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階段下は××する場所である  作者: 羽野ゆず
彼女は存在しない―The Disappearance of a girl and eggs.
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人間&天使―無意味なWhyの応酬【推理編2】

 なぜ? 何故? Why?


 無意味な疑問の応酬。エルは心底うんざりした。

 どうしてこうも人間は愚かな生き物なのか。短い生をもっと効率的に生きようと思わないのか。


『好奇心は猫をも殺す、って知らないの?』


 九生あるといわれている猫でも、好奇心のままに行動していては命がいくつあっても足りない、という格言だ。

 興味本位で下界を覗いてばかりだった頃のエルに、かつて大天使が忠告した言葉だった。『エルは変わり者だ』『天使のくせに俗っぽい』『だから出世できないんだ』などと陰口を叩かれているのも知っている。


 うん。認めよう。

 こうも不愉快になるのは、自己嫌悪にも似た感情のせいだと。あの水無月日向という人間は、自分とちょっと似ている。認めたくないが……

 


「私は反対だ」


 空を切り裂く(いかずち)のように、断固とした声が響いた。

 光はすっくと立ち上がり、宿敵を見るような目つきで、空の卵ケースを指した。


「理由なんて知るか! こんな馬鹿げた真似をしたのは誰か。そいつが名乗り出れば済むことだろう。犯人捜しなんて無駄だ無駄!」


 深い思索にふけっていた日向は身をすくませる。

 エルは瞠目(どうもく)してしまった。なんて正論――!


『そのとおり。そのとおりなんだけど……』


 雷宮光。どことなく、エルの指導役である大天使と似ている。不思議な威厳に満ちた人間だ。が――今回に限り、彼女の正論は通らない。

 どんなに圧をかけようと、誰も名乗り出やしない。

 だって、犯人はもうこの世にいないから。魂の存在から消失してしまっているから。


「皆のアリバイを調べて、冷蔵庫から卵が消えた時間帯を絞り込めたら……」


 提案したものの、「やっぱりいいです」と引っ込める日向。消え入りそうな声だった。

 光が睨みをきかせたのも原因だろうが、アリバイなど絞り込めないことに気づいたのだ。別荘に着いてから、卵が消えるまでのアリバイ。合宿中、間食はセルフサービスで、誰もが自由に好きなものを冷蔵庫から取り出していた。その全てを明らかにするのは困難を極めるだろう。


「やっぱり変な事件が起きた……中村せいじが設計した館だから……隠し部屋とか隠し通路があるんだきっと」


 何やら思い詰めたように早乙女がブツクサ言う。


「だから誰なのそれ。設計してくれたのは中村青湖さんだよ。怪しい部屋も通路もないから」


 アカネがため息混じりに吐き捨て、赤みがかった長い髪を指で梳いた。


「もういいじゃない、卵なんて! もともと1パックしか買うつもりなかったし。これ以上悩んだってどうしようもないよ――そろそろ台本のチェックに戻ろう」

「……そうだな。せっかく合宿に来たんだし」

「だね」


 サークル会長の号令に、光が早乙女が次々と従う。

 唯一、日向だけ未練たらしく空の卵ケースをちらちら見ていたが、そんな彼の様子に気づいた光がケースを持ち去り、プラゴミ用の袋にぶち込んだ。容赦のない動きだった。

 まるで自らが捨てられたかのように、悲しげな表情をした日向だったが、逆らう(すべ)などなく、うつむくだけだ。


 これにて、ラブリーキラー発動による、思わぬ“副産物”は、ただのゴミと成り果てた。



『もともと1パックしか買う予定がなかった……』


 台本を読み合わせする学生たちの頭上で、エルは羽根を繕っている。厄介ごとを考えているときの癖だ。

 辺境天使の特性で一度見聞きしたことは忘れない。たしか昨日――


『卵が2パックある……1パックでいいのに』

『僕らの買い物リストに、卵が入っていましたけど』と伝えた日向に、『あちゃあ、あたしが重複して書いちゃったのか。弱ったね。食材は使い切って帰りたいのに』

 

 別荘に到着したとき、アカネは確かにこう悔いていた。重要なのは、これが、雷宮茉莉花が消える前(、、、、)ということである。

 冷蔵庫に貼ってあるメニュー表へ、視線を走らせる。

 ラブリー・キラー発動前後で、茉莉花に関わる物体は矛盾がないよう消えたり改変されたはずだが、メニュー表の内容に変化は(、、、)ない(、、)


