表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
階段下は××する場所である  作者: 羽野ゆず
サイン会は××の法則で解決します―How done it?
34/162

5-2 消えた腕時計

「ちょっと、日向くん!」


 追いついたカナの目に飛び込んできたのは、とんでもない光景だった。

 書店の出入り口で、身長190センチはあろうかという大男を、日向が通せんぼしていたのだ。


「なっ、何してるのよー!?」

「……あ」

 日向は正気に戻ったのか、いきなり狼狽うろたえ始めた。

「ど、どうしよう……頭より先に体が動いちゃって」

「なんだよ? てめえ!」

 男性がドスのきいた声で怒鳴ってくる。

「すみませんでした! ほら、日向くん、早く退けて」

「あれ?」

 そこで、男性は顔を上げた日向をはたと眺めた。

「何この子。メッチャ可愛い……もしかして、ノースBの新人?」

 恐ろしげな声色がやわらいだ――と思ったら、男はぽっと顔を赤らめたのである。

「なあに? あたしに何か用かしら」 

 えっ――!?

 その豹変ぶりにカナは驚く。よく観察すると、男の顔には薄化粧がされていた。頬に添えられた指先には、深紅のマニキュアが塗られている。

「アッキーからサインは貰ったけど、まだ別のサービスがあるのかしら?」

 うっとりと日向を見下ろしながら、しなを作って尋ねてくる。

「……ええと、そんな感じです。すいませんけど、ここで待っててもらえますか? カナさんも、ここで待ってて」

「ちょっと!」

 適当なことを言い残し、日向は駆け出していった。

「あの子、ヒナタっていうの? やっぱり知らない名前だわ。あなたは知り合いなの?」

「はい、まあ」

 わけがわからないまま、オネエ系の男性と取り残されたカナは不安でたまらない。

 またいつもの日向の悪いクセ(・・・・)が出たのだろうか。きっと、そうに違いない。

「ねえ、ノースBの新人か何かでしょ?」

 ノースBとは、ノースKの予備軍的グループで、ライブではバッグダンサーを務めている。(ちなみに、Bは紅鮭べにじゃけのBだ。)

「あの子、どんなサービスしてくれるんだろう。たのしみね!」

 駄目だ。

 日向が紛らわしいことを言ったせいで、勘違いしている。

 これは、頬チュウくらいしないと、済まないかもしれない。いや、それで済めばいいけど――カナが物騒な心配をしていると、スーツ姿の太った男と店員がこちらにやって来るのが見えた。

「そこの、あなたと、あなた」

 太った男――エッセイ本を販売していた男だ――が、オネエとカナを順番に指す。

「少しお時間よろしいですか?」

「……え?」

「秋人から話があります」



 *



 ファンにとってそれは、強制に近い勧告だった。拒否できるわけがない。

『関係者以外立ち入り禁止』のドアの通り抜け、案内されたのは、机とパイプ椅子しかない殺風景な部屋だった。


「間もなく、サイン会の1部が終わりますので、少々お待ちください」

 その口調は丁寧だったが、頬にたっぷり肉をつけた男は油断ない視線で、ファンたちを見回している。

「思い出した」

 パイプ椅子に窮屈そうに腰かけているオネエが、声を潜めてカナに囁く。

「アイツ確か、ノースKのマネージャーよね。鎌田かまだとかいったっけ」

「……ああ」

 名前を聞いてピンときた。ライブのときステージ脇で、ファンたちに睨みをきかせている鎌田の姿を、カナは思い出す。

「評判悪いわよね、アイツ。ライブを盗撮したって決めつけて、スマホ取り上げられた子がいるらしいわよ?」

「私も知ってます、その話」

「あの――」

 不穏な空気が伝わったのか、隅に座っていた20代半ばくらいの三つ編みの女性が、手を挙げて発言する。

「どうして私たちがここに集められたんでしょう?」

「まもなく秋人が参りますので。本人が話をします」

 手帳に目を落としていた鎌田は面倒くさそうに答える。

「どんな用件かくらい教えてくれても……。私、この後バイトがあって、時間が無いんです」

「困ったなあ……わたしからは何も喋らないようにいわれてるんだけど」

 鎌田がイライラしたように後頭部を掻く。

「実は、先ほどのサイン会で、秋人の腕時計が紛失するという事件が起きまして。周囲を探し回ったんですが、見当たらなくて」

「――もしかして、ったっていうんですか? 私たちが?」

 三つ編みを揺らしながら、女性が口を尖らせた。同調するように、オネエも「あ?」と威嚇を込めて鎌田を睨む。

「いや、その可能性があるのが、あなたたち3人だと……その少年が言うものだから!」

 慌てた鎌田が指さした先にはキョトンとしている日向がいた。

「日向くんが!? なんでっ!」

 一斉に非難の目を向けられた日向は怯えたように肩をすくめて、チノパンのポケットから、デジカメを取り出す。

「これ、さっき僕が写したものなんですけど。見えますか? ほら、このとき、まだ腕時計はあったんです」

 カナ、オネエ、三つ編みの女性――3名は膝を突き合わせてデジカメの画面を覗く。

 カナと秋人が握手している、その背景となっているテーブルの上に、サインペン、ミネラルウォーター、そして――シルバーの時計が写っていた。

「……本当だ、る」

 日向はオネエを見て「この後があなたの番で」、今度は三つ編みの女性を見て「次はあなたの番だった。このとき、アッキ―さんは時計が無いことに気がついた」

「あのテーブルは、物を見失ってしまうほど乱雑じゃなかったし、僕がざっと見たところ、床には何も落ちていませんでした。だから」

「待って」

 カナは頭を抱えたくなる。

 日向の言いたいことはわかる。もし、腕時計が盗まれたならば、ここに集められた3人が怪しいというのもわかる。でも、だからって、自分から首を突っ込むことないじゃない――!

