旧校舎の論理パズル【解答編】
「状況からして、犯人はこの中にいる可能性が高いこと。
二階から一階に下りるのに、〈装置〉が使われたこと。その際に、〈二つの箱〉が下ろされたこと。――ここまで良いですか?」
前提条件が確認される。
日向はテーピングが巻かれた指で唇をなぞった。
「それより、さっきのフザケた実験は何だったんだ? それをまず説明しろよ」
ギプスの腕を揺らしながら、大杉が威圧的に言い放つ。
「〈二つの箱〉が、『どのように下ろされたか』を特定するためです」
「……どのように、って?」
「箱の重さは〈5キロ〉と〈15キロ〉で、合計20キロ。箱を乗せただけじゃ〈装置〉は作動しませんよね?」
装置が作動するには、80キロ以上の重さが必要だ。
「だから、誰かが箱と一緒に乗った、ってことだろ?」
「そのとおりです、大杉さん。ええと……〈5キロ〉の箱を〈箱1〉、〈15キロ〉の方を〈箱2〉としましょうか。――〈箱1〉、〈箱2〉は別々に下ろされたんです。1回目は〈箱1〉、2回目は〈箱2〉というように」
「何故そういうことになるの?」
思わず、といった様子で尋ねたのはアカネだ。
「実験の結果です。〈箱1〉〈箱2〉を積み重ねると、蓋が歪んでしまいましたよね? 上下を入れ替えても同様だった。
実験前に、そんな歪みは無かった――ということは、〈箱1〉〈箱2〉は積み重ねられたことがないということです」
「……まあ、それはそうだろうけど」
「そして、箱が大き過ぎて〈装置〉に並べて置くことも出来なかった。
積み重ねられてもいないし、並べても置けない。つまりこれは、〈箱1〉〈箱2〉は同時に下ろされていない=別々に下ろされた、ということを示しています。〈装置〉の作動音が2回聞こえたことにも合致してる」
「ちょっと待って」
控えめに手を上げたのは、倉田だ。
「二人がそれぞれ箱を持てば、一度に乗れるんじゃないかな? こうやって」
実験再開。倉田が〈箱1〉を持ち上げる。「仲丸さんも持ってください」
重い方の箱を、仲丸が嫌そうに持ち上げ、倉田の横に立つ。
「えっと」日向は、装置が通る面積だけ空いた天井穴を見上げる。「それだと結局、箱が並んでいることになるから、〈装置〉の幅をはみ出てるよ」
「え?……ああっ! じゃあ、」
めげない倉田は、仲丸から箱を奪って、二つの箱を同時に抱えた。箱の底部分を両膝で支えており、かなり辛そうだ。プルプルしている。
「こうやって、積み重ならないよう、縦に持てば……ああっ!!」
片方を高く持ち上げようとしたところ、バランスを崩して取り落とした。
「何やってんだ、お前は!」
すぐに大杉の怒声が飛んでくる。
「片腕で箱を持つのは、無理なんだよ! 俺でも腕が回り切らないんだから。また備品に傷をつけやがって」
シュンとなった倉田に、日向が憐みの声をかける。
「倉田くん、頑張るね。でも、もっと素直に考えてみたらどうかな。
箱は何故下ろされたのか? 〈装置〉を使った人物にとって、それが必要だったからだ。つまり、」
「そうしないと、〈装置〉が作動しないから」
生徒たちのやり取りを黙って聞いていた田雲が、静かに発言する。
「お雛様の箱は"重石"だった。――そうだろ?」
探偵役はこくりと頷いた。
「ここからは消去法でいきます。――誰が〈装置〉を使ったのか。
まず、大杉さんは除外できます。彼の体重は80キロだから、重石を使わなくても〈装置〉は作動する」
「それ安直過ぎないかな?」
眼鏡の縁に手をやりながら仲丸が異を唱える。ちらり、と大杉を見やって、
「装置の上限は100キロだろ。大杉がどちらかの箱を持って下りることも出来るよね?……その、自分以外に疑いを向ける為に」
「……仲丸おまえ!」
