7-5 脱・横着者の捜査
やわらかに射し込む朝の光。
目が覚めると、見慣れない木造りの天井が広がっていた。
「んん」
寝たまま伸びをする。ああ、そうか。
旅館に泊まりに来ていたんだっけ。寒気がして身震いすると、パンツしか身に着けていないことに気付く。……なんで?
布団にくるまったまま、昨夜のことを思い出す。
たしか、昨日は。そうだ、事件があった。
殺人事件未遂だ。警官たちに色々聞かれて、それから、それから……
「目が覚めたか」
聞き慣れた凛とした声。
身支度を済ませた光が、微笑みながら近付いてきた。
モノトーンの格子柄ワンピースを着て、髪はいつものようにポニーテールに結っている。
「おはよう、ヒナタくん」
顎に細い指をかけられる。
「……? おはようござ、うわっ!」
挨拶を返そうとしたところ、布団をがばっと捲られて、尻を蹴り上げられた。
「ちょっ、やめて……痛ぅ!!」
もう一度蹴られる。
寝起きの身体に鮮烈な痛みが走った。
「何すんですか! うわっ!」
今度は枕が飛んでくる。
「やめてください! どうしてこんなことっ」
「覚えてないのか」
立ち上がろうとしたら、タイツの爪先で体を押さえつけられた。
腕組みをした光が、鬼のような形相で見下ろしている。ミニ丈のスカートから伸びた美脚の眺めは良いが、氷点下の視線が怖すぎる。
日向は急激に覚醒した。朝っぱらから何てハードな展開だろう。
「自分のしたことを覚えてないの?」
「……した、こと?」
パンツ一枚という自身の姿を再確認して、汗が一気に噴き出てきた。
どういうことだろう?……やっぱり、そういうこと?
「っ!?」
足裏で腹をグリグリ踏まれて、ぐえ、とカエルのような呻き声が出る。乱暴だ。乱暴すぎる。
「……シャワーなんて、浴びにいかなきゃよかった」
「シャワー?」
光がぎりと唇を噛む。よく見ると、その目尻に涙が浮かんでいた。
「まさか、あの一瞬で眠るとはな!!
揺すっても叩いても起きないし! あのあと、私、ひとりで……」
「え?……ああ!」
記憶の断片が蘇ってくる。
もつれあった布団の上で、『ちょっと待ってて』とバスルームに消えていった光の後ろ姿も。
「一瞬じゃないですよ! 10分くらいは待ちました!
でも、その後ドライヤーの音が聞こえてきて、なんだか急に眠気が……」
「ドライヤーの雑音で眠くなるなんて、お前は赤ん坊か!」
「すっ、すいません」
首を絞めてこようとする光から、必死に逃げる。
「昨日は長年の重荷を吐き出せてスッキリしたというか……。自分が何を言ったか、興奮状態であんまり覚えてないんですけど」
「っ、自己満足で終わるな! 体の役目も果たせ!」
「体の役目って……」
自分で呟きながら赤面する。
蹴られた尻をさすっていると、「前の方を蹴られなかっただけ、ありがたく思えっ」と追加で怒鳴られた。前の方。想像しただけで生命の危機を感じる。
「さっさと着替えろ」
脱いだまま散らかしていた服を投げつけられ、日向はのそのそと着替え始める。
「家に電話しておいた方がいいぞ。心配してるといけないし」
光がリモコンでテレビの電源を点けながら、忠告してくる。
「昨日の事件、ニュースで流れてるかもしれないから」
「ああ、そうですね」
鞄に仕舞い込んでいたスマホを起動させると、ちょうど電話がかかってきた。
『おはよう、オレ』
空野楓だった。
『調子どう? 大丈夫か?』
大丈夫、とは。昨夜の事件をニュースで知って、心配して連絡をくれたのか。
「こっちは全然平気だけど。……痛たた」
『どうした? どこか痛むのか?』
「いや、お尻がちょっと」
『――もしかしてSMプレイ?』
「は?」
『うおーっ! たった一晩でそこまでやるか、どうなってんの君ら!? でも、いいなあ、オレも打たれたり蹴られたりしてみた』
最後まで聞かずに、日向は電話を切った。
気が付くと、光も誰かと通話していた。口調から察するに、相手は野巻アカネに違いなかった。
「わかったよ。帰ったら、まるっと隠さず全て報告するから――もうっ耳年増なヤツめ!」
スマホを乱暴に放った光が愚痴る。
お願いだから、まるっと隠さず全て報告はしないでいただきたい。
「先輩。その服、可愛いですね」
シャツに腕を通しながら、日向が云う。
「そう?」
光は少し照れたように、ワンピースの裾をつまんで見せる。
「そこに飾ってあるコケシと同じ柄だ」
「っ、早く顔を洗ってこい!」
今度はタオルを投げられた。
それを避けた日向は、そうだ、と思いついたように提案する。
「先輩、朝の散歩にいきませんか」
*
〈雪の間〉では、お巡りさんの黒部が入口の柱にもたれて居眠りをしていた。
「――おい!」
