2-3 隣の人が犯罪者じゃないとは限らない【解決編1】
「それ、何とかならないの?」
ハンバーガーを頬張りながら白目をむいている日向に、光が悪態をつく。
「あ……すみません」
日向が思考に集中すると、他の身体機能が鈍くなって白目をむくことを、光は知っているが、食事中に見て気持ちの良い光景ではない。
「だいたい、どうしてキッズセットを注文したんだよ」
「これですか。弟がおまけのオモチャを欲しがっていて」
黄色い電車のミニチュアを弄びながら、日向は微笑む。
区立図書館から近いファーストフード店である。
あっという間にキッズセットを食べ終えた日向は、ダブルチーズバーガーにかぶりついた。
「君たちも来てたのか」
聞き覚えのある声がして、ふたりは同時に顔を上げる。
「司さん……」
「ランチまで同じ場所だなんて偶然だなあ」
嫌味ったらしい口調に、光はそっぽを向いた。宮西司とカナの兄妹だ。ここでも遭遇してしまうとは……。
妹のカナは相変わらず、兄に隠れるようにして、ぎこちない笑みを浮かべている。
「なんだ、お前もキッズセットを頼んだのか。陽太が欲しがってた電車なら、俺がゲットしておいたぞ。じゃっ」
司の手には、日向と同じ黄色い電車が握られていた。不敵な笑いを振りまいて去っていく。
「うぅ……ドクターイエロー、かぶった」
がくりと項垂れる日向に、光が尋ねる。
「『ようた』って誰?」
「弟です。司さん、僕には冷たいけど陽太には甘いんだよなぁ」
「てかさぁ、アイツらじゃないだろうな?」
光が猫のような目を細めてささやく。
「僕たちの写真を撮って、掲示板に貼りつけたのが、ですか?」
つい一時間ほど前のことである。
日向と光を盗撮した写真が、図書館の掲示板に貼り出されていた。
これによって、ふたりは身に覚えのない疑いをかけられることになったのだ。
おまけに、写真の裏に書き込まれていた、“謎の数字”に翻弄され、その間に、勉強机の裏に貼られていた封筒が無くなっていたのである。
「おまけに、また謎の数字だ。水無月くんといると妙な事件に遭うなぁ」
うそぶく光に、スミマセン、と日向は首の後ろをかく。
「どこの誰がやったのか見当もつきませんけど、あの二人の仕業でないことは言えます」
「なぜそう言える?」
光は憮然としてたずねる。
「写真です」
日向は人差し指を薄い唇につけた。
「あの写真は、図書館で撮られたものでしたよね? 犯人は、あの場で僕らを撮り、プリントアウトして、掲示板に貼りつけた」
「よくも、そんな面倒くさいことをしたもんだな」
「まったく同感です。ただ、宮西兄妹が犯人だとしたら、僕の写真を撮る手間が省けるんですよ。宮西家には、僕の写真が山ほどあるはずだから」
光は一瞬、「?」という表情をしたが、すぐに合点がいった表情になる。
「幼馴染だからか」
日向は頷いて、「僕らの親、写真好きなんです。高校の入学式のとき、カナさんと僕で撮ったものとか。夏に一緒にキャンプに行ったときの写真とか。たくさんあるはず。司さんPCを弄るの得意なんで、データを拡大したり加工して、プリントアウトするなんてお手のものだと思います。彼らが、わざわざ今日、僕を撮り直す理由はないんです」
「でも、私の写真は無いだろう」
「それはさすがにないと思いますけど」
こほん、と日向はいがらっぽい咳をする。
「話を根本的なところに戻しますね。どうして犯人は、わざわざ僕らの写真を撮って貼るという、まわりくどい手段をとったんでしょうか――?」
喋りながら、チーズバーガーの最後の一片を食べ終えて、コーラを飲み干す。
「封筒が失くなっていた以上、犯人の目的は、僕らを席から遠ざけて、“時間稼ぎ”することだったとしか考えられません。実際、僕らは事務室に呼び出されて席から離れることになりましたけど。
でも、別に写真じゃなくても良かったと思いませんか。たとえば、氏名の方がよっぽど簡単で手っ取り早いと思いません?」
「……あ」
「正体不明の写真を貼るよりも、『水無月日向』と『雷宮光』とでも書いて貼り出した方が、間違いなく効率的です。あの職員さんたちにしても、正体不明の写真の僕らを探す手間も省けたはずです。氏名をアナウンスすれば済むことですから。
それをしなかったのは何故か――? 犯人は僕らの氏名を知らなかったから。宮西兄妹は、僕らを知っていますから、除外できるわけです」
「わからないな」
