7-6 ユキの証言
「ちょっと、黒部さん! また余計なことを話しているんじゃないでしょうね」
事件現場前でうろつく高校生の男女を見とがめ、白原刑事が殴りこんできた。
黒部巡査長がへらりと笑う。
「カッカしなさんな。白原君が温泉街交番に卒配されたとき面倒みてあげたじゃない」
「それとこれとは話が別でしょうが!」
呆気にとられている日向の腕を光が引っ張って、その場から素早く離れた。
「ったく、なんの茶番だよ」
ロビーに辿りついたところで、光がついと立ち止まる。
こちらを注視している作務衣姿の少女と目が合ったからだ。湖多美ユキだ。光に会釈してきびすを返す。
「待って!」
呼ばれたユキは不審そうに日向を振りかえる。
「ユキ姉ちゃん――ちょっと聞きたいことがあるんだけどいいかな」
*
「大丈夫?」
泣きはらした瞳をしたユキは、たよりなげに頷く。
大丈夫じゃないに決まっている。
ナイフで刺された叔母を発見しただけでなく、容疑者として取り調べを受けていたのだ。心労は想像するに余りある。わかってはいるが、他にかける言葉が見当たらなかった。
「両親が亡くなった後、私を引き取ってくれたのが叔母だったの」
ぽつりとユキが話し出す。
「叔母さん、昔は職を転々としたり、外国にふらっと出かけたまま帰ってこなかったり。自由奔放だったけど……私を引き取ってからは真面目に働いてくれてた。倫代叔母さんが亡くなったら、私」
語尾が涙声でかすれる。膝の上で白い手がぎゅっと握られた。
「先に部屋に戻ってる」と光が去った後、日向とユキは、ロビー隅にある長椅子に並んで腰掛けた。
早朝のロビーは静かで、ガラス張りの窓の向こうに雪化粧した日本庭園がのぞめる。
「それにしても久しぶりね」
目尻の涙をぬぐってユキが顔を上げる。
「小学生のとき以来だから、もう六年ぶり? あの頃から整った顔立ちだったけど、今も変わらないね。アイドルみたい」
わざと茶化した言い方をするユキに、日向は思いきって本題を切り出した。
「ユキ姉ちゃん。叔母さんを発見したときのことを教えてくれないかな」
「どうして、そんなことを?」
ふっくらとした頬が引きつる。
「……まさか叔母さんを刺した犯人を突き止めようとしているの?」
「突き止められるか、は分からないけど――気になるんだ」
ユキは愛嬌のある目を丸くした後、吹き出した。
「変わらないね、日向くんのそういうとこ。うちで飼ってた小鳥が逃げたときも、隣町まで探して見つけて来てくれたよね」
「そんなことあったっけ」
不器用に言葉を交わすふたりの前を、巨大なランドリー・カートが通り過ぎる。
押し主の男性が、ユキに向かって軽く手を振っていった。頭髪に白いものが混じっているが、身体は無駄なく引き締まっている。
「――クリーニング担当の黄田川さん。庭師で、冬場は除雪もこなしている」
「働き者だね」
颯爽とした後姿を見やりながら、日向がつぶやく。
「この旅館、人手が足りないのよ。二年前に経営体制が変わって従業員が減らされたの。でも改装したおかげかお客さんは増えて。ありがたいんだけど毎日てんてこまい。週末は旅館の泊り客も多いし、特に忙しくて……あ、いえ、ご利用ありがとうございます。
でも、部屋数はそれほど多くないから、客室係は私と叔母さんと、もうひとりの仲居さん――緋川さん――の三人で担当しているの。昨日は叔母さんが腰を痛めて、緋川さんと二人でこなしたけど」
ひとつ息を吐いて作務衣の袖をまくる。
「叔母さんヘルニア持ちだから。布団の上げ下ろしが辛いっていうんで、客室担当は外してもらったわけ。宴会の片づけに入るまで、食堂の厨房で働いていて」
午後五時から〈雪の間〉で催された宴会。
表情を曇らせたユキに日向が訊く。
「宴会が終わったのは、何時頃だったの?」
「八時少し前だったかな。課長さんが酔いつぶれて早めにお開きになったみたい。体格が良い人だったから、〈奥の間〉に運ぶの大変だったわ。少人数の宴会だったし、テーブルはすぐに片付いたんだけど。部屋の清掃のために、叔母さんだけが残って――」
後ろめたそうに目を伏せ、白い手を擦りあわす。
「食堂の方が忙しくて、緋川さんとそちらに戻ったの。私が一緒に残っていれば、叔母さんはあんな目に遭わなかったかもしれない……」
「でも、ユキ姉ちゃんが発見したのが早かったおかげで、おばさんは助かったんだよ」
まだ意識は取り戻していないらしいが。深くうつむいてしまったユキに、日向は励ますように言った。
「叔母さんの腰の具合が気になっていたし。それに――」
昨夜のことを思い出しているのか、おぞましげに口に手をやる。
「土間から廊下に血が流れてきていたの……それで、部屋に入ったら叔母さんとお客さんが倒れていて……隣の事務室ですぐに通報した」
その後の詳しい状況は、さすがに聞きかねた。仕事に戻らなくては、というユキをロビーで見送ることにする。