柵をこえて迷いなく事件現場に入ろうとする日向に、光は止めようとする。が、振り向いてにこりとした直後、襖を開けて侵入した。彼にしてはめずらしい豪胆さである。
「どうしても現場を見たくて。ちょっとだけ。一瞬だけですから」
「~ッ! なにが“朝の散歩”だよ」
光は吐き捨てるが、眠りこけている黒部が「うーん」と身じろぎしたため息をひそめる。
まずは、土間。
入ってすぐ左に靴棚があり、その上に凶器に使われたコケシが置かれていたという。さらに水墨画の山麓が描かれた襖を開けると、八畳ほどの和室が広がっていた。
カーテンが引かれた室内は薄暗いが、早朝の陽が宴会場を黄色っぽく照らしている。
「うわ」
畳に広がった血痕に、日向が小さく悲鳴を上げた。生々しい事件の痕跡だ。続く〈奥の間〉は、〈雪の間〉より若干広い造りになっていて、長押にハンガーが一本かけてある。発見時に開いていたという大窓を、日向が眺めていると、
「あーっ! な、何やってるんだー!?」
寝ぼけ眼の黒部にとうとうバレてしまった。
「早く出なさい!」
「す、すみません」
問答無用で追い出される。光はといえば、すでに廊下に避難していた。今回ばかりは日向を庇うつもりはないらしい。
「現場に勝手に入っちゃ駄目だろ。いくら事件に興味があるからってねぇ」
「本当にすみませんでした。ひとつ聞いていいですか」
「え」
「〈奥の間〉の窓は発見時に開いていたんですよね。宴会中はどうだったんでしょう?」
「や……閉じてたんじゃないかな。実際に宴会があったのは〈雪の間だし〉」
「窓の鍵は締まっていましたか」
「……さあ。されてた、と思うけど」
腑に落ちない様子で黒部が答える。説教をするつもりが、いつのまにか日向のペースに呑まれている。
「窓が閉じていたなら、間違いなく施錠されていたはずだ」
光が口をはさむ。
「以前家族と泊まったとき宴会場を使ったんだ。ここの窓はすべて戸先錠でしょ」
ぽかんとしている日向と黒部に続けて説明する。
「引手と鍵が一体になっていて、閉じると同時に施錠もできる。鍵のかけ忘れを防いだり、外から鍵が見えないから防犯対策に役立つ」
「はあ、なるほど……」
現場に入った黒部は窓を開け閉めする。
「施錠も含めて、1アクションで済むわけだ。それにしても君、詳しいねえ」
「家が工務店をやってるから、たまたま知ってるだけです」
むしろアナタは何故知らないの?――と言わんばかりである。とどまることを知らない光の苛立ちは、ついに黒部へ向けられた。
「そもそも、あなた何なんですか? 事件現場の見張りをさぼって居眠りなんかして」
「さ、サボってなんかないよ! ちょっと眠気がさしただけで。さあ、用がないなら早く部屋に戻りなさい」
見苦しい言い訳をする黒部に、日向が頭を下げた。
「ありがとうございました、黒部さん。おかげでひとつわかりました」
「わかったって……何が」
日向は微笑んで、人さし指を唇に付ける。
「窓に無理やり侵入された形跡もなく、施錠もされていた――ということは、この窓は内側から開けられたということです」
光が首をひねりながら、
「中にいた人間が窓を開けてやった、ということか」
「もしくは中にいた人間が外に出た」
可能性を追加した日向に、ぱっとしない表情の黒部がぼやく。
「ちっとも意味が分からないんだけど。それは重要なことか? フラっとやってきた殺人鬼が、たまたま空いていた窓から侵入してきた――なんて、到底在りそうもない可能性は消去できそうだけど」
「重要かどうかはまだわかりません」
まどろっこしく批判する黒部に、日向は天井を仰いで息を吐く。
「重要なものと、そうでないものの区別が最初から分かっていれば効率良く進めるんですけど」
「そんなの横着者の考えだぞ」
腕組みをしている光が断言する。
「道場でも、『どうやったら剣道が上達するか』と聞いてくる奴がいる――自分で考えることが重要なのに。そういう過程を省こうとするのは横着者だ。今、日向が言ってたのはこれと同じことだ」
光の言葉に同意するように、黒部がうんうんと頷いている。ついさっき責め立てられたばかりだというのに、物好きな男だ。
「そうだな――うん。そうですよね」
口の中で呟きながら、日向はぴしゃりと頬を叩いた。
「お、やる気出てきたか」
黒部が肩に手を置いてきて、
「そんな君に、朗報があるよ。湖多美ユキさんと知り合いだったよね。彼女が容疑者から外れたよ」
「えっ!?」
そもそも容疑者だったの?――という驚きを通りこして、黒部がさらに報告をくれる。
「旅館の近くにホームセンターがあるだろう。そこの防犯カメラに、凶器のナイフを購入している『男』の姿が映っていたんだ」




