7-3 ナイフとコケシの問題提起
【雪の間】
ご家族や会社の集まりでもご使用いただける個室宴会場です。人数が多い場合は、奥の間も続きでご利用できます。会議やご法要など、幅広いニーズに対応いたします。(旅館リーフレットより)
*
事件現場である〈雪の間〉には、捜査員たちが出入りしており重々しい空気が漂っていた。
泊まり客や従業員らが遠巻きにそれを眺めている。
見覚えのある一団がいた。観光バスを一緒に降りた老若男女が混じったグループだ。年代の近いもの同士で寄り添い、ひそひそと話している。
「おうい!」
周りを観察していた日向は姿勢を正す。
頬ジワの目立つお巡りさん――黒部が大股で駆け寄って来たからだ。
「君の知り合いの仲居さんは、『湖多美ユキ』さんだったね。年齢は十七歳」
「はい」
再会してすぐ、こんなことになるなんて。日向は悲壮な表情でうなずく。
「被害者は彼女じゃないよ」
「はい……えっ?」
「被害者は、湖多美倫代さん。四十三歳。湖多美ユキさんの叔母だ」
困惑する日向に黒部がたんたんと伝えた。
叔母さんが……。
全身の力が抜けていくと同時に、ユキと交わした会話を思い返した。親戚の紹介で旅館で働いていると教えてくれた。その親戚というのが、叔母さんのことだったのかもしれない。
「ユキ姉ちゃん、ユキさんは今どこに?」
「別室で事情を聴いているよ。彼女は現場の第一発見者だ」
第一発見者。ドラマや小説でしか聞かない言葉だ。現実感が付いてこない。
「湖多美さんの容体は?」
日向の横で壁にもたれていた光が質問する。
「意識不明の重体だ。現場に落ちていたナイフで腹部を刺されたらしい」
「刺された……」
めずらしく光が怯えた声音をもらす。
殺人未遂事件。思いのほか事は重大なようだ。ナイフで刺された叔母を発見したユキは、今どんな心境なのだろう。
「〈奥の間〉に倒れていた男性も意識不明だし――まったく、温泉街交番に勤務して以来の大事件だ」
「男性? その人も刺されていたんですか?」
黒部は糸のような目をいっそう細める。
「いや、彼はコケシで殴られていて……」
「ちょっと、黒部さん!」
夕食時に訪ねてきた、若い警官が走り寄ってくる。
「何ペラペラ喋ってるんですか。身元確認済んだら、早く警備に戻ってださいよ」
「おう、白原くん、お疲れ様。身元確認まだ終わってないよ」
「威張ることじゃないでしょ、もう!」
息巻きながら脇に抱えていたファイルを開く。
「二〇一号室に宿泊しているのは、ええと、代表者名は雷宮光さん、18歳と」
白原と呼ばれた警官は光に眼差しをやってから、
「そちらの君は? 備考欄には『姉弟』ってあるけど」
心なしかうろんな顔になる。
やばい……!
