天使3―SOS!!!
考え事をしながら飛び回っていると、キッチンで日向と熊雄がプリンを食べているところに出くわした。
『あいつらぁ~!』
エルは目をつり上げる。
焼き肉をたらふく食べた後に、プリンまで喰らうとは。野蛮にもほどがある。
「んっ! コクがあって美味しいですね」
「これ、明日も食べたいね。光ちゃんいらないって言ってたから、しれっと食べちゃおうよ」
「いいですねえ」
『コロス! あいつらコロス!! どこまで図々しいの。地獄行き確定!』
「門脇さん、歩いて帰ったね」
「お酒飲んでましたしね」
「クマに遭わなきゃいいけど」
早乙女熊雄が不安そうにため息を吐いた。
この男、『熊雄』というファーストネームのため、幼少の頃は『クマ』という安易なあだ名をつけられていた。熊の目撃情報がニュースになる度からかわれていたので、熊に対する苦手意識や警戒心が強い。彼の旅行鞄には、熊よけの鈴、熊撃退スプレーが常備されている。
「じゃあ、明日に」
「おやすみ日向くん。いい夢みろよ」
「がんばります」
男子チームが解散した後、風呂上がりの女子チームがやってきた。エルは慌てて雷宮茉莉花の後を追う。
「光お姉ちゃん、おやすみなさい」
「おやすみ」
三階へ上がる光と別れて、茉莉花はスキップをしながら、部屋に入った。
が――
「暑……でも、やっぱりここで寝たかったな」
一言残し、すぐに退出した。
『ああっ……ぎゃあああ!』
エルは金切り声をあげた。ラブリー・キラーが激しく反応し、すぐ収まった。
たった今、ターゲットが生命の契機の場所にいた――!!
すべてが一瞬の出来事だった。天使は顔を覆って激しく泣き出す。
『うわあん! せっかくのチャンスだったのに何もできなかったよぉ!!』
あまりにも迂闊だった。あまりにも油断していた。自分で自分が情けない。地獄の底まで落ち込んだ気分。
『――でも、待って』
目尻の涙をぬぐいながら、冷静を取り戻そうとする。
さっきの出来事を鑑みるに、茉莉花はうっかり間違いで、部屋に入ったのではなかった。そう、彼女は懐かしんでいたのだ。
つまり、つまりである。ターゲットが射程範囲に入るきっかけとして、うっかり要素だけでなく、懐かしみ要素も加えられたのだ。
まだ合宿は始まったばかり。チャンスは絶対に巡ってくる――!!
『頑張れボク! よしっ』
エルが決意を新たにしていると、パジャマ姿の茉莉花が小走りで廊下を過ぎていった。
三階への階段を忍び足で上がってゆく。
一体どうしたのだろう。そこから上には、光と日向がいるゲストルームしかないはずだが。
「……」
ドアをノックをしようとして、茉莉花は手を引っ込めた。躊躇っているようだった。エルは首をひねりつつ、木造りの扉をすり抜ける。
「でも、来てよかったです」
「だろ?」
室内は、なんだか甘ったるい雰囲気だった。キスでもするんじゃないか、と傍観していたら、ふたりは顔を近づけていく。
『合宿に来たくせに、恋人同士いちゃつくなんて、今どきの学生はけしからんね!』
ちょうど唇が触れる寸前で、ノックの音が響いた。確認するまでもなく茉莉花である。硬直している日向の代わりに、光がベッドから出て応じた。
「ごめんなさい。あの、私、お邪魔……しちゃって」
「どうした?」
「わからない……眠れなくって。おかしな胸騒ぎがするの」
胸騒ぎ。
エルはぎくっとする。まさか、自分のこと? この娘にも野生動物のような第六感が備わっているというのか。
「あの、よかったら。ここで光さんと一緒に眠ったら? 僕はどこでも眠れるので」
水無月日向がベッドから這い出てきた。ちょっと、どんくさい動きである。
スポーツバッグを肩にかけて、「ありがとうございます」と頭を下げる茉莉花に手を振り、ゲストルームを出た。
「光お姉ちゃん、ほんとにごめんね。私、いつまでも子供みたいで」
「茉莉花はすごく成長したよ。昔はいたずらっ子だったけどな」
「……ごめんなさい」
「いや。私と野巻がケンカしたとき、場を和ませようとイタズラしたりさ。癒やしになっていたよ」
「ふふっ……ありがと」
短い会話を交わすと、安心したのか、茉莉花はすぐに寝息を立て始めた。光は、眠そうに目をこすりながら、年下の従姉妹を微笑ましく見つめている。
エルはいったん肩の力を抜いた。
ターゲットが目覚めるまで、チャンスは訪れそうにない。暇を持て余した天使は、気まぐれに水無月日向を追ってみることにした。
「……ここ、だよな?」
部屋にたどり着くと、ついさっきまで茉莉花が横になっていたベッドの上にスポーツバッグを置く。
そのまま腰を落とし、寝る――と思いきや、日向は奇妙な行動をし始めた。
「うしっ」と頬を叩いて立ち上がり、体を動かし始めたのである。屈伸したり、体側を伸ばしたり。準備体操のようだった。
「ふぅ~」
ひととおり全身をほぐすと、バッグから取り出したランタンを提げ、ベランダに出る。
エルは目を見張った。こいつは一体何をするつもりなのか。
「ふぅ~ふぅ~」
目を瞑って、深い呼吸を繰り返す日向。まるで特別な儀式に向けて備えているよう。
