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階段下は××する場所である  作者: 羽野ゆず
温泉宿で××事件発生です―How done it?
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7-1 『お姉ちゃん』

「お願い……もう許して」


 誰かが泣いている。

 女の子だ――雪のように白い肌の。


「……わたしのこと、嫌いになって」


 ふっくらした頬を涙がひとすじ伝う。


日向ひなたくん」



「日向」


 一定間隔の揺れが眠りをさそう。

 深くまどろみかけたところで、腕を揺すられた。

 何だかとても懐かしい夢を見ていたような――そんな気がする。

 覚醒かくせいしきれず、ぼおっとしていると、近距離から強い視線を感じた。

「……なんですか」

 雷宮らいきゅうひかるに猫のような瞳で見つめられていた。

 光はいたずらっぽく笑って、

「出逢った頃より、カッコよくなったなぁと思って」

「そ、そうですか。ありがとうございます」

 いきなりなんだろう。

 照れかくしに、直しそこねた寝癖を何度も撫でつけてしまう。

「でも、どちらかといえば童顔かなぁ」

「へ?」

「何でもない。もうすぐ到着だな」

 窓際に座る光の背景――抜けるような山々の雪景色が目に飛び込んできた。


 温泉街へ向かう観光バスは、週末のせいかほぼ満席状態だ。

 受験生である光の息抜きを兼ねた小旅行。混雑した車内でふたりは二人用シートに並んで座っている。

「んっ?」

 日向は違和感がして尻を浮かせる。

 背もたれと座面の隙間に、白い紙片が見えた。指先でつまみ出してみる。

「なんだこれ、おみくじ?……わっ大凶だ!」

「大凶?」

 誰かの落し物か。赤い枠で囲まれた中に、あらゆる不吉が予言されている。


【大凶】

 願望~かなわない

 恋愛~待ち人こず。相手がいる場合は、過去の因縁に注意

 旅行~延期しなさい

 学問~油断大敵を心に命じよ

 失物~見つからない。整理整頓を心掛けよ

 ラッキーナンバー 6

 ラッキーカラー  赤


「凄いですね、大凶って! 凶だったら二年に一度は引きますけど、大凶は初めてだ」

「凶を隔年で引くのも結構すごいと思うけど――まさか、持って帰るつもり?」

 折りたたんだおみくじをコートのポケットにしまいこむ日向に、光が訊く。

「だって、このままにしておいたら、見つけた誰かがまた嫌な思いをするわけでしょ」

「バス会社に任せておけばいいのに」

「大凶のせいで事故に遭ったらどうします。帰ったら、どこかの神社に結んでおきます」

「律儀だなぁ、日向(・・)は」

 その呼ばれ方に、本人は恥ずかしげにうつむく。

「下の名前で呼ばれるの、まだ慣れない?」

「……すみません」

「すぐ慣れるよ。ああ、ちなみに私のことは『お姉ちゃん』って呼んでいいぞ」

「お姉ちゃん?」

「旅館にいる間だけでいいから」

「――そういえば野巻のまき先輩と空野そらのくんは、バスに乗りませんでしたね」

「ああ。親が送ってくれるらしいよ。ほら、そろそろ降りる支度しなきゃ」

 うながされた日向は、荷物棚から二人分の鞄を下ろす。

 観光バスは、広大なスペースがある駐車場に停車した。

 数名の男女グループとともに降車する。笑い声を響かせながら先を歩く、そのグループは、若い女性から初老の男性まで年齢層は様々だ。会社の集まりか何かだろうか。


「立派な宿ですね」

 駐車場の脇にある通路を進むと、木材を基調とした和モダンな造りの建物が迎えてくれた。

「先輩は、前に一度ここに来たことがあるんでしたっけ?」

「家族旅行でな。温泉も広くて立派だよ」

 むしろ旅館よりも、別棟の湯屋の方が巨大で存在感がある。

「チェックインしてくるから待ってて」

 日帰り温泉客の受付も兼ねたフロント前に、長い列ができていた。

 荷物番を任された日向は、腕時計を確認する。午後三時――チェックインの時間だ。

 並んでいる列の足元に、光のきゅっとした足首とふくらはぎが見え隠れしている。それを目で追いながら、日向は電話をかけた。


「お待たせ。露天風呂付きの部屋が空いたから、そちらに変更してくれたって……どこかに電話してたの?」

 はしゃいだ様子で戻ってきた光は、日向の手の中にあるスマホを見やる。

「どこだと思います」

「家?」

「野巻先輩と空野くんに、です」