突然の窮地に立たされた日向は反射的にうつむく。
一方、光はむっすりと押し黙ったままでいる。嘘を吐くつもりはないが、すすんで話したくもない。そんなところか。
万事休す。日向はぎゅっと拳を握る。『姉弟』ごっこはもうオシマイだ。
「ほんとは、僕たち姉弟じゃないんです……! ごめんなさい!」
「やっぱりね~。顔も全然似てないし、姉弟って雰囲気じゃないと思ったんだ」
必死の覚悟で告げた日向に、黒部がなぜか嬉しそうにコメントする。
「僕たちまだ高校生で……僕が泊まり旅行したいっていったから、彼女が宿を取ってくれて……すべて僕の責任なんですっ」
「ばかっ、そんなことまで言わなくていいんだよっ」
光に思いっきり背中をどつかれた。
勢い良く日向は前につんのめる。光を守ったつもりなのに……なんだろうこの仕打ちは。
「あっははは!」
黒部がついに大声で笑い出した。
「別にいいよ。事件には関係なさそうだし、旅館に告げ口もしないから」
「本当ですか!? よかったぁ」
安堵の表情を浮かべる日向の肩を、にやけ顔の黒部が小突いてくる。
「君、なかなか男気あるねぇ。中学生みたいな顔してるくせに、この」
「子どもをからかうのは止めましょう、黒部さん」
ごほんと白原が咳払いする。
「部屋に戻っていいですよ。外出はなるべく避けて欲しいけど、どうしても必要なときは、僕か黒部巡査長に連絡して。あと窓の施錠をしっかりね」
「窓?」
首を傾げた日向に、白原が付け加える。
「発見時に〈奥の間〉の窓が開いていたから。犯人が逃走した可能性もあるということだ。周辺の警備はしているけど、警戒するに越したことはない」
「〈奥の間〉にも、男性が倒れていたんですよね」
「ん? ああ」
「コケシで殴られていたって……もしかして客室の床の間に飾ってあるコケシですか」
白原がぐむっと唸って、おしゃべりな先輩巡査を睨む。
「いや。客室と同じものかまだ確認はしていないけど、〈雪の間〉の土間にあったコケシだ」
土間。座敷にあがる前に、靴を脱ぐ場所か。
そうこうしている間に、白原は捜査に戻ってしまう。かたや、お巡りさんの黒部はそう忙しくもないのか、「部屋まで送り届けようか」と申し出てきた。
「自分たちで戻れるから結構です」
行こう、と光は日向の腕を引く。
日向は白目をむいていた。
「――あのなあ」
光は盛大な溜息を吐く。
「友達が心配なのはわかるけど、殺人事件未遂だぞ。水無月くんが考えたって、どうにかなることじゃないだろう」
いままでの謎とは明らかに違う。警察関係者が動いている、これは本物の事件なのだ。
「そうなんですけど、気になるんです――“凶器”が。〈雪の間〉ではナイフ、〈奥の間〉ではコケシ」
日向は人さし指で唇をなぞる。
「逆だったらまだわかるんですよ。犯人の狙いは〈奥の間〉にいる男性だった。が、手前の〈雪の間〉に仲居さんがいたので、目的遂行のため土間のコケシで殴って昏倒させた後、本来の目的である男性をナイフで刺した」
光が眉根をよせる。
「犯人の狙いが男性だったとは限らないんじゃないの。〈奥の間〉の窓は開いていたんだろ? 犯人は外から侵入してきたのかもしれない。まず〈奥の間〉にいた男性をコケシで殴っておいて、〈雪の間〉にいる仲居さんを刺した」
自分たちが考えてもどうにかなることじゃない、と言ったくせに具体的に意見する光。従順な様子で聞いていた日向はすぐに反論してきた。
「だったらなぜ、犯人は男性を殴るのに土間にあったコケシを使ったんでしょう? 外から侵入した犯人が、土間のコケシを手に入れるには〈雪の間〉を通過しないといけません。
本来の標的である仲居さんをやり過ごして、わざわざ土間にコケシを取りにいく意味って? そもそもそんなことが実際に可能かどうか」
「わかった、もういい」
光がうんざりしたように会話を打ち切る。そして、今のやり取りを傍観していた黒部をキッと睨みつけた。
「――あ、お邪魔だった? いやぁ面白いこと考えるなって、つい聞き入っちゃったよ」
変わった人だ。黒部さん、と日向が呼びかけると、ん? と相好をくずす。
「現場に落ちていたナイフのことなんですけど、刃が欠けていたりとか、破損していたようなことはありませんでしたか」
黒部は尖った顎を撫でる。
「いや……そういう話は聞いてないな。なんで?」
大したことじゃないんですけど、と日向は前置きしてから、
「仲居さんを刺したとき、刃が欠けたとか、ナイフが使用できない状態になった――だからコケシを凶器として使ったと思ったんですが……違うみたいですね」
日向は深みのある黒い瞳を曇らせる。
「なんだろうこれ」
浴衣の袖を上げて、首の後ろに手を当てながら呟いた。
「考えれば考えるほどわからなくなる――こんなの初めてだ」




