2-2 "913"
「……これ」
やがて、日向は違和感の正体に気付く。
目線が合っていない。撮られることを意識したカメラ目線のものじゃない。
当然だ。こんなものを撮られた覚えはない。
服装や背景からするに、今日ここで撮影されたことは間違いなさそうだが。ぼんやり思考に耽っていると、思いがけない言葉をかけられた。
「もしかして、あなたが貼ったの?」
「は……?」
職員の中年女性がプリント用紙を、「これ」とかかげる。日向は身を乗り出して、
「ち、違います! 自分の写真をあんな場所に貼るなんて」
正気の沙汰じゃない。
女性はしばらく考え込む仕草をしていたが、「それもそうよね」と肩をすくめた。首から下げているネームプレートには、『図書館係長 帆南玲子』とある。
帆南係長は、日向の顔をマジマジと見つめた。
「失礼だけど、こういう嫌がらせをされる心当たりはない? ストーカーとか」
「ありません」
たとえストーカーの仕業としても、図書館の掲示板に貼った意味がわからない。摩訶不思議だ。
「おい、ちょっと!」
事務室から、さらに五十がらみの男性が出てきた。帆南係長が「館長」と声をかける。
「君が写真の男の子か。ちなみに、こっちの女の子に心当たりないかい?」
大きな声で喚きながら、別の写真を突き出してくる。その被写体は――
「あ、雷宮先輩」
*
こうして受験勉強に励んでいた光も事務室へ連行される運びとなった。
光の写真は、日向の写真の隣に貼られていたらしい。図書館課長は腰に手を当てて、「困るんだよねえ」とぼやく。
「こういうことされちゃ。公共の掲示板なんだからさ」
「だから、知らないって言ってるでしょう! そんなもの勝手に撮られて貼られて。私たちはむしろ被害者だろう」
「ふむ。じゃあ、誰がやったと?」
「知らん!」
ミニスカートから伸びる足で、光が地団駄を踏んだ。相当ご立腹だ。これは後が怖そうだ。
日向は、光の写真をじっくり眺める。
真剣な顔で、問題集に取り組む姿が写されている――いつもの勝気な感じが薄れ、普通の綺麗な少女に見える。
日向の写真と同じく、斜め上からのアングルだ。
写真プリント用の光沢紙ではなく、普通のコピー用紙に印刷されているから、裏にもインクが滲んで……
「ん?」
裏返したコピー用紙の真ん中に、小さな文字で何かが書かれていた。
『913ヨ』
日向はデスクにある自分の写真もひっくり返してみる。
「『Eラ』――なんだこれ?」
「どうした」
光が手元をのぞきこんでくる。
「変な数字が書いてあるんです」
「え、ちょっと見せて」
帆南係長も顔を用紙に顔を近づける。
「……913。これ、『図書分類番号』じゃないかしら? ねえ、山吹さん。913って日本文学の小説よね?」
カウンターから司書の山吹嬢がやってきて、帆南の質問に答える。
「はい。ヨは、頭文字に『よ』が付く著者の本で、こっちの『Eラ』ていうのは、児童書ですね」
「図書館分類番号か」
日向はうなる。どこかで見覚えがあると、思っていたら、図書館で借りた本の帯や、書籍場所案内で見かける数字の羅列だったのだ。
「でも、なんで図書館分類番号が?」
「その分類の本に何か仕込まれてるんじゃないのか」
光が適当に発言すると、意外にも、日向は目の色を変えて「かもしれません」とおもむろに立ち上がった。
「僕、確認してきます」
「じゃあ私も行きます」
日向に続いて腰を浮かせた帆南係長を、館長が止める。
「どうせイタズラだろう。そこまでする必要はないよ」
「イタズラにしても、このまま放ってはおけないでしょう。館長も本を探るの手伝ってください、司書は窓口業務があるんだから」
「……わかったよ」
館長と呼ばれた男は、しぶしぶと児童書コーナーへ向かう。一方、日向と帆南係長は、日本文学小説が並ぶ陳列棚へと移動した。
『ヨ』が頭文字の著者のコーナーには、予想を上回る冊数が並んでいる。帆南が『ヨ』の先頭から本を手にとっている。日向は終わりの方から調べていくことにした。
「調べるって、何をしたらいいんだ?」
後をついてきた光も適当に本を取り出している。
「不審なことが書かれていたり、何か挟まれていないか、一冊一冊確認するしか……あ!」
さっそく日向が何かを発見したらしい。
「名刺です」
シンプルなデザインの名刺である――『有限会社森園建設 社長 森園宗一郎』。
「印刷の他に文字は書かれてないな。それとも、この名刺自体に意味が」
歯噛みする日向に、帆南係長が声をかける。
「それ、前にいた部署でお世話になっていた会社の社長だわ。連絡してみる?」
「お願いします」
帆南係長は、ロングスカートのポケットから携帯電話を取り出した。
「……帆南です。ご無沙汰してます。はい、お世話になっています。図書館の本に社長の名刺が挟まれていたんですが……はいはい……ああ、そうですか。いえ、次回にお返しします。お忙しいところすみませんでした」
通話を終えると、帆南が無言のまま頭をふって、
「栞代わりに、挟んでいただけだって」
「……そうですか」
どうやら無関係らしい。日向はがっくりと肩を落とす。
「おうい!」
館長が大股でこちらにやってきた。書架コーナーのあかるい照明で、薄くなった頭頂部が照らされている。
「こっちは、何もなかったぞ。そっちは?」
帆南係長が力なく首を振ると、館長はこれ見よがしにうなだれた。
「まったく、どこの誰かが暇つぶしにやったことか」
「暇つぶし……」
うつろな目で日向は館長を見上げる。しばらく不思議な見つめ合いが続いたが、はっとしたように日向が言う。
「――もしかして、時間稼ぎ」
「水無月くん?」
光が止める間もなく、日向は走り出した。運動神経はイマイチな彼だが、足だけは異常に速い。
光が追いつくと、閲覧コーナーで、日向はふたりが勉強していた机の前に膝をつき、下をのぞきこんでいた。
「やっぱり――無い!」
勢いよく上体を起こすが、机の縁に頭をぶつけてうずくまる。
「おい。大丈夫か」
「痛ぅ……そ、それよりも」
日向はふらふらと立ち上がってから、言った。
「朝イチで僕がここに座ったとき机の裏に〈白い封筒〉が貼り付けてあったんです。でも、それが今、なくなっているんです」




