名城→カフェごはん→人妻【推理編】
「他にご注文はいかがですか」
水足しにきたウェイトレスが、ふたりを交互に見やる。
すかさずデザートメニューを手に取った日向に、光は「もういいです」と断った。
「ハンバーグディッシュを完食したくせに。夕飯が食べられなくなるぞ」
ちなみに、ハンバーグは三百グラムだった。プラス大盛りご飯。
「大丈夫ですよ。このくらいなら、夕飯もお代わりして食べられます」
美少年然とした顔で、へらりと得意げに笑う日向に、光はあきれたように言う。
「見かけによらず大食いだな」
「――それより。どう思います? さっきの話」
空になったコーヒーカップを弄んでいた光は、小さく肩をすくめた。
世にも不思議な、“タヌキ”と“キツネ”の話。
週に一、二度、書店を訪れ、三冊の雑誌を順に立ち読みするタヌキ。
読んだ雑誌に《4ケタの数字》が書き込まれた〈しおり〉を毎度挟んでいき、さらにそれを回収していくキツネ。
「四ケタの数字ね……何か規則性があるのかな」
日向はブレザーの胸ポケットから、生徒手帳を取り出し、開いて光に見せる。
「《1192》、《1582》、《7654》、《8620》。僕が見たのはこの四つです」
「最初の《1192》。いい国つくろう、鎌倉幕府」
「歴史年号の語呂合わせですか」
「次の《1582》年。本能寺の変」
「その語呂合わせは知りませんでした」
「語呂合わせじゃないよ。暗記してるだけで」
日本史は光の得意科目である。
「でも、《7654》と《8620》は? これは年号じゃないでしょう」
「……うむ」
光は細い腕を組んでうなる。
「そもそも、だ。この数字は、本当に"タヌキ"が書いたものなのか?」
タヌキが〈しおり〉に書きこむ姿を、日向は見たことがないという。だったら、タヌキ自身が書いたとは限らないじゃないか。
「それは、タヌキが使う前の〈しおり〉に、数字が書き込まれていたということですか?」
タヌキが利用しているのは、『ご自由にお持ちください』と書店に置かれている販促用の〈しおり〉である。
「商品管理のために、書店が数字を記入していたとか」
「違います。僕もそれを疑って、文庫コーナーに置かれているのを確認してみましたが、数字なんて書かれていなかった」
「じゃあ、こうだ」
光は少し考えるようにしてから言った。負けず嫌いなのである。
「君がタヌキの行動を観察していたように、キツネも、タヌキに目を付けていたんだよ。本屋の雑誌に、迷惑な〈しおり〉を挟んでいる不審者がいると。――で、タヌキが帰った後、即刻〈しおり〉を排除していた」
「キツネは書店の店員じゃありませんよ」
「店員じゃなくても、正義感で行動していたのかもしれない」
「解せません」
即答だった。
「どうして?」
「悪事を何度も目撃しているなら、何故それを止めようとしないんでしょう? タヌキがいなくなった後、〈しおり〉を抜くだけ、なんて。正義感と行動力が釣り合いません」
「タヌキの見た目が強そうで、注意するのを躊躇っているとか」
日向は、う~ん、と人さし指を唇に当てる。
「高校生の僕が注意するには、明らかに年上だろうし、気が引けますけど。タヌキとキツネは同年代に見えます。それに、外見だけならキツネの方が長身で筋肉質で強そうです」
ちりーん、と。光はティースプーンをコーヒー皿に投げた。
「そんなに不思議だったら、聞けばいいだろう! 本人たちに」
「駄目ですよ」
禁句をたしなめるように、日向はぶんぶんと首を振る。
「前に言ったでしょ、"悪巧み"の可能性があるって。――はっきり言いましょうか。僕は、彼らが何らかの犯罪に絡んでいると疑っています」
「犯罪、だって……?」
何やら大袈裟な用語が出てきた。
「だって、こんな特別な方法で、"暗号"をやり取りしてるんですよ。
考えてもみてください。状況からして、彼らは示し合わせてやり取りしているとしか思えない。『示し合わせてる』ということは、『互いに知った仲』ということです。なら何故、直接会って受け渡しをしないのか。もしくは、電話を使ってやり取りしないのでしょう……?」
日向は冷水で唇を湿らせる。
「きっと、彼らには直接会うことができない理由があるんです。電話を使わないのは、盗聴に注意しているからでしょう。ここまで厳重に気遣っているとなると、犯罪めいたことに関わっているとしか思えません」
「……うん」
相槌を打ちながらも、光は半信半疑だ。
しかし、タヌキとキツネの不可思議な行動を、他にどう解釈したら良いものか。代替案も浮かばない。
