6-4 僕がそれを壊した
茜色が満ちていた空を、夜の闇があわただしく染めていく。
光が一年D組の教室に辿りつくと、かげった陽に照らされた背中を見つけた。
「これ見よがしに落ち込んでるな」
物理準備室から抱えてきたコートと鞄を机に置くと、日向は伏していた顔を上げる。
「ありがとうございます……どうやって取りに戻ろうか悩んでいたんです」
「練雨が謝ってた。ずさんな計画のせいで、傷つけて申し訳なかったって」
日向はかすかに肩を振動させる。
「アイツのお父さん、建築模型士なんだよ。うちの親は工務店をやってるから、その関係で付き合いがあるんだ。練雨自身も器用で、ああいう模型の偽物を作るのはお手物だったと思う」
光は日向の前の席に腰かける。
「――ごめん。さっきのこと、私、昨日知らされていたんだ」
黙りこくったままの日向が窓の外へ視線をやった。
どうしてこんなことになったのか――。
練雨に聞かされた天文部の事情を含め、できるだけ丁寧に説明した。日向はときおり口を挟みたそうにしていたが、最後まで辛抱強く光の話を聞いていた。
「正直さ、天文部の女子への嫉妬もあったよ。でも、このままだと君にも天文部にも悪影響だと思ったから……黙っていて、ごめん」
「どうして謝るんですか」
伏せた目が微かに潤んでいる。
世の中のすべてが悲観的に映っているような双眸だ、と光は思った。
「悪いのは僕です」
「水無月くんは悪くないよ」
「いいえ、僕が悪いんです」
掠れた声で繰り返す。
「僕が天文部に入ろうとしたから、おかしくなったんだ。部長たちがあんなことするなんて……天文部の日常とか平穏とか、皆の大事なものを僕が壊したんだ……」
「お前は悪くない」
「でも……っ!」
興奮して席を立ちかけた日向の腕を、光は強く掴む。そのまま、すくい上げるようにキスをした。
「ん!? ……ッ、ごほ、けほっ」
日向は飴細工みたいにぐにゃりと座り込んで、苦しそうに咳きこむ。
我に返ると、周りを見回した。
「教室ですよ!?」
「誰もいないからいいじゃん。少しは冷静になったか」
上目づかいに見上げてくる光に、赤く染まった頬でうなずく。
「……なりました」
毒気を抜かれたように、日向は背もたれに体を預けた。
「でも、僕。今の話を聞いても誰かを恨む気になりません。だって誰も悪くないじゃないですか」
光は困ったように微笑んだあと、口をアヒルのようにすぼめて鼻から息を漏らす。
「練雨と天野川のやったことは最低だけど……アイツらはアイツらなりに大事なものを守るために考えて、その結果、皆で傷ついた」
難しいよな、と頬杖をつく。
「『こいつが悪い』って明らかな悪者がいないときの方が、わりと皆が傷ついてたりするんだよ」
光の言ったことを咀嚼するように、しばらく黙りこんでいた日向がぼそりという。
「――先輩、もしかして疲れてます? 目の下にクマが」
腕を伸ばしてう~んと光が伸びをする。
「受験真っただ中だからな。なぐさめてほしいのはこっちの方だ」
「僕にできることがありますか?」
「じゃあさ――」
そこで光は艶っぽい笑みを浮かべて、ささやく。
「水無月くんのこと。日向って、下の名前で呼んでいい?」
返事のかわりに、日向はくすぐったそうに耳を触った。
「なぁに照れてるんだよ。天文部の女子にも、ヒナタくんって呼ばれてたくせに」
「そうなんですけど。先輩に呼ばれるのとは違うっていうか……」
ごまかして語尾をにごす日向に、「じゃあ、もうひとつ」と光は身を乗り出す。
「旅行にいこう」
「え、ふたりで?」
「野巻と空野も誘うつもりだけど。――でも、ヒナタくんがそうしたいなら、ふたりっきりでもいいけど?」
「……からかわないでくださいよ」
熱くなった頬を細い指で突かれて、うろたえている日向が「あ」と小さく声をあげる。
扉のガラス窓の向こうに人影がふたつ。
練雨と天野川――天文部のふたりが、照れくさそうにこちらをうかがっていた。
(to be continued...)
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