4-6 パンイチで土下座しろ!
どうしてこうなったんだろう――?
打たれた頬がジンジンする。
すぐ横にいるパンツ一枚にされた空野楓を横目に、日向はおそってくる断続的な痛みに耐える。他人事じゃない。日向も彼と同じ格好で正座している。
はて――裸で土下座しなければならないほどの大罪を自分は犯してしまったんだろうか。
「申し訳ありませんでした!」
両頬をぷっくりと腫らした楓が土下座した。
仁王立ちした光が猫のような目を威嚇たっぷりにギラつかせ、腕組みをしている。
「すべてはオレの責任です! 水無月くんは何も悪くないです!」
下手な言い訳は無用、と割り切ったのか、楓はいさぎよく白状した。といっても、そんな彼を尊敬する気にはならない。
最初は土下座で済んでいたのだ。
それを楓が、ベッドに座る光のスカートの中を覗こうとしたことで彼女の逆鱗に触れ、罰としてパンイチの刑に処されたのである。連帯責任という名のもと、日向も一緒に……。
「何も悪くない、ってことは無いだろ! どうして空野がいることを隠してたんだよ」
「……すみません」
日向はシュンとなってうつむく。確かにそのとおり。そのとおりなんだけど……
「ったく、余計な悪知恵を働かせやがって!」
不機嫌最高潮といった調子で、光が大きく舌打ちをした。
そもそもの原因は、楓が日向のフリをして『裸エプロン見たいです』などと発言したことにある。
なにより光が腹立たしいのは、日向と楓の声を聞き間違えたことなのだ。どうしても納得いかないらしい。
「今こうして聞いても、お前たちの声が似てるなんてちっとも思わないのに!」
「そういや、劇団のメンバーにも似てるって言われたよな。水無月くん、わかるか?」
「……自分じゃわかんないよ。劇団の人たちは、ふだん高校生の声を聞き慣れてないから、そう聞こえただけだと思う」
日向にも心当たりがある。
小学生の弟・陽太が友達を連れて部屋にこもると、外に漏れてくる声だけでは、誰が誰なのか区別がつかない。聞き慣れている弟の声さえ、判別がつかなくなるのだ。
ぶるり、と寒気がして日向は裸の腕をさする。
そろそろ家族の誰かが帰ってきてもおかしくない時間だ。もし、この状況を見られてしまったら、と想像するだけでぞっとした。とりあえず服着たい。
「あの、大変申し上げにくいんですけど」
先に音を上げたのは楓だった。もぞもぞ動いて壁時計を指す。
「五時から劇団の公演があるんです。そろそろ行かないと……」
光は眉を顰めたまま、しっしっと手を払った。
「本当にすみませんでした! この罪は絶対に償います」
「償わなくていい。だからもう、私の前に二度と現れるな」
「あ~っ、そういう容赦無いとこが、たまらないんだよなあ。ぞくそくする」
「さっさと行け!」
楓は光にすがって足蹴りにされていた。
余計なことしなきゃいいのに……。日向は心底呆れる。見上げたスケベ根性だ。
「師範代と水無月くんも一緒に観にきませんか。今日が最終日なんです」
「遠慮する。またあんな事件があったら、気分悪いし」
「まさかぁ。もうないですよ」
笑い飛ばした楓に、光がおぞましげに言う。
「ああいう嫌がらせをする輩は、相手が壊滅的なダメージを受けるまで何度も繰り返すぞ」
「大丈夫ですよ。桑木さんと埜村さんが観客席を用心して見回りしていますから」
「だったら、前方の席を用心して見張っていたほうがいいぞ」
「前方の席? なんで?」
「見たからだよ」
光は、頬にかかった髪をすくいあげて耳にかける。
「舞台の途中に一度、席を立ったんだ。劇場に戻ってきたら、ちょうど扉付近に谷島さんがスタンバイしていた」
席を立った、というのは、控室に日向を訪ねてきたときのことだろう。
「その後すぐ、あの着信音が鳴り出して……。谷島さんも私も騒動が収まるまで動かずにいたが、その時点で彼女のドレスは汚れていなかった」
ということはさ、と用心深く続ける。
「スプレーを吹き付けられたのは、着信音が収まってから彼女が舞台に上がるまでの間ってことになるだろ。だから、前方の通路側に座っていた人物が怪しいんだよ」
――え?
日向は一昨日の事件を頭の中で再生する。何かが引っかかる。光の証言に重要な何かが隠れているような。
ぽかんと拝聴していた楓が身を乗り出した。
「マジすか!? どうして、すぐ教えてくれなかったんですか!」
「私も、いま思い出したんだよ」
「すげえ。師範代、名探偵みたいです」
調子にのって抱きつこうとした楓を、光は容赦なく押しのける。
「普通に考えればわかるだろう。水無月くんは……って、ああ」
白目になっている日向に気付いて光は苦笑した。
「水無月君、白目になってるじゃん! 大丈夫かよ? 顔に落書きしてもいい? 美少年顔を台無しにしてやる」
楓が机のペン立てからサインペンを取り出したところで、
「――雷宮先輩」
ようやく本人が意識を取り戻した。
「先輩が谷島さんといたとき、ドレスは間違いなく汚れていなかったんですね?」
「うん。ドレスの色が鮮やかなエメラルドグリーンだったろ。照明が当たってなかったから薄暗かったけど、あれだけ汚されていたならさすがに気づくよ。間違いない。最初に着ていた赤いドレスだったら分からなかったけどな」
「なるほど、衣装替えした後のタイミングだったのか。悪意を感じるなぁ」
ぐむ、と楓がうなって、
「水無月くん。なんだよ変な顔をして。何か思いついたのか」
日向は薄い唇に指をあてて視線をさ迷わせる。
「……スプレーが吹き付けられたタイミング……着信音の嫌がらせがあった後にされた、ということに意味がある気がして」
突然そわそわし始めた日向を、光と楓は呆然として眺めている。
「――空野くん。今日の公演、俺も行っていいかな」
「いいけど。急になぜ?」
「確認したいことがあるんだ。それから雷宮先輩、野巻先輩に連絡先を教えてもらっていいですか」
「?……ああ」
「うわ、時間やばい! もう行かなきゃ!」
にわかに慌ただしく行動し始めた男子らを、「待て」と光が呼び止めた。
「お前ら。まず、服着ろ」
「「……あ」」
そういえばパンイチだった。
日向と楓は顔を見合わせると同時にクシャミをした。