「ねえ。さっき一緒にいた人、彼女さん?」
「……まあ、うん」
照れたように頷いた日向に、ユキは「やっぱり」と笑う。
「宿泊帳には〈姉弟〉ってあったけど、おかしいと思ったの。日向くん、弟しかいないはずだし」
「――だよね」
日向は脱力して肩を落とす。旅館側にもバレバレだったとは。
「きれいな人ね。スタイルも良くて、凛としているし。私とは、正反対って感じ」
眩しいように目を細めた後、じゃあね、と胸の前で小さく手を振っていった。
*
午前9時。日向の空腹が限界をむかえた時刻。
朝食は松花堂弁当だった。
半個室だった夕食とは違い、広々とした食堂で食べる。泊り客限定の朝食なので、席は半分も埋まっていない。
「お蕎麦です」
大盛り蕎麦に、「うっ」と光がえずく。
弁当だけと思いきや、豚汁や炊き込みご飯が次々と配膳され、ボリューム満点の朝食だった。
光は無言のまま、向かいの大食い少年に蕎麦を押しやる。ときおり白目をむいている日向は、機械的な動作で、お椀を手元に寄せ食べはじめた。
「食べるときくらい、考えるのはやめたら?」
啜った蕎麦を呑みこんでから、すいません、と箸を止める日向。
「まあ、食べ方キレイだから許すけど。で、どうだったの?」
「へ?」
「湖多美ユキさん。――優しい顔立ちの子だな。私と違って」
すねたようにつぶやく光に、日向は少し笑って、
「雷宮先輩だって美人ですよ。ユキ姉ちゃんもそう言ってたし」
「私より胸が大きいのが気に入らないけど」
「……関係ないですよ」
「本当に? 信用できないなぁ、男はみんな巨乳好きの変態だ」
「それはさすがに偏見ですって。あのね、どちらかといえば、僕は――」
「よう」
お盆をかかえた警官が、日向の横に座り込んでくる。
「泊り客の朝食は豪華だね。オレらなんて素うどんだよ」
「まだ帰ってなかったのか」
「どうせ家に帰ってもひとりだしね。朝食でもごちそうになっていこうと思って」
光の嫌味にも動じず、黒部は悠々と食事を始める。
うどんを啜りながら、ときおり斜め後ろを盗み見ている。観光バスを一緒に下りたグループの男女が、ひとつのテーブルに集まり、食事をとっていた。
「〈雪の間〉で宴会をやっていたのって、もしかして、あの人たちですか?」
かねてから気にしていたことを、日向はたずねる。
黒部は団体に視線をやったまま頷いた。
「バレちゃしょうがないか。被害者の部下、彼らも容疑者だよ。動機がないか、ひとりずつ当たってる」
それぞれ浮かない表情で箸を動かしている。慰安旅行が台無しになったどころか、上司を襲った容疑者にされているのだから、当然だろう。
「特にあやしいのが若い男性たち。ホームセンターの防犯カメラに映っていたのが、マスクとサングラスをした長身痩躯の男だったから……くそ、皆にたような風体をしていやがる」
犯行に使われたと思われる凶器を購入する男が映っていたという、ホームセンターの防犯カメラ。その映像のおかげで、湖多美ユキは容疑者から外れたのだ。
「湖多美倫世さんの容体はどうですか」
ユキの叔母さん。日向が思い出したように聞くと、黒部は難しい顔で首をふった。
「まだ意識は戻らないままだ。紫藤も昏睡状態だし……早く目覚めて証言してくれたら一気に解決するんだが」
うっかり被害者の男性の名をもらしたのに気付かず、黒部は「ぐむむ」と考え込んでいる。
「黒部さん、仕事熱心ですね」
日向が褒めると、頬じわが目立つ巡査長はうどんの最後の一本をすすって、おむもろに言う。
「じつは昔から刑事になるのが夢だったんだ。何の因果か温泉街交番に派遣されてはや六年……白原に先をこされるとは……。君は若いだけあって発想が柔軟、というか、機転がきくね」
急に口調がかわった。目をぱちくりさせている日向に続けて、手がかりになるかはわからないが、と前置きをした。
「紫藤の秘書をつとめている女性が、妙なことを言いだしたんだよ」
「妙なこと?」
「紫藤マサルは発見時、浴衣に半纏を羽織っていたんだが――。彼が酔いつぶれて寝てしまったときには、半纏を羽織っていなかったって」
それがどうした、といわんばかりの光に対して、日向は身を乗り出す。
「宴会の後片付けをした仲居に確認したら、たしかにそうだった、と。紫藤を移動させた〈奥の間〉の長押に、半纏を掛けておいた、とも証言している」
光が首をひねって、
「襲った後に、犯人が着せたのかな」
「いや。鑑識によると、被害者の身体を動かした形跡はいっさい無い。他人が着せたということはあり得ない」
「つまり、被害者本人が着た」
日向の大きな瞳がにわかに色めく。
「そういうことになるねぇ。もしかして、何か思いついた?」
自ら話をふったくせにあまり期待していないように、黒部が訊くと、日向は驚いたように口を開いた。
「何か――って。湖多美倫代さんを刺したのは、被害者の男性――シドウさん、ということです」




