旧校舎の論理パズル【問題編1】
今回のエピソードは“読者への挑戦状”付きです。ヒントを各所にちりばめておりますので、色々と疑って読んでみてください。
「……ん」
野巻アカネは、眠たげに目をこする。
裸眼の視界はおぼろげで頼りない。
ベッドの枕元に赤フレームの眼鏡が置かれているが、あえて身に着けず、「んぅ」と切げな呻きを漏らした。
「どうかした?」
衝立の向こうから、穏やかに訊かれる。養護教諭の田雲政宗だ。
「――先生」
ここでアカネは、演劇部で培った能力を発揮する。
何をしたかといえば、上目遣いにぽっと頬を染め、人懐こい笑みを浮かべて見せたのだ。最近ハマってる乙女ゲームのワンコ系キャラを真似してみたのだが、上手くいっただろうか。
「何だか心細くて……。手を握ってくれない?」
掛布団から、そろりと手を出す。
困ったように微笑された後、柔らかく手を包まれた。その手の大きさ、ぬくもり……くうぅ。心の中で悶える。過酷な受験生の日々。イケメンの養護教諭とイチャイチャする――それくらいの安らぎがあっても良いではないか。
「失礼しまーす!」
そんな甘やかな雰囲気をぶち壊すかのごとく、保健室のドアが開かれた。
*
「救護部?」
今にも雪が降ってきそうな、寒空の下。旧校舎への道を歩きながら、アカネはコートの前を合わせる。
「「はい」」
ユニゾンが返ってきた。
双子の姉妹、小玉莉々・瑠々は同じ顔で頷く。
「主な活動は、養護教諭の補助なんですけど、救急法の講習なんかもやります。このたび、新設の申請が通りまして。顧問を田雲先生にお願いしたんです」
ツインテールを揺らしながら、莉々が教えてくれる。
「ほえぇ。そんな部が出来たなんて知らなかった。先生が顧問だなんて、良いわね」
「わかります。私たち将来の夢がナースだから、救護部に入ったんですけど。田雲先生に憧れていることも大きくて」
三つ編みを指でくるくるしながら、瑠々が、先を歩く養護教諭をウットリ見つめている。
「あれっ、大杉くん!?」
その傍らにいる男子生徒に気付いて、アカネはすっとんきょうな声を上げた。身長180センチの田雲に引けを取らない高さがあり、かつ幅も大きい。
「なんで救護部に? 柔道部は!? 辞めちゃったの?」
過去に柔道少女を演じたとき、大杉の試合を見学させてもらったことがあるのだ。
「辞めてませんよ。救護部は、例外的に兼部が認められてるんで」
いかつい顔に得意げな表情を浮かべる。
「応急処置ができる人材がいたら、運動部も助かるでしょ」
「なるほどねぇ」合理的だ。「それより、どうしたのよ。その腕は」
大杉の右腕はギプスに包まれていた。
「試合でちょっと」
短く刈り込んだ髪を掻きながら苦笑いする。双子たちが、「まったくぅ」「肝心なときに」とぶうぶう文句を垂れた。
新設されたばかりの救護部が、なぜ旧校舎に向かっているのかといえば、部活動で使えそうな備品を運び出すためだった。本日は力仕事がメインなのである。そんな日に、いかにも戦力になりそうな大杉がケガをしているのは残念という他ない。
「オレは卓球部なんです」
アカネの背後にいた、小柄な男子がぼそっと口を挟んでくる。「倉田です」とぺこり頭を下げて、
「試合で活躍できないなら、救護の知識でも身に着けて来いって。先輩に言われて入りました」
か細い倉田を吹き飛ばしてしまいそうな勢いで、ぎゃはははとアカネが笑う。
「いいじゃない救護部! 将来役立ちそうだし。アタシも入ろうかなぁ」
「野巻先輩は三年生だから無理ですよ。部活は引退の時期でしょ」
すぐ前を歩いていた男子――仲丸が釘をさしてきた。
「知ってるわよ、言ってみただけ」
仲丸とは、学祭委員会を通じて面識がある。身長170センチ程の中肉中背だが、肩幅が狭く、なよっとした印象だ。
「それより大丈夫なんですか。具合が悪いのに、旧校舎まで付いてきて」
「平気よ。受験勉強のし過ぎで、ちょっと目眩がしただけだから」
本当は、件の乙女ゲームを夜遅くまでしたせいで、猛烈な眠気に襲われただけなのだが。
中庭を抜けると、木造の二階建て校舎がお目見えする。
かなり年季の入った建物で、過酷な自然環境のなか、目立った破損が無いのが不思議なくらいである。
「アタシ、ここに入るの初めて! ウキウキするう」
「それは幸運だったね。来年には取り壊される予定なんだ。ようやく予算が付いてね」
「へえ」
田雲が職員玄関のガラス戸に鍵を差し込む。錆びた金属の音がして、旧校舎の戸が開かれた。
校内に入ると、湿った木の匂いがする。風でカタカタ鳴る窓ガラスいい、何もかもが古めかしい。まるでタイムスリップしたよう。きしむ階段を昇って、二階へ上がる。
「校舎の東側にある階段は、壊れていて使えないから。移動のときは、この階段を使うように」
養護教諭による注意喚起がされ、生徒たちはそれぞれ頷いた。
たどり着いた〈教材室〉は、一般教室ほどの広さがあった。壁一面が棚に覆われているが、めぼしい備品は既に運び出されたのだろう、がらんどうの状態だ。
「――あったあった。身長計と体重計」
目当てのモノを見つけた仲丸が歩み寄る。
「まだ使えるかな」
大杉が針式の台秤に乗った。針は80キロを指す。
「いけるいける。正確だぞ」
「どれどれ」
仲丸も乗る。65キロ。時代遅れのアナログ体重計に、高校生らが群がる。「双子のくせに体重が違うぞ」と評された莉々は40キロで、瑠々が38キロ。
「30キロ代とかあり得ない!」アカネが頬を膨らます。「まあ、身長も小っちゃいしね。150センチくらい?」
はい、と返事した莉々は振り向いて、「野巻さんも計ります? 面白いですよ」
「いやっ、遠慮しとくわ。最近ちょっと過食ぎみだしね――って、ちょっ!?」
倉田が乗る体重計を覗き込んだアカネはのけ反った。
「ご、50キロしかないの!? アタシよりちょっと軽いじゃん! ……あ! 違うのよ先生。アタシいつもはもっと軽いんだから!」
必死に弁明するアカネに、田雲は「ごめんね」と手刀を切る。白衣のポケットから、マナーモードに設定された携帯電話を取り出した。
「はい。……ええ、その話でしたら」
立て込んだ内容だったのか、そのまま教材室を出ていく。
「……ああ、誤解されちゃった」
うなだれるアカネ。一方、救護部員たちは部屋の隅に集合していた。
「どうしたの?」
部員たちが取り囲む中心に、赤い三角コーンが立っている。《危険! 使用不可!》の張り紙付きで。
「なんだこれ?」
大杉がしきりに太い首をひねる。
それもそうだろう、コーンの先には床があるばかりで、何が《使用不可》なのかが分からない。しかしよく見ると、床に、白いテープが真四角に貼られている。
ギプスをした巨漢――大杉が、その正方形の内側に足を踏み入れた瞬間、まったく予想外の出来事が起こった。
「うおっ!?」
ぎいっという轟音とともに、大杉を乗せた"正方形"の床が沈み出したのである。




