5-1 幼馴染とサイン会
「私、思うんだけど」
小柄な躰で、大きく揺すられていると、なんだか小人みたいな気分になる――。
宮西カナは、カーブで揺れた地下鉄の中、ぎゅっと手すりを掴んだ。
「私に彼氏ができないのって、日向くんのせいだと思うのよね」
すぐ隣で、吊り革を掴んでいる幼馴染が、「は?」と間抜けな声を返してくれる。
口を丸く開けて、目をしばたたかさせている。
その、大きな瞳も長い睫毛も、つぶらな瞳族のカナにとっては、何もかもが羨ましい。
「友達が、先輩とか同級生を『カッコいい!』って騒いでるのに、どうしても共感できないのよ。私たちって小さい頃から一緒にいるじゃん? だから日向くんを見慣れ過ぎてるっていうか……。日向くんの見た目が無駄に整いすぎてるせいだと思う」
理不尽な非難をされた美少年――水無月日向は、うんざりした顔をする。
「俺だって、自分の見た目なんて嫌いだよ」
「そうなの?」
「なんていうか……一目見ただけで、ナメられない容姿になりたかった。スラムダ○クの魚住みたいに」
人にはそれぞれ悩みがあるらしい。
身長百五十センチのカナは、首を上げて幼馴染を見る。
「でもさ、日向くん身長伸びたんじゃない? 手とかも大きくなった気がするし」
「そうかな」
「やっぱさあ、雷宮先輩と付き合い始めたからかな……?」
彼女の名前を出すと、照れくさそうに白い頬を赤らめた。
そんな日向を見ていると、カナは、嬉しいような寂しいような複雑な気持ちになるのだ。
美少年のくせに女性恐怖症だったり……いろいろと手が掛かる幼馴染に、ようやくマトモな彼女が出来た。これで、子離れ……じゃなかった、『幼馴染離れ』できるというものだ。
「あれ、中一のときだっけ? 日向くん、電車で痴漢に遭って泣いてたじゃん」
「……」
思いっきり顔を顰めた日向にかまわず、カナは満面の笑顔で言う。
「でも、もうさすがに痴漢は遭わないよ。大丈夫!」
「……そうだね」
アナウンスがされて、列車が目的の駅に停車する。
乗り換えがある大きな駅なので、乗客の乗り降りが激しい。人ごみに押されながら、カナと日向もホームに降りた。
「混んでるなぁ」
人、人、人……。
休日で人が溢れかえる駅内のショッピングモールを歩きながら、日向が呟く。
「皆、サイン会に行くのかな?」
「そんなわけないでしょ。ほら、こっち」
エレベーターが混んでいるので、エスカレーターを選ぶことにする。
普段から人混みを避けているらしい、日向の動きは鈍い。そんな幼馴染にイラつきながらも、これからのイベントに、カナは期待に小さな胸を膨らませていた。
「そういえば、雷宮先輩は? 私たちが一緒に出掛けること、知ってるの?」
「今日は塾の模試があるって言ってたし。俺とカナさんのことでしょ? 何も心配してなかったよ」
「ふうん」
……ああ、なんか。ちょっとだけ、ムカッときた。でも、何だっていい。今日は。だって――、
「もうすぐ、アッキ―に会える!」
*
休日で激混みの札駅に、わざわざ二人がやって来たのは、ショッピングが目的ではない。
カナが大ファンのアイドル――西河原秋人・通称アッキ―がエッセイ集を発売した記念にサイン会が開かれることになった。それに参加するため、カナは日向を引き連れてやってきたのである。
「ライブでは写真NGなんだけど、今回は特別にOKなのよ! お兄ちゃんは今日大学のサークルがあるっていうし、カメラマンを頼める人が日向くんしかいなくて」
「俺も、部活あったんだけどね」
「ごめんね。今夜、カレー作ってあげるから」
「……それズルいよ。カナさんのカレー、美味しいからなあ」
ぼやく日向とともに、エスカレーターをひたすら昇り、目当ての書店にたどりつく。
『North.K―西河原秋人 サイン会』という立て看板が入口にある。
「サイン会参加のかたですか? 整理券はお持ちです?」
店頭にいた女性店員が聞いてくる。
カナが整理券を出すと、「こちらです」と案内された。あらかじめ抽選で選ばれたファンしか参加できないイベントのようだ。
「まず、あちらで本をご購入くださいね」
エッセイ本を購入してから、サインをもらう、という流れか。書店の一角に作られたコーナーには、すでに数十人程の列が出来ている。
「結構たくさん来てるね。有名人なんだ」
「何言ってるの?」
不用意な発言をした幼馴染を、カナは睨み上げる。
「ノースK、知らないの? ご当地アイドルとして、テレビにも出てるんだから! キツネ小路で毎週ライブやってんだよ! 会いにいけるアイドルなんだよ!」
