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階段下は××する場所である  作者: 羽野ゆず
ステージは危険な××にご注意!―Who done it?
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4-3 劇団ふたり芝居

「ストーカー被害だって?」


 声を荒げた光に、アカネが鼻の下に指を当てて「しーっ」とたしなめる。

 公演後の控室で、日向、光、アカネの三人は顔を寄せ合っている。


玲於奈(れおな)さんって、見てのとおりハンパない美女でしょ。こうして舞台に立っているから、ストーカーみたいなファンがつきやすいのよ」


 玲於奈さん――。

 日向は、舞台上で間近に見た主演女優を思い出す。女スパイを演じていた。たしかに、ちょっと素人ばなれした美貌だった。


「じゃあ、これ(、、)はストーカーの仕業(しわざ)だと?」

「証拠はないけどね」


 光とアカネは、ハンガーラックにかけられたドレスへと視線を向ける。

 スパンコールが細やかに縫い込まれたエメラルドグリーンのあでやかなドレス。その後ろ裾を、赤い液体が汚している。

 まさか、血液――? 

 誰もが最悪の事態――谷島(たにしま)玲於奈が大量出血している可能性――を考えたに違いない。だが、実際には“血液”ではなかったのである。


 日向は、サテン生地の汚れた部分に触れてみた。

 見た目の凄惨さのわりに、さらっとした感触だ。シンナーのような匂いもする。おそらく、カラー(、、、)スプレー(、、、、)を吹き付けられたのだろう。

 玲於奈が無事だったので、いったん幕が下ろされた舞台は、彼女が衣装替えした後に再開された。


「演出上、何度か観客席に降りるのよね。そのときにやられたのかな。陰湿(いんしつ)なイタズラよね」

「イタズラっていうか、犯罪だろ。警察に通報したほうがいい」


 心配そうなアカネに、光は表情をけわしくして忠告する。


「代表の桑木くわきさんと脚本の埜村のむらさんが、検討しているところだと思うけどね。通報まではどうかな」

「野巻、おっつかれー!」

あずさ先輩。お疲れ様です」


 ボブカットの快活そうな女性が控室に入ってきた。アカネは強張っていた表情をほころばせる。


「こちら、鏑木(かぶらき)梓さん。黒志山校の演劇部OGだよ」


 どこかで見覚えがあると思ったら、劇場の受付にいた女性だった。

 丸い輪郭(りんかく)の愛嬌のある顔立ちで、その場にいるだけで、周囲を明るくさせる雰囲気を持っている。梓は日向に気づくと、軽いウインクをしてくる。


「王子様役の子だね。今日はご協力ありがとう。私、大学で演劇サークルに所属しているんだけど、劇団のお手伝いもさせてもらってるの。もうひとり、森くんって男子もいるんだけど……ほら、君が代役してくれた王子様役――だったけど、今日のことでクビだね、彼」

「『二日酔いで来れない』は無いですよねー」


 梓とアカネがしみじみと呟く。


「でも、よかったわ」と梓が日向をじっと見つめてきた。「君の王子様の方が断然よかった! お客さんが帰るとき、『王子様の子は誰ですか?』って聞かれたよ」


 距離を縮められて、日向は後ずさる。嫌な予感である。

 最近、彼のパーソナルスペースはおかされてばかりだ。顔を引きつらせながら、「なにか?」と抵抗してみるが、梓はさらに迫ってくる。


「だって、すごい好みの顔なんだもん! どう、今夜? お姉さんとランデブゥ?」

「ちょっと梓先輩!」


 アカネが笑い交じりに止める。


「水無月くん、彼女いるから。そこの、怖い顔をしているお姉さんがそうよ」

「この美人さんが? ありゃ、これは失礼したわね」


 てへ、と梓が頭をコツンとやる。

「いーえ」と笑顔で返す光は、隠しきれない苛立ちが滲み出ていた。光の恐ろしい怒りのオーラを感じた日向は、またまた血の気が引く。


 怖い! 怖すぎる!!