 カナは幼馴染ヒナタの功罪を思い返した。小学生のとき、たまたま近くに小さい子が手放した風船を、どこまでも追いかけて、迷子になりかけたこともある。あの頃と何も変わっていない。

「最近、タレントの私物が盗まれて、オークションで流されてるってニュースを見たから。もし、そうだったらと思って……ごめん」

 さすがに、やり過ぎたという自覚があるのか、日向は弱ったように言い訳する。

「そういうことじゃなくて! いや、そういうこともあるけど! ほら、この写真! 私がアッキ―の近くにいたとき、腕時計はちゃんと在るでしょう。どうして、私まで疑われなきゃいけないのよ?」

「……それは、俺からもマネージャーさんに言ったんだけど。去り際に盗ったかもしれないって言われたら、反論できなくて……」

「でもっ」

「お待たせしました」

 ガチャリと、無機質なドアの開く音が響いて、西河原秋人が現れた。

 サイン会の1部が終了して、休憩時間に入ったらしい。

「部屋を隣に用意してあるので、おひとりずつ、来てもらっていいですか?」

 誰かが口を挟む間もなく、秋人がテキパキと指示する。

「じゃあ、私が」

 時間が無い、と主張していた三つ編みの女性がまず立ち上がって、秋人と部屋を出ていった。

 秋人から話がある――とは聞いているが、具体的には何をするつもりなんだろう?

 ファンとして近くにいられることは嬉しいけど、疑われているのだと思うと、堪らない気持ちになる。

 持ち物検査でもされるのだろうか。マネージャーの鎌田は同行するわけでもなく、残ったファンらを見張っている。

「アッキ―、お肌荒れぎみね。お疲れなのかしら。このごろ特に忙しそうだもんね」

 秋人の登場で、機嫌を持ち直したらしいオネエが心配そうに呟いた。

「ねえ、あなた」

「はい?」

「ノースKに昇進したら、推しメンにしてあげようか」

「おしめん?」

「あたし、鞠小路まりのこうじ紗南男さなおっていうの。サナちゃんって呼んでね」

 オネエ――鞠小路は、ラベンダー色の名刺を日向に差し出してくる。

「ミスター・メアリーって店でオーナーやってるの。いつでも連絡して」

 強引に名刺を握らされた、日向は「はあ」とぎこちなく微笑んだ。

「まったく、今日は良い日なんだか悪い日なんだか。サインの文字を失敗されちゃうしさ」

「私もですよ! あのマネージャーにテーブルクロスをずらされたせいで、こんなことに」

 カナは鞄からエッセイ集を取り出して見せる。

「アナタも? あたしもね、テーブルをズラされたせいで、文字が」鞠小路もそれを見せてくれる。「ほらあ、『サナちゃん』が『サ()ちゃん』になっちゃったのよぉ」

 日向が笑いを堪えている。カナのと、ほとんど同じミスだ。

「あのオデブ、狭い場所で動き回ってたから、テーブルに当たりまくってたのよね。ったく、あたしは薬屋にいるオレンジ色の象さんじゃないっての! あたしは象の被り物をするから、あんたはチョビ髭付けて、一緒に抗議しよう?」

「どうして、チョビヒゲ?」

「まったく。若い子はものを知らなくて嫌になっちゃうねぇ」

「次のかた、お願いします」

 数分と間を空けずに、秋人が呼びにきた。

 鞠小路が「どうぞ」と順を譲ってくれたので、カナは立ち上がる。当然のように、日向も付いてきたのを、秋人にとがめられた。

「できれば、この子とふたりだけで話したいんだけど?」

 連れてこられたのは、会議用机がひとつしか置かれていない、さらに殺風景な部屋だった。

「彼、私の幼馴染なんです」

「おさななじみ、ですか」

 秋人は日向を一瞥いちべつして、溜息を吐く。追い出されるかと思ったが、この場にいることを許されたようだ。

「お時間をとらせてしまって、本当にごめんなさい」

 アイドルは殊勝しゅしょうな態度で、まず頭を下げた。

「先刻のサイン会で、僕の私物が無くなってしまったんです。こんなことを聞くのは、本当に心苦しいんだけど、何か心当たりはありませんか?」

 間近で見る秋人は、顔も体も華奢で整っていて、まるで人形のようだ。鞠小路が心配していたように、肌は若干荒れているようだが。

「ごめんなさい。私は何も……」

 疑われているかもしれない――と分かっているものの、憧れのアイドルに必死な様子で尋ねられると、どうしても役に立ちたいという気持ちになる。

「そうですか。これ、僕に直通でつながる番号です」

 秋人はガッカリしたように肩を落として、カナにメモ用紙を渡した。

「後から何か気づいたことがあれば、連絡してください」

 持ち物検査はしないんだろうか――?

 机の上にバッグを置いてスタンバイしていたカナは拍子抜けする。

「アッキ―さん、聞いてもいいですか?」

 そこへ場違いに口を挟んできたのが、日向だった。

「テーブルの上に腕時計を置いてから、無くなったことに気づくまで、何か不審なことはありませんでしたか?」

「いや」秋人が怪訝そうに首を傾げる。

「特に思い出せないけど……あの時計は、大切にしていたから」

「見つかるといいですね」


 元気づけるようにカナが言うと、秋人は、妙に真剣な表情で「はい」と頷いたのだった。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