「そ、そうだったんだ。全然知らなかった」
「ったく!」
「ノースは北でしょ。Kって何?」
「はあ? Kは、キタキツネのKに決まってるじゃん! 常識知らずにもほどがあるよ」
ダセェ!――その言葉を何とか飲み込んだ日向は、カナに気付かれないように溜息を吐く。
列に並んでいるのは、そのほとんどが女性だ。
ちらほらと男性が見られるのは、日向と同じくカメラマンとして同行させられて来たのだろうか。
「あ! アッキ―出てきた!」
カナが叫ぶと同時に、どおっと嬌声が上がる。
「ちょっ、マジかっこいいマジかっこいい! マジ顔ちっちゃいんだけど!」
小さな体で精一杯背伸びをして、カナが興奮している。
本が販売されている列の横の席に、ジャケット姿の少年が腰かけている。金に近い髪色が印象的だ。
「……?」
ふと気づくと、カナにじっと見られていた。
「ふんっ! 日向くんなんて、アッキ―と比べたら、全然大したことないね!」
「……そりゃあ、よかったね。」
得意げに宣言された日向は苦笑するしかない。
エッセイ本を購入したカナは、今度は秋人のサインをもらうために、隣の列の最後尾に並ぶ。サインの列には同行者は並べないので、日向はいったんカナから離れる。
「あの赤いテープの向こう側だったら、どこからでも撮影OKだって。よろしくね!」
「はいはい」
デジカメを手渡された日向はカナに手を振る。
カナが西河原秋人と握手する瞬間を撮ることが、日向に与えられた使命だ。順番が来るまでには時間がかかりそうだから、本でも眺めていようか。
「日向くーん。よ・ろ・し・く・ね!」
興味のあるコーナーへ行こうとした日向に、お咎めの声がかかる。これは……。ちゃんと使命を果たさないと、殺されそうな勢いだ。
人ごみを押しのけて、西河原秋人の方へ近づいていく。
ピンと張られた赤いテープを境界線に、沢山の人がカメラやスマホを構えている。そのほとんどが女性だったので、背伸びさえすれば、握手の瞬間をバッチリ写せそうだ。
「応援してまぁす」
「ありがとう」
ファンと愛想の良い西河原秋人の応対が聞こえてくる。
秋人は日向と同じ年頃にしか見えない。現役高校生でアイドルなんだろうか。
『North.K 西河原秋人サイン会』――看板の下、会議室で使うような長いテーブルが2つ並べてあり、光沢のある青いテーブルクロスがかけられている。
日向から見て、手前側で秋人がサインをしていて、奥側では太ったスーツ姿の男性がエッセイ集を販売している。テーブルの傍らには2人の男性店員が立っていて、列を監視している。
非日常な光景を観察しているうちに、ついにカナの番が近づいてきた。
日向はカメラを構えてファインダーを合わせる。
サインをする秋人、テーブルの上にあるミネラルウオーター、そして、いかにも高価そうなシルバーの時計が見えた。
「一生応援してますから!」
「ありがとう」
一生は無理だろ。
カナと秋人が握手した瞬間を何枚か撮る。無事に撮影できた。使命を終えた日向がほっとして背伸びを止めたところで、短い悲鳴が上がった。
「あ、ごめんね?」
「…いえ」
秋人が申し訳なさそうに、カナに謝っている。
一体どうしたんだろう――?
間もなく悲しげな表情をしたカナが、日向の方へ戻ってきた。
「信じらんない、もうっ」
サインがされた表紙を見せてくれる。
「サインの途中で、隣で本を売ってたオジサンがテーブルクロスをずらしたのよ……そのせいで、文字が……」
「ぶはっ」
おそらく、それは『カナちゃんへ』と書かれる予定だったのだろう。
それが、一字乱れて『カトちゃんへ』となってしまっていた。
「こんなのないよ、書き直してもらいたい!」
思わず噴き出してしまった日向を、恨みがましい目で睨みながら、カナが怒っている。
「……たしかに、ちょっと酷いね。書き直してもらえないか、係の人に聞いてみたら?」
「……うん」
カナが赤いテープの向こうの店員に声をかけようとしたところ、
「あれっ!?」
今度は別の悲鳴が上がった。
サイン会が一時中断していた。秋人が落ち着かない様子で、立ち上がったりしゃがんだりしている。そのせいで、女子大生っぽいファンが困惑したように本を抱いたまま突っ立っていた。
「どうしたんだ、秋人?」
隣で本を販売していた太った男が手を止めて、アイドルに声をかける。
やがて漏れ聞こえてきたのは、西河原秋人の悲痛な叫びだった。
「ない」
「え?」
「僕の時計がないんだよ、ここに置いていたのに!」
カナは驚いて傍らの幼馴染を振り返ったが、日向はすでに駆け出していた。