 一刻も早く、この重い空気圧から逃れたい。そんな思いで、他の話題を口にする。


「か、鏑木さん。聞いてもいいですか?」

「んっ? なあに」

「劇の間もずっと受付の仕事をしていたんでしょうか」

 梓が首を振って、「ずっとではないよ。開幕したら受付はアルバイトさんに任せて、スポットライトを操作していたの。当麻とうまさんと玲於奈さんが観客席に下りているときに照明を当ててました」

「当麻さんっていうのは……ええと」

「当麻(じゅん)さん。うちの主演俳優よ、イケメンの。私、あの人に憧れて劇団に入ったんだから!」


 両手を重ねて、うっとりする梓。続けて解説してくれる。


「この劇団ってまだ歴史が浅いの。他の劇団にいた当麻さんと玲於奈さんを、代表の桑木さんと脚本の埜村さんが、それぞれ引き抜いてきて新劇団を作ったんだ。作品のほとんどは、あの二人をメインにした、ふたり芝居ね。脇役としてスタッフの誰かが出演することもあるけど――」


 いったん言葉を止めて、憂鬱(ゆううつ)そうに顔を曇らす。


「それにしても今日の舞台! 公演中にケータイを鳴らすとか信じられない。同時に何台もだなんて、絶対に偶然じゃないよね!」

「すまない。あれ(・・)、俺のせいかもしれない」


 セーターにジーンズというラフな格好の男が控室に姿をみせた。男スパイを演じていた主演俳優の当麻淳だ。整った面持ちを歪ませている。


「観客にいくつか見覚えのある顔がいたんだ。前にいた劇団のメンバーだった。たぶん、ヤツらの仕業じゃないかな。俺が、この劇団に移籍するとき円満にいかなかったから嫌がらせに」

「そんな、当麻さんのせいじゃないですよ」


 梓が慰めるように言う。

 当麻は、全ての責任が自身にあるとばかりに落ち込んでいる。その姿は、まるで苦悩するハムレットのようだ。


「あの。今までも、こういった嫌がらせはあったんですか」


 遠慮げに日向がたずねると、当麻は一瞬変な顔をした。


「――いや。今までは、この劇場よりも小さな場所で公演していたから、奴らも入り込みにくかったんじゃないかな。ええと、君は、王子様をやってくれた、水無月くんだっけ?」

