天使1―“ラブリー・キラー”
地上三十メートルを飛行しながら、エルは、赤いミニバンを追っていた。
この者、西洋風でも東洋風でもない、地球上のどこにも属さない神秘的な顔立ち。プラチナブロンドを夏空にたなびかせている。
最たる特徴は、七色に輝く羽根だろう。コスプレの類いではない、正真正銘、背中から生えた羽根である。
エルは、天から遣わされた者――いわゆる天使だ。
さて。
ここで唐突に、ぶっ飛んだ存在が登場したが、どうか嘆かないでいただきたい。
上界の天使は下界の人間を、すべからく見渡せるが、その逆は原則あり得ない。ゆえに、この天使――エルが、物語の作中人物と目を合わせたり会話したりといった意思疎通はあり得ない。
また、天使には階級があり、その最下級に属するエルには、人間に特別な力を与える、といった奇跡は起こせない。
つまり、黒志山大学演劇サークルの合宿は、彼らの認識下では、何の滞りもなく進行されるのだ。
『暑っつ~。北海道のくせに暑すぎ。早いとこ終わらせて帰ろっと』
ウェーブのかかった髪を、くるくると指に巻きつけながら、エルはだるそうに独りごちた。
この天使、普段は天国と地獄の境目――辺境の地で働いている。
そこは通称“待合所”と呼ばれており、生死の境をさまよう魂の世話――死んだら天界(天国or地獄)へ、生き永らえれば下界に戻す――をしている。
辺境天使エルが、なぜ下界に降りているのか? それは、とある極秘任務のためだった。
『ターゲットの氏名は、雷宮茉莉花……茉莉花って、ジャスミンのことだっけ? すてきな名前』
エルに与えられた使命とは、ずばり、ある少女の存在を消すこと。
少女の名は、雷宮茉莉花。
見た目は何の変哲もない、どこにでもいそうな少女である。そんな彼女が消されなければならないのは、実に複雑な理由があった。
これから数年後、日本史上最悪のテロが起こる。
犯人グループの鬼元と犬塚が出会うきっかけを作るのが、彼女なのだ。
学祭の舞台でヒロインを演じた茉莉花に、二人は揃って一目惚れし、同時に告白した上、揃ってフラれた。その後、なぜか意気投合した。
茉莉花が告白を断った際の台詞――『私は誰か一人の為ではなく、世界平和のために生きたいの』。これを、ねじ曲がった信念で実現しようとした結果が、あのテロ事件だ。
あまりの犠牲者の数に、日本領域の天界は一時機能不全に陥った。
頭を悩ませた大天使らは、テロ自体を『間違い』――つまり“バグ”とし、秘密裏に歴史的修正を謀ることにしたのである。
ならば、鬼元と犬塚を消せば良い、と考えるところだが、そう単純にはいかなかった。
天界でシミュレーションを繰り返した結果、二人の存在を消しても、別グループが同様のテロ行為を起こしてしまう。原因を究明したところ、その契機が、いずれも雷宮茉莉花の存在だった。
なぜ、特別な力も与えられていない、平凡な少女が厄災の契機となるのか――?
調査を進めたところ、恐るべき事柄が判明した。
数年後、日本中を震撼させる連続殺人鬼ゴールドン土門は、事件を起こす前に交通事故に遭って死ぬ運命だったところを、茉莉花によって命を救われていた。
事故によって人生観が変わった土門は、生を大切にしない者に対して、独自の“粛正”を振りかざし、人を殺しまくった。
その他にも、世界的なサイバー犯罪を企てた斉藤シルバ、暴走族再生機構の設立など……。
すべての契機に、雷宮茉莉花が関わっていたのである。――落とし物を拾った、挨拶を交わした等……たわいもない日常の接触によって。
彼女を地獄に落とすべき、という声も上がった。
しかれども、茉莉花自体は、悪の行為はもちろんのこと、悪の思想さえ持ち合わせていない。たまたま悪の契機となっただけ……。行為だけみると、天国行きは内定している。
“悪意なき悪製造マシーン"――大天使らは彼女をそう呼び、おそれた。
はたしてこれは、何千万年に一度あるかないかという神の誤りなのか、それとも悪魔の巧妙な罠なのか。
激論の末、秘密裏に彼女の存在を消すことにした。
天国行き内定の人間をおおっぴらに消すことはできない。
そこで、天界では目立たない存在、辺境の地の天使・エルに白羽の矢が立ったのであった。
斜めがけしたバッグの中身を確認するよう、エルは探った。
つるりとした硬質な感触が指に当たる。大天使様から託されたスペシャルアイテム――『愛の救済による消失』だ。
『大丈夫。たっくさん練習したもんね!』
射程範囲にロックオンした生物を誕生前に戻す――無に帰す――ことができる。
ただひとつ、アイテムを使用する場所に制約があった。
つまり、その生物の、“誕生の契機”となった場所。
誕生の契機とは、その者が、未来に生命を得ることが決定した瞬間である。
下界では、恋に落ちる瞬間を『キューピッドの矢に打たれた』と表現するが、そのことではない。もっと直接的な、卵子と精子が巡り逢う受精の瞬間でもない。
一対の生物同士が、互いに子孫を持ちたい、と同時に想った瞬間を指す。
雷宮茉莉花の場合、建設中の別荘で、夫婦が揃って仕事をしているとき、
「この部屋、私たちが好きに使っていいって」
「もっと広くしてもいいか。子供が生まれても、泊まりに来られるように」
「……そうね」
工務店に務める夫婦は当時賃貸アパートに住んでいたが、奇しくも野巻清兵衛氏が共同購入を持ちかけた別荘で、初めて自分たちの“部屋”を作ることになった。
現場で二人は同じ未来を描いた。まさにそのとき、茉莉花となる魂の誕生が決定したのである。
ようするに、茉莉花がその場所に降り立った際、アイテムを発動すれば、彼女の存在を無に帰すことができるのだ。
『大丈夫大丈夫。ポイントが定まったら、こいつが教えてくれるから』
エルはバッグの上からアイテムを撫でている。さっきから何度もそれを繰り返していた。少し緊張しているのかもしれない。
作戦を実行に移すのは時間がかかった。
というのも、茉莉花が別荘を訪れるのは実に六年ぶりだったからだ。
もっとも天の力で、彼女の行動を操作することはできなくもないが、なにせ極秘裏の任務。できるだけ天の力は発動せず、目立たないよう実行するのが好ましい。
この機会を逃せば、次にいつ彼女が別荘を訪れるかはわからない。
絶対に外せないチャンスなのだ。下級天使エルにとっては、一世一代の出世のチャンスでもあった。
『っ、きゃ!』
バッグからアイテムが滑り落ちそうになり、慌てて拾い上げる。
ふぅ~羽根が縮み上がった!
一点の曇りもない空をふわふわと浮かびながら、おっちょこちょいな天使は、ミニバンの中にいるターゲットに指鉄砲を向けた。BANG!!
『安心して。痛くないよう消してあげるから。これも仕事だから、どうかボクを恨まないでおくれ――』
というわけで、人間VS天使の知恵比べ?のはじまりです。
以降は、週1~2回の不定期更新となります。よろしければお付き合いくださいm(__)m