「たとえば、の話だよ! たとえば!」
日向はゆるりと首を振る。
「大杉さんには無理です。彼は片腕しか使うことが出来ない」
大杉の右腕を包むギプスに、視線が集中する。
「――でも、右腕が使えなくたって、左腕で箱を抱えれば」
「大杉さん自身も言ってましたけど、その箱を片腕で持つのは難しいです。実際に彼は事件前、教材室で箱を持ち上げようとして失敗している。――のに、〈装置〉まで運ぼうとするなんて、そんな無茶をするとは考えにくい」
先刻、倉田が片腕で箱を抱えていたときも、腕が回り切らずに膝で支えていたのだ。
「それに彼は、別の観点からも犯人から除外できるんです。思い出してください。
野巻先輩は襲われたときに両腕を掴まれている。片腕がギプスの大杉さんが、両腕を同時に掴むことはできない」
決定的な一撃が加えられた。
あ、と声にならない呻きをもらし、仲丸は押し黙る。
「次に、倉田くん。彼の体重は50キロで、〈5キロ〉と〈15キロ〉――どちらの箱を重石として使っても計80キロ未満で、〈装置〉は作動しない」
「でもさぁ」待ったをかけたのはアカネだ。
「双子ちゃんのどちらかと一緒に乗ったとしたらどうよ? 莉々ちゃんが〈40キロ〉で、瑠々ちゃんが〈38キロ〉でしょ。倉田くんと〈5キロ〉の箱を足しても100キロ以内だし」
「野巻せんぱーい」「ひどいです」
双子が頬を膨らます。
「ごめんごめん。算数の問題として考えたら、そういう可能性もあるんじゃないかってね」
「〈5キロ〉の箱を含めたのは何故ですか」
「へっ? 〈15キロ〉の方だと重量オーバーになっちゃうし。ほら、さっき仲丸くんが言ったみたいに、誰かに疑いを向けるためのカモフラージュ?」
「無意味です」日向はきっぱりと一蹴する。
「〈5キロ〉の重石を使うことで真っ先に疑いが向くのは、〈小玉さん姉妹がふたりで乗った場合〉だ」
38キロ+40キロ=78キロ。これに〈5キロ〉を足せば、83キロとなり装置は作動する。
あと〈5キロ〉足せば〈装置〉が作動する――という組み合わせは他に無い。
「彼女たちのどちらかと乗っているのに、同時に疑いが向くようにするなんて、矛盾してる」
「……えぇえ?……でもそうなっちゃうのか」
「続いて、仲丸さんの場合を考えてみましょうか。彼は体重が65キロなので、〈15キロ〉の重石を使えば、計80キロになって〈装置〉は作動しますね」
仲丸が顔を顰めて反論する。
「僕は、その箱が〈15キロ〉だなんて知らなかった」
「勿論そうでしょう」探偵役はこくこく頷く。
「持っただけで正確な重さが分かるわけない。重石になりそうな荷物を乗せたら、〈装置〉が作動した、という結果に過ぎません。〈5キロ〉の箱を使った人物もそうだったと思います。
続けますね。――最後に、小玉さん姉妹。あなた方の軽さでは、重石を使ったとしても〈装置〉は作動しない。ひとりずつでは。でも、ふたりの重さに〈5キロ〉をプラスすれば、それは可能になる」
説明が咀嚼されるような間があって、結論が導き出される。
「残された組み合わせは、
・小玉さん姉妹〈38キロ+40キロ〉+箱1〈5キロ〉=83キロ
・仲丸さん〈65キロ〉+箱2〈15キロ〉=80キロ
これしかあり得ません」
「……う、えっ? ちょっと待って!」
混乱ぎみにアカネが叫ぶ。
「それで決まりなの!? 他の組み合わせは無いわけ? ほら、その三人でも違う組み合わせとかあるでしょ」
「違う組み合わせですか? そうなると2回のうち1回は、小玉さん姉妹のどちらかが一人で乗ることになって、〈15キロ〉の重石と乗っても〈装置〉が作動しなくなります」
「そこに倉田くんが加われば!?」