ランタンは赤い光を点滅させている。防災用のSOS機能。山奥の別荘地で、いったい誰に信号を送っているのか? なんとも怪しいムードを醸している。
満点の星空の下、ついに準備が整ったとばかりに、日向は大きく両腕を広げた。
「天の遙か遠くにいる友よ……我の前に姿を現したまえ!」
不思議な呪文を唱えた後、「はぁっ!」と修行僧のような掛け声を発す。再び深呼吸をして、
「いでよ――未確認飛行物体!!」
全力で天空へ吠えた。
なまじ外見が整っているだけに、よけい不気味だった。珍妙なこと、この上ない。
『怖え~!』
エルは涙目になる。コイツは何を呼び寄せようとしているのか。怖い。怖すぎる。弱々しく羽根を羽ばたかせていると、「おわっ!」と日向が雄叫びを上げた。それにより、エルの恐怖は頂点に達する。
『こ、今度は何!?』
日向が注目していたのは、続きの隣のベランダだった。背の高い仕切りの上から、白い靄のようなものが見えている。
「まさか……そこに上陸されたんですか……?」
興奮を抑えきれない表情で、日向が隣のベランダとを隔てる仕切りを押す。仕切りはあっけなく開いた。勢いのまま突進した日向は、足元が疎かになったのか、何かにつまずき転ぶ。ばしゃーんと大きな水音がした。
「ぎゃっ!……あ? ああっ、熱っ!!」
突っ込んだ先は、ジャグジーだった。
昼間、茉莉花が湯張りしていた浴槽である。電子表示をみると、設定温度45度。熱めの湯が好きな人間も、快適ではいられない設定だ。
「熱っ、う……な、なんで……?」
びしょ濡れになった日向は嗚咽を漏らしながら、寝室に引っ込み、怪しげな儀式は終了となった。
ランタンで足下をしっかりと照らしていれば、こんな目に遭わずに済んだのに。愚か者め。エルは呆れるとともに、人間ごときに恐怖した己を恥じる。
「UFOの聖地って、載っていたのにな……」
足の裏をタオルで拭きつつ、古い雑誌をサイドテーブルに放った。
『月刊・北国のしらべ』と表紙に書いてある。日向は火照った頬をぴしゃりと叩いた。
「まだチャンスはある。明日トライしよう」
『しなくていいっつの!』
濡れた髪にげんこつを落とす。実際に当たりはしないが、少し気分がすっとした。と同時に、疲れが急激に襲ってきた。ピンク色のカバーがかかったベッドに、羽根をたたみ横になる。
『うぅ……ちょっとだけ……ちょっとだけ休もう』
+ + +
『はっ!』
目覚めたとき、周囲は明るくなっていた。
ターゲットでも何でもない水無月日向の傍で、そのまま眠ってしまったらしい。なんてこと……!
飛び起きると、室内には誰もいなかった。日向はすでに起床したらしい。
ベランダの方から、爽やかなピアノの奏でが聞こえてきた。慌てて飛び出ると、学生たちが庭で身体を動かしていた。
そういえば昨夜、明日はラジオ体操からスタート、と野巻アカネが言っていたっけ。
「はい、次は体を前後に曲げる運動~! 上体を曲げて、そらす~」
「あ痛てて!」
泣き言をもらす早乙女の横で、雷宮茉莉花は学校指定の薄紫色のジャージで上体をそらしていた。きびきびとした、なかなか良い動きである。
ラジオ体操を終えた女子らは、キッチンで朝食の準備を始めた。男子チームは庭で、昨夜のバーベキューコンロの片づけをしている。
「昨日の夜、なんか騒がしくなかったか。一階か二階のベランダ付近」
サラダ用のキャベツの葉を切りながら光。そお? とアカネは冷蔵庫から牛乳を取り出す。
「あたしは熟睡してたから何も聞こえなかったけど。――ちょっと光。もうちょい、キャベツ細く切れないの? それじゃあ千切りとはいえないわ、百切りくらい?」
「うるさいなぁ……これでも普段よりは上手く出来たんだよ」
アカネの冗談を光が投げやりに返したことで、険悪な雰囲気に包まれる。
フランパンでウインナーを炒めていた茉莉花は火を止め、二人の機嫌を伺う。食器棚を開けたり、冷蔵庫を覗いたり、おろおろと歩き回った末、
「すみません、私、お手洗い」
キッチンを足早に出ていった。
両手で腹を抱え、リビングを横断する。腹痛? が、一階トイレをスルーして、二階へ上がっていくではないか。
『気まずい空気に耐えられなかった……とか?』
人間の感情の機微について、読み解くのが不得意なエルである。
『養成校の人間学、もうちょい真剣に受講しておくんだったなぁ……あ?』
呑気なつぶやきの語尾が、跳ね上がった。
茉莉花が部屋に入った。両親である永久・恵夫婦が、子を持つ未来を同時に描いた――生命の契機の場所に――!!
「暑っ……」
冷房の効いていない室内をきょろきょろと見回し、腹に添えていた腕を解こうとした。
その瞬間――
『ええいっ!』
辺境天使エルは、〈愛の救済による消失〉を発動させた。
夢中だった。迷いはなかった。ハート型の天界石が、まばゆいほどに発光して、部屋中の壁がショッキングピンクに染まる。
そして――
雷宮茉莉花は消失した。
昨日ワクチン打ちましたが、副反応、腕が肩より上にあがらない程度で済みました。
次の次くらいから推理パートに入っていきますm(__)m