「行きましょう」
日向がおもむろに席を立つ。
張りつめた表情で、窓の外を見ている。
「――タヌキが来ました。いま、自転車を停めているところです」
ウインドブレーカーを羽織った男が、レンタルビデオ店の駐輪場で、マウンテンバイクの前にしゃがんでいる。レモンイエローが特徴的な、真新しい車体だ。
「ふうん……アイツか。いざ決戦になっても、力ずくでいけそうだな」
「争いごとは止めてくださいよ」
すばやく会計を済ませ、ふたりはハンガーバーグレストランを出た。
「――やっぱり。『日本の名城』を読んでます」
ふたりは、棚を隔てて、タヌキの斜め向かいに陣取った。
カモフラージュのつもりなのか、日向は雑誌を手にしている。『ネイルアートのすべて』。セレクトが適当過ぎる。
しかたがなく、光も立ち読みのフリをする。『ヨガではじまるハッピーライフ』。こちらは傍から見ても、自然なセレクトだろう。十分程経過した頃、
「今、しおりを挟みました」
日向が小声で伝えてくる。目的を終えたタヌキは、雑誌を棚に戻して去っていく。その後ろ姿が遠ざかるなり、日向はすぐに『日本の名城』を探った。
「……《0003》か。やはり法則性は見当たりませんね」
しおりの数字を生徒手帳にメモする。
周囲を見渡していた光は、おい、と押し殺した声で日向に告げた。
「タヌキが戻ってきたぞ」
「えっ」
入口付近に見え隠れする紫色のウィンドブレーカー。日向は慌てて、しおりを元に戻し、雑誌を挟んだ。
「どうして戻ってきたんだ……? 目的は果たしたのに」
とりあえずこの場をやり過ごさなければ。素知らぬフリを装って、ふたりはタヌキとすれ違う。
そのまま書店を脱出し、日向がほっと息を吐いたときである。
「おいっ、タヌキが追いかけてくるぞ」
「っ、なんで!?」
一体どうなってるんだろう――?
「何やってるんですか、逃げましょう!」
「でも、別に悪いことしてるわけじゃないんだし」
パニック状態になった日向は、留まろうとする光の腕を引いて走り出す。途端、「待てよ」と男の怒号が響いた。タヌキだ。
「ほらやっぱり! 僕らを追ってきているんですよッ!」
半泣きで日向が叫ぶ。
「暗号を盗み見していることに気付かれたんだ! どこかの交番に逃げ込みましょう!」
「ちょっと、落ち着けって」
光は半身だけ振り向く。
タヌキは追いつこうと必死に走っているが、お世辞にもカッコ良いとはいえないフォームだ。
「アイツあんまり足速くないぞ」
「……え?」
突如、日向が立ち止まった。
相手の足が遅いと知って、油断したのか?――いや、茫然自失といったようすで立ち尽くしている。
「あの人、なんで走っているんでしょう……?」
日向が白目をむきだした。
そうこうしている間に、距離を縮められ、追いつかれる。
タヌキは、ぜいぜいと息を弾ませ、膝に手を付いている。息を整え終えると、おもむろに口を開いた。
「……水無月、日向くん」
名前が、バレている――!
これには光も戦慄した。タヌキはウィンドブレーカーの懐に手をやると、小型の物体を取り出して、
「これ。落としていたよ」
濃紺の手帳を差し出された日向は、目を瞬かせる。生徒手帳だった。
「ほんとだ、無い……!」
ブレザーのポケットに入れていたはずなのに。数字をメモしたとき、書店に置き忘れてしまったらしい。
手帳を日向に渡すと、役目を終えたかのように、タヌキは「じゃあ」と踵を返した。
「待て」
それを光が呼び止める。
「一度書店を出たのに、戻ってきたのはなぜだ?」
「……へ?」
いきなり詰問されたタヌキは、垂れた目をぱちくりさせている。
「雑誌に〈しおり〉を挟んでいるだろう。店に迷惑だから止めろ」
「……せ、せんぱい」
次々と問いただす光に、日向はあたふたする。
タヌキは唖然として押し黙っている。自分の身に何が起こっているのか、まったくわからない、といった風だ。
しばらく続いた睨めっこは、自転車のベル音で終止符が打たれた。
イエローのマウンテンバイクでやって来た男に、「あ、タケオ」とタヌキが呼びかける。
「バイト終わって店を出たら、高校生たちと追いかけっこするお前の姿が見えたからさ」
自転車の人物は、長身で筋肉質な男――キツネだ。
「もしかして」
じっくり二人を観察していた日向が、やがて口を開いた。
「あの数字――“鍵番号”ですか?」
タヌキとキツネは驚いたように顔を見合わせた後、気まずそうに頭を掻いた。




