「ふむ。実験してみないことにはわからないけど、確かにそうかもなァ」
意見を交わしたふたりは顔を見合わせた後、そろって日向を見やる。
――で?
「そうなんです」
日向は内緒話のように声を低めた。
「いずれの場合も、紫藤さんが半纏をはおるというシチュエーションは想定しづらいですよね。しかもほとんどの場合、無事に〈雪の間〉を脱出できたはず――にもかかわらず、実際には、紫藤さんは襲われているんです」
黒部が、あ、と声を漏らす。
「そうだよ。なんでだ? 【3】なんて犯行に気付かず眠りこけてたのに」
襲われる理由がない。
頬杖をついていた光が、はっとしたように発言する。
「犯人はそうは思わなかったのかもしれない。眠っているフリをしていると勘ぐって、〈口封じ〉のために襲った」
「ありえない話じゃないですね」
でも、と日向はテーブルに両肘をついて、掌をぴたりと重ね合わせる。
「ここで、『ナイフとコケシの問題』です。
紫藤さんが襲われたのに使われた凶器は何だったでしょう? そう――『コケシ』です。雷宮先輩の言うとおり、犯人は〈口封じ〉のために紫藤さんを襲ったかもしれません。でも、凶器が『コケシ』だなんて――変だと思いません?」
「あ、そういやァ」
呆けたように口を開けていた黒部が急にまくし立てる。
「凶器に使われたコケシは、〈雪の間〉にあったものだと断定されたよ。客室にも同じ型のものが飾られているが、描かれている柄がそれぞれに違うんだと。支配人が趣味で集めたものらしい」
「へえ、そうなんですか。ちょっと変わった柄でしたもんね」
お気に入りのワンピースを『コケシと同じ』と評されたことを思い出したのか、光が不機嫌そうに反論する。
「でも、あのコケシなら大きいし重量もある。凶器として選ぶのは、それほど不自然ではないんじゃないか。なあ、水無月くん?」
「……話を戻しますね。たしかに、あのコケシの置物なら、凶器としての条件を満たしているかもしれません。実際に犯行にも使われていますし。でも、やっぱり変なんです。理屈に合わない」
眉間にしわを寄せる光と黒部に、日向は「だって」と続ける。
「犯人の手元には、湖多美さんを刺した『ナイフ』があったんですよ。
刃こぼれもしていない新品同様のものが。絶好の凶器が手元にあったのに、よりによって土間にあるコケシなんかを使うなんて――ね、不可解でしょ」
ゆっくり、と。
さざ波のように、驚愕の色が浸透していく。
「……そうだ。そうだよ! なんでだ!?」
興奮してたずねてきた黒部に、日向は即答する。
「わかりません」
「はっ?」
「僕にもさっぱりです。理屈が通らない。説明がつかない。摩訶不思議だ。――と、いうことは、最初に想定した『仮定』が違うんでしょう」
一度言い切ってから、
「紫藤さんが、いつ目覚めて半纏を着たか。湖多美さんが襲われる前、最中、後――いずれのタイミングでだったか検討してみましたが、どれも実際とは違う結果になりました。一体どういうことなんでしょう。紫藤マサルさんは事件に無関係の被害者である――という最初の仮定《、、》が間違っている《、、、、、、》、と考えるしかありません」
逆説的な考えですけど、と前置きして最後の結論。
「よって、紫藤マサルさんは『事件に無関係ではない』。つまり『事件の関係者である』という結論になります」
「関係者っていうと……?」
喉を鳴らした黒部が先をうながす。
「湖多美倫代さんを刺した実行犯か、もしくは共犯者か」
*
午前9時半を過ぎた朝食会場は、すっかり客が引けて残っているのは彼らだけ。
「そもそもですね、黒部さん」
日向は緑茶で唇をしめらす。
「『半纏をはおる』動作ができるほど覚醒しているのに、〈雪の間〉に留まり続けた――。それ自体が不自然なんですよ。そのことを理解してもらうために、回りくどい説明をしたわけですけど」
「いや……待て。ちょっと待てよ」
うどんを食べた使用済の割りばしを取り出す黒部。
「ちょい待ち、ちょい待ち、ちょい待ち……!!」
向かいの光が顔を顰めるのにもかまわず、箸の先をテーブルに叩きつけまくる。
「そうだ、オレは最初にこう反論しようとしたんだよ! 湖多美倫代が先に刺されたとは限らないんじゃないか? 紫藤マサルが襲われた方が先だったかもしれないじゃないか――って」
割りばしを突き付けてきた黒部に、日向は冷静にかえす。
「犯人の侵入経路は?」
「……紫藤は〈奥の間〉にいたから、その窓から」
「〈奥の間〉の窓に、外から侵入された形跡はありませんでしたね」
事件前には閉じられていた窓は、戸先錠が付いていたのは早朝に確認したことだ。
「む。待て。紫藤自身が、外にいる犯人を自分から招き入れたのかもしれない」
日向は目を丸くする。
「面白い発想です。でも、やっぱり『凶器』の問題が邪魔しますね。外から侵入した犯人は、どうやって土間にあるコケシを手に入れたんでしょうか」
土間にたどり着くには、湖多美倫代がいる〈雪の間〉を通過しなければならない。
「あらかじめ盗っておけば……いや、駄目か。事件の直前まで、コケシは土間にあったことは裏が取れているからな。くそ」
自身に駄目出しをしながら、黒部が孤軍奮闘を続ける。
「――わかった! 窓から入ってきたっていうのは無し無し! 逆だよ逆! 犯人は湖多美倫代とグルだったんだ。堂々と土間から入ってきて、眠っている紫藤をコケシで殴った!」
これだどうだ、とばかりに、黒部が鼻息を荒くした。が――
「犯行はあらかじめ計画されていた、ということですね。ちなみに、黒部さんは、紫藤さんが〈どんな体格かを知っていますか?」
「担架で運ばれていく姿を見たよ。初老の年齢のわりに、体格は良い方だったな」
日向はこくりと頷いて、
「体格の良い男性を襲うのに、凶器が『コケシ』だなんて、ちょっと心許ないと思いませんか」
「……でも、紫藤は眠っていたんだから」
「紫藤さんの飲み食いしていたものに、睡眠薬が入っていたようなことは?」
「?……いや、そういったものはとくに」
「眠っていれば可能だったでしょう。でも、睡眠薬は盛られていなかったようだし、紫藤さんが酔いつぶれて“眠った”のは偶然だったことになります。計画犯罪にしては、随分と荒いというか、運任せ過ぎると思いますが」
「……もういい」
戦意を失った獣のように、ふーっと長い息を吐いて、黒部は力なくうなだれた。