 途端、光は目を泳がせる。

「野巻先輩は『風邪で行けなくなったの』って言い訳してましたけど、空野くんは、旅行のこと全く聞いてないって」

「ちっ……空野の奴、気が利かないな」

「根回しが甘かったですね。さっきの『お姉ちゃん』っていうのも、高校生の男女で泊まったら何か言われるかもしれないから、姉弟のフリをしようと考えたからでしょ」

「おっ、名推理」

「騙したんですね!?」

 四人の旅行だ、と誘われていたのに。

 光とふたりっきり――となると、全然意味が変わってくるじゃないか。日向は鞄を持って立ち上がる。

「どうするつもり?」

「他に部屋が空いてないか聞いてきます」

「ムリムリ。この旅館、客室数が少ないから。受付に〈満室御礼〉って看板出てたし」

「じゃあ」

「帰るの? いまさら? 帰りのバスはもう出てないよ。タクシーで数万円かけて帰るつもり?」

 あらかじめ用意されていたかのような隙のない回答に、日向は言葉を失う。

「あのさあ」

 猫のような目でジロと睨まれる。

「同じ部屋に寝泊まりするからって、それが何だっていうの」

「なんだって……」

「こんなの普通だよ。何を期待しているわけ? まさか――とは思うけど、不純な動機があるのか?」

「そんなっ、めっそうもない!」

「だったら別にいいじゃん」


 あれ……?

 日向はこめかみを押さえて、ゆっくりとかぶりを振った。

「そう言われると、何だか僕の方が間違ってるって気がしてきました……」

「なっ? 早く行こう」

 鍵をくるくると指で回しながら、光が歩き出す。

 その後を追いかけようと鞄を抱え直した日向は、ふと、フロントに視線を向けた。

 客の対応で、てんやわんやしているフロントの奥で電話のコール音が響いている。ほどなくして、桜色の作務衣さむえを着た若い女性がやって来て受話器を取った。

 電話に出た女性――若い、というか、どう見ても十代の少女だ。その顔に、どこかで見覚えがあるような……

「どうかしたの?」

 ポニーテールの毛先を揺らして光が振り返る。

 日向は再びフロントを一瞥いちべつする。少女の姿はもうなかった。

「いえ……何でもないです」

「ふうん」



 部屋に入るなり、日向は大きな目を輝かせた。

「スゲー! ほんとに露天風呂がある!」

 十畳の和室と、奥にある小さなダイニングスペースの掃出窓の向こうに、湯気がもくもくと上がるヒノキ風呂があった。非日常な眺めに気分が跳ね上がる。

「私もこの部屋に泊まるのは初めてなんだ」

 光は備え付けのクローゼットから、自分の浴衣とタオルを取り出している。

「大浴場に行ってくる。日向は、露天風呂に入ってみたら」

「いいんですか」

 ポニーテ―ルをお団子ヘアに手早くまとめた光は、「あとでね」と部屋を出ていってしまう。

 白いうなじのほつれ毛が、やけに生々しく目に焼き付いた。

 やっぱりこの状況って、普通じゃないような……。

 ひとりになった空間で、日向は落ち着かない気分で室内を見回す。

 数年前に改装されたらしい客室には、最新型のエアコンが装備されている。

 32型のテレビ横にある床の間に、コケシの置物があった。胴体が黄色い格子柄で染められていて、モダンな感じだ。

 温泉まんじゅうでも食べようと座卓に手を伸ばしたところで、皿の下に敷かれているメッセージカードに気付く。


【いらっしゃいませ  本日は当旅館にお越しいただきましてありがとうございます

 どうぞゆっくりとお過ごしくださいませ

 お客様のお部屋は 湖多美 がお掃除させていただきました】


 ぞくっ、と肌が粟立(あわだ)った。

 湖多美――。〈こたみ〉と読むのだろうか。めずらしい苗字だ。

 フロントで見かけた少女とその名が、ゆっくりと繋がっていく。

 日向はごくりと生唾を呑んだ。落ち着け。こんな偶然があるわけがない。が――、大凶めいたタイミングで、それ(、、)はやってくるのである。


「失礼します、お客様。ご夕食の場所ですが――」

 控えめなノックの後、客室の襖が開いた。

 桜色の作務衣の女性が顔を覗かせている。雪のように白い肌、ふっくらとした頬。

 遠慮げに顔を上げた少女は、日向を認識すると、驚きの表情の後、人懐ひとなつこそうな垂れ目を丸くした。


「あれ……もしかして――日向くん? 水無月日向くんじゃない?」

 丸い唇に名前を呼ばれる。


「ユキ姉ちゃん――」

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