「はい……?」


 当麻は微かに口元をほころばせた。


「ごめん。一瞬、楓に話しかけられたと思ったんだ。君たち、声、似てるね」

「へっ!?」


 その件について、後ろめたいことがある日向はぎょっとして叫ぶ。


「あーっ、私もそう思ってたところですよぉ!」なんと梓も賛同するではないか。「声質が似てるのかなぁ。野巻もそう思わない?」

「そうかな。光はどう思う?」

「全然似てないと思うぞ」


 アカネと光は、揃って首をひねっている。

 人によって感じ方は違うらしい。が、現につい先刻、光は、日向と楓の声を聴き間違えているのである。


「みなさーん! 桑木さんがお呼びですよ」


 噂をすれば、空野楓だ。


「ああ、楓。今、お前の話をしてたんだ」

「やだなあ、何です?」


 自分が話題になっていると知り、「嫌だな」とぼやきつつも満更まんざらでもなさそうな楓である。


「お前と水無月くんのな――」

「当麻さん、集合ですよ。急いでください」


 主演俳優がしゃべるのを遮り、小太りの男が闖入ちんにゅうしてきた。


「桑木さんと埜村さん。舞台で待ってますから」

「ごめん、太田くん。今、行くよ」

「早くしてください」


 当麻は詫びるように手刀を切るが、むすっとしたまま小走りで去る。太々(ふてぶて)しさと神経質さを同時に感じさせる男だ。

 彼はたしか音響担当の――。日向は舞台の記憶がよみがえる。当麻(ふん)するスパイが壺を割ったとき、効果音を流すタイミングを逃すミスを犯していた。


 がらんとした観客席の最前列に三人の男女が座っている。

 左端にいる『STAFF』のジャンパーを着た男がメンバーたちに「ご苦労様ぁ!」と声かけしている。舞台が着信音で妨害されたとき、客席に止めに入った人物だ。


「今日はお疲れさま。トラブルはあったけど、初めて公演する会場での舞台としては成功だったと思う。明日も予定どおり頼む」

「あれが代表の桑木さん。天パきついだろ? 大泉〇みたいじゃね?」


 内緒話のボリュームで楓が日向にうそぶく。


「こらっ、聞こえてるぞ!」


 ひっと楓が首をすくめる。


「桑木さん、あの」


 心配顔の梓が、舞台隅にいる谷島玲於奈をちらっと見やって、


「開演前に、お客さんの持ち物検査をした方がいいんじゃないでしょうか」


 劇団の代表である桑木は、天然パーマが強くかかった髪をがしがしと掻く。


「それも考えたが……観客にそこまで強制はできないよ。俺と埜村が今日より念入りに観客席を見回りをするから。玲於奈、いいかな?」

「大丈夫です」


 か細い声で返事する谷島玲於奈。

 彼女の隣にいる、がっしりとした体格の男――埜村が玲於奈の肩を抱く。かなり親密そうだが。


「あの二人、付き合ってるんだよ」


 楓がこっそり教えてくれる。


「自宅から電車に乗って劇場まで、毎日送り迎えしてるんだぜ。埜村さんが相手なら、変質者もビビッて近寄れないだろ」

「電車……?」

「埜村さん、何年か前にバイク事故にあったらしくてさ。それから運転はしていないって――なぁ水無月くんっていくつ?」


 何の脈絡もなく年を訊かれ、面食らったまま日向が答えると、楓がくるくるした瞳を見開いた。


「うおっ、同い年かよ! あの師範代とどうやって付き合うことができたんだ? オレさぁ、師範代の彼氏といったら、鬼神のごとく強そうな大男と予想してたのに。意外だなぁ」

「……貧弱そうで、意外だと?」


 日向はつい売り言葉に買い言葉を返してしまう。

 楓があんまりに明け透けだからだろう。光がお手洗いのため、この場にいなかったのが救いだ。高校男子らのやりとりを聞いていたらしい梓が吹き出した。


「ねえ、玲於奈さん。このふたりって似てません?」


 玲於奈が口元に手を当てて忍び笑いしたので、日向は頬を赤らめた。さっきの会話が丸聞こえだったとは。


「本当、似てる。若い子って、眺めているだけでなごむわ」


 自分だってまだ二十歳そこそこだろうに、オバサンのような発言をする玲於奈。


「似てるかあ?」


 異議をとなえたのは埜村だ。

 体格の良さに加え、顎ヒゲが嫌味なく似合うワイルドな顔立ちで、いかにも屈強そうな印象だ。


「そっちの彼は、“お城のプリンス”って感じだけど。楓は同じプリンスでも、ギャングか海賊のだろう? 楓は品に欠けるからな」

「あっ! 埜村さん、オレに品が無いって言ったの今日二回目ですからね! 覚えといてくださいよ」

「ははっ」


 埜村が快活に笑う。見た目よりも、ほがらかな人柄らしい。よし、と柏手かしわでを叩いたのは、代表の桑木だ。


「これから打ち上げにしようか。明日も公演があるから、皆控えめにな!」


 一同はーいと歓声を上げる。


「水無月くんもどう?」桑木が誘ってくる。「よければ彼女も一緒に」

「いえ、僕は」


 はたして、光のことを彼女(・・)といっていいのか――。

 日向の認識としては微妙だったが、この場でムキになって否定する必要もないだろう。

 桑木の誘いをやんわりと断り、お手洗いから戻ってきた光と退散することにした。


 劇場を出ると、冬に向かうせっかちな太陽は消え失せ、辺りは薄暗くなっていた。

 地下鉄へ向かう途中、ショッピングモールのライトアップされた広場の煙突を見上げ、光が白い息をはく。


「――また、変なことに巻き込まれちゃったな」


 日向を舞台に誘ったことに責任を感じているらしい。

 こんなにも、申し訳なさそうにしおらしくしている光は珍しい。日向はわざと明るく微笑んで見せた。


「貴重な経験ができましたから」

「……っ、なかなかハマり役だったぞ、アラブの王子様」


 公演は明日、明後日と週末まで続くという。思い出し笑いをする光に、日向もつられて笑う。

 だが、心中では何とも掴みようのない不穏な胸騒ぎがしていた。

登場人物が沢山出てきちゃいました。劇団メンバーを簡単に紹介しておきます。

当麻淳~主演俳優。他劇団から引き抜かれた。

谷島玲於奈 ~主演女優。当麻と同じく他劇団出身。埜村と付き合っている。

桑木〜劇団代表。演出担当。

埜村〜脚本担当。玲於奈と付き合っている。

太田~音響・照明担当。

鏑木梓〜雑用。大学サークルから派遣されている。

野巻アカネ〜雑用。高校3年生。元演劇部部長。

空野楓〜雑用。高校1年生。

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