『五人いたとしても、三泊四日で卵1パックを使い切る予定だった、と――』


 少なくともアカネはそういう腹づもりだったらしい。

 ちなみに、彼女の『食材を無駄にしない』心遣いは、一昨年亡くなった料理研究家だった祖母に躾けられたものである。


『二日目朝、目玉焼き……三日目朝、ゆで卵』


 朝食のメニューは、主食、主菜、副菜、汁物の組み合わせになっている。卵料理といえば、朝食の定番メニューだが……


『目玉焼きで五個、ゆで卵で五個』


 現物を思い浮かべながら、エルは指を折る。

 ここで忘れてはならないのが、彼らは元々五人(、、)だった、という事実。卵は1パックで十個入り。つまり、三日目の朝食で1パックを使い切る計算になる。


『三日目の昼以降、卵は使わない予定だった。でも、手違いで余分に買ってしまった……』


 茉莉花が卵を盗んだ理由。

 アカネが卵を余分に購入したことを後悔していたから……?


『んな馬鹿な』 


 だからって、忽然(こつぜん)と卵が消えたら混乱するだけだ。実際ちょっとした騒ぎになったではないか。

 

『……卵1パックが無くなることで何が起きるのか……』


 もっとシンプルに考えよう。

 卵は三日目の朝食で使い切るはずだった。余分な1パックがなければ、それ以後、卵料理は食卓に出なくなる。

 卵料理が出されないメリット(、、、、)とは――?

 茉莉花が卵嫌い、という可能性は先に否定した。では、他に卵が嫌いな誰かのため?


『いや違うか』


 日向や早乙女も、烏骨鶏の卵プリンを美味しそうに食べていたではないか。アカネも食べるのを楽しみにしていたし……


『あ、プリン!!』


 そうだ、人間界に卵を使う料理はたくさん存在する。

 プリンなどのスイーツもそう。しかも、酪農ヘルパーをしている門脇により、新鮮な生クリームが届けられていたではないか。

 卵と生クリームといえば、洋菓子の基本材料。心得のある者なら、デコレーションケーキを作ることだってできる。


『甘い物が苦手な光のために、卵を盗んだとか?……うーん』


 ところが、これもしっくりこない。

 なぜなら、光は、甘味が苦手であることを周囲に(、、、)隠して(、、、)いない(、、、)

 プリンを差し入れてくれた門脇本人にさえ、はっきりと公言していた。アカネが余った卵でケーキを作ったとしても、「苦手だから皆で食べて」と断れば済む話である。我慢して食べる必要などない。

 いくら茉莉花が従姉妹思いだったとしても、スイーツを作れないよう卵を盗むというのは、空回りな行為としかいいようがない。


「わわっ!」


 甲高い悲鳴で、天使の思考は遮られた。

 ソファから転げ落ちた早乙女が、つぶらな目を見開いて大窓のほうを指さしている。


「い、いま、窓の向こうに黒い影がみえた……! クマだよ、クマ!」


 また言ってる、と呆れたようにこぼす日向。


「どうしたのよ、早乙女くん」


 アカネは大儀そうに腰を上げた。窓辺に寄ると、蝉の鳴き声がいっそう大きく聞こえる。外から見えにくいミラー加工がされたレースカーテンを、アカネは少しだけ開いて、


「あ……」


 赤フレーム眼鏡を取り、しぱしぱと目をこすった。


「野巻?」

「今、木の陰に誰かが隠れたような」

「本当かよ」


 幼馴染みの異変に気付いた光も、続けて外を確認する。すでに何者かは視界から消えたようで、黙って首を振った。


「クマではないと思うけどね。念のため、門脇さんに連絡しておくわ」


 スマホを手にリビングから離れるアカネ。落ち着かず歩き回る早乙女を横目に、光は低い声で言う。


「しばらく外には出ない方がいいな」

「外って、ベランダもですか?」

「ああ。クマの視野に入ったら、刺激しかねない。――日向、ベランダに出なきゃいけない用事があるのか?」

「い、いえ……別に」


 エルは、ぺろりと舌を出した。日向が気にしているのはUFO召喚儀式のことだろう。できなくて、ざまあみろである。

 日向はごまかすように手元の台本をぺらぺらと(めく)る。読み合わせも上の空だったくせに。

 ところが、次の瞬間、時間が止まったかのように五指の動きを止めた。


「あ、ああ! 劇のタイトル……!」

「タイトル?」


 脚本担当である早乙女が、素早く反応した。


「『卵売りの少女』だけど。何かまずかった?」


 台本の表紙の明朝体を穴が開きそうなほど見つめ、日向は深く吐息をした。 


「そうだ、これですよ……〈空の卵ケースの謎〉は解けました!」

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