「落ち着いてください、野巻先輩。それだと重量オーバーです」
体重の少ない瑠々で見積もっても、38キロ+50キロ+15キロ=113キロ。100キロ越えだ。
「どうだい?」
重苦しい沈黙が降りてきかけた時、養護教諭が問いかけた。
穏やかな表情と語り口に、耐え切れなくなったように双子が身を震わせる。
「すみませんでした!」
突き刺さる視線に耐えるように、莉々が釈明する。
「私たち、こういうカラクリ装置が大好きで……お雛様の箱を使えば、装置が作動するんじゃないかと思ったの。黙っててごめんなさい! 大杉君が装置を使ったことを先生に叱られたって聞いて、言い出せなくなって……」
大杉が白状したとき、双子はその場に居なかった。
「――でもっ、野巻先輩を階段から突き落とすなんて、そんなことはしてません!!」
うつむいていた瑠々が三つ編みを揺らして、顔を上げる。
「やっていないと証明できるか?」
大杉が冷静に追及する。
「できます」
答えたのは、うろたえる双子ではなく、日向だった。
「どうやって証明する?」
「あれです」
テーピングの指がさすのは、アカネが手にしている薄汚れた黒い布。彼女が襲われたときに、背後から被せられたものだ。
「犯人は何故そんなもので野巻先輩を襲ったんでしょう」
「どうして、って」襲われた本人が首をひねる。
「"目隠し"のためじゃない? 正体がバレないように」
実際に、これでアカネの視界は完全に奪われたのだ。探偵役は納得したように首肯する。
「その布は何処に在ったものでしたっけ?」
「教材室の棚だ」大杉がすぐに答える。
「棚の何処に在りました?」
「……たしか一番上の段に。『演台掛けっぽい大きい布がある』って、仲丸が背伸びをして見回っていて……」
はっとしたように息をのむ。
「そうか! 仲丸が背伸びをしてやっと届く高さにあるものを、小玉たちが届くわけがない!!」
身長170センチの仲丸と、身長150センチの双子。比較するように交互に視線が飛び交う。
「あのぉ」倉田がおずおずと口を挟む。
「〈踏み台〉があれば、小玉さんたちでも届くんじゃないかな……? たとえばその、雛人形の箱とか正に使えそうだ」
「いや、それは違うな」大杉が太い首を横にふる。「いくら小玉たちが軽いといっても、箱の上に乗ったら、蓋が歪んで痕跡が残るはずだ。教材室に他に踏み台になりそうなものはなかった」
「あるよ」
喉の奥で笑ったのは仲丸だ。
「ふたり居るんだから。どちらかが〈踏み台〉になれば良いんだ」
「――たしかにそれだと届くかもしれませんね」
挑戦的な物言いに、日向が応じる。
「でも、そんな苦労をしなくても、"目隠し"のためだったら、他に使えるものが在りましたよ。彼女たちの手が届く場所に」
喋りながら、箱のひとつを開ける。
朱という表現がぴったりの、鮮やかな色の布が取り出される。雛段に敷く毛氈だ。折りたたまれていた布が床に広げられる。
「七段飾り用だね」
田雲がやけに懐かしげに呟いた。レジャーシートに例えると、大人が3、4人座れる広さがある。
「お雛様の箱は、棚の一番下――最下段に在りました。
彼女たちが犯人なら、手が届かない場所にある布より、当然こちらを選ぶと思いませんか? "目隠し"としての役割なら、毛氈で果たせる」
「……なるほど」倉田が感心したように呟く。が、すぐに疑問を呈してきた。「でも、お雛様を見つけたのは小玉さんたちなんだろ。毛氈を使うことで、自分たちが疑われると考えたんじゃ……?」
「あの場には、野巻先輩と僕の他、大杉さんも居た。彼女たちだけが疑われるということにはならない」
探偵役に真っ直ぐ見据えられた人物は、憎々しげに顔をゆがませる。
旧校舎の倉庫は異様な雰囲気に包まれた。