紅茶のチルドカップに、光は唇をよせる。
「封筒を取ることが目的なら、『そこを少し空けてくれ』と一言ことわれば済む話じゃないか」
「そうなんですよねえ……」
日向が視線を空にさ迷わせる。口の端にケチャップがついていた。
「あんな面倒なことをしてまで、隠密に封筒を手に入れたかった――となると、マトモじゃないっていうか、後ろ暗いものを感じざるを得ないっていうか……くっしょん!」
両手で口を覆うなり、大きなクシャミをする日向。
光は呆れたように言う。
「そもそもさ、水無月くん。机の裏に貼ってある封筒になんて、普通は気づかないぞ」
「ああ」と日向は頭を掻いて、「クセなんです。公共の、皆が使う椅子とか机に座る前に、落し物がないかを調べるの。バスの座席のクッションに五百円玉が挟まってるの見つけたことありますよ」
「……変な奴だな」
無邪気に笑う美少年に、光はつられて破顔する。
そのまま身を乗り出して、触れるだけのキスをした。
「!?……ちょっと!」
突然すぎて拒否反応が出る間もなかった。
「風邪がうつりますよ!」
「大丈夫だ」
光は無駄に得意げに豪語する。
「私、ここ三年くらい風邪ひいてないから」
「っしょん!」
風邪のせいか、それとも誰かの噂のせいか。日向がまたクシャミをする。ティッシュで鼻をかんで、はぁ、と熱っぽく吐息した。
「弟から感染されたんですよね、この風邪。小学生の風邪菌って、いがいと強力で。気を付けてたのに、いつ感染したのか……」
喋りながら日向は硬直して、次に、目が醒めたような表情をする。
「大事なことを見落としてました。あの封筒は、一体『いつ』机に仕込まれたんでしょう」
ピンときていない様子の光に説明する。
「今朝、僕らは先頭で図書館に入って、閲覧コーナーの席につきましたよね。僕らより先に誰かが座っていた、ということはなかったはず――なのに、その時点ですでに封筒が仕込まれていたということは?」
光はかしげた首の角度を深めた。
「前の日に仕込まれたんじゃないか……?」
「区立図書館では毎朝、開館前に清掃が行われるんです。清掃のおばさんたちが机を拭くとき、封筒に気づいて回収されたり、最悪紛失されてしまうという可能性を、仕込んだ人物は考えなかったんでしょうか。持ち去った方は、あれだけ手の込んだ方法で、僕らに姿も見せず完璧に封筒を回収したのに」
むう、と光はうめく。
「たしかに。ちょっと違和感あるかもな」
「でしょう? つまり、封筒は、今朝清掃が終わってから僕らがあの席に座るまでに仕込まれたんです。そして、そんなことができるのは――図書館の職員以外にいない」
「だったら、清掃のおばちゃんも容疑者じゃないか」
抜け目なく光が指摘する。
「ですね……」
日向はぼんやりと口を開けている。すこしの沈黙のあと、回想するように、
「あの封筒、何が入っていたんだろう。ディスク一枚くらい入りそうな厚みはあったけど」
光は猫のような目が険しくさせる。席を立ち、向かいのソファにいる日向のすぐ横に腰掛けた。
「ディスクか、なるほどね。ああいうところの職員が犯罪者になるのは簡単だ。なにせ、手元に利用者の氏名やら住所やら電話番号なんかのデータが、ごっそりあるからな」
日向は目を見開く。
「ディスクの中身が個人情報だと?」
「否定できるか?」
「でも、さっき会ったあの人たちが犯罪に手を染めてるなんて……僕、とても想像できません」
「犯罪者が皆、いかにも、な悪人顔をしていると思ってるのか。どこにでもいそうな普通の、虫も殺さないような人間が、案外犯罪者だったりするんだぞ」
「……かもしれません。けど、封筒に本当にディスクが入っていたかはわかりませんよ。それに――」
鳥肌がたった腕をさすりながら、光と距離を置いて座りなおす。
「僕がセクハラされても良いってことにもならないと思います」
「ちっ。尻を揉まれたくらいで、ケチケチするな」
わざとらしく咳払いをする日向に悪びれもせず、光はスカートの上のパンくずを払った。
「さて、そろそろ戻るか」
「図書館にですか」
「あんな目に遭ったから退散するなんて、癪だろ。夕方に剣道の稽古があるから、それまで勉強して行くよ」
光はポニーテールの尻尾を撫でて、うーん、と大きく伸びをする。
「僕も戻ります」
ハンバーガーの包み紙をくしゃっと丸めて、日向は意味ありげに独りごつ。
「まだ、気になることがあるんで」




