解決編―いわゆる模範解答2
最後のケース、といいつつも、まだ突破すべき課題がいくつか残っている。
日向は、手品のタネを明かすように、両手をぱっと開いてみせた。
「ところが、これもおかしいんです。
容疑者の立場になって考えてみてください。殺意を持って別荘に辿りついたところ、どんな光景が広がっていたか?」
内見に来たついでに、野山を散策でもしていたのか。不運にもクマに遭遇した被害者は、片腕を噛み千切られ足を骨折し、すでに重傷を負っていたのだ。
妻の視界に飛び込んできたのは、血まみれで倒れている夫の姿――
今回反応が早かったのは、早乙女だった。うめき声が沈黙を破る。
「残酷な言い方だけど……。放っておいても、死にそうだよね。
連絡手段はないし、大声を出したところで、すぐに人が気づいてくれる環境でもない。念のため、車のキーを雪の中に捨てて、家の暖房を止めておけば、凍死も目論めそうじゃない?」
ああっ僕って残酷、と顔を覆う早乙女に、日向は大げさに頷いた。
「まさにそう。夫を殺しにやって来たが、殺すまでもなく瀕死の状態だったわけです。早乙女さんの言うとおり、このまま放っておいても、死に至る可能性が高そうだ――そんな状況で、ですよ?
わざと頭を殴りつけ、人が手を下した痕跡を残すようなリスクを冒すでしょうか?」
二人の反応を伺いつつ、投げかけた。腕組みを解いた光が細い息を吐く。
「わざわざ自分が手を下す必要はないってことか」
「はい。殺人事件として捜査されたら、自分が容疑者になるであろうことを、妻はわかっていたはずです。夫から暴力を振るわれていたという周りの証言もありますしね。
けれど、もしも――自分は手を汚さずに、夫が死んでくれる。そんな機会が訪れたとしたら?」
短い沈黙があり、早乙女がかすれた声で言う。
「か……絶好の好機。僕ならそう思う」
本当は、もっと踏み込んだ表現をしたかったのかもしれない。『か』で始まる言葉――『神』が与えてくれた好機、と。
法律には詳しくないですが、と日向は前置きして、
「死にそうな夫を放置したことがバレたら、何かの罪にはなるかもしれません。でも、殺人の容疑者になるよりはマシでしょう」
「場合によると思うぞ」と光。「だが、妻が瀕死の夫を置き去りにした、と第三者が証明するのは難しいだろうな」
「補足ありがとうございます。
クマ襲撃後に頭部を殴ったというのは、犯行が計画的であればあったほど考えづらい。そういう結論になりましたね」
「たしかに……」
脳が糖分を欲したのか、おにぎりに手を伸ばす早乙女。
「瀕死の夫にとどめを刺す、にしても、もうちょっとやりようがあった気がするね」
「どんな方法で?」
早乙女が取ろうとした五目おにぎりを、さらっていく光。
「たとえば、柱に後頭部を打ち付けるとか。昏倒したときに頭を打った、という事故にみせかけて殺すの」
「んぐ……なるほど。一理ある」
今日の光はよく食べるな。
視界の端で観察しつつも、日向は別のことを考えている。
憎き夫が瀕死になった姿を目にして、激情にかられて殴った、というストーリーも十分あり得るんじゃないかと。
結局、非日常に直面したときの人間の心や行動なんて、他人が読めるものじゃないのだ。
こら、止まるな――。
ふとすると、些末な引っかかりを考え込んでしまう自身を、日向は叱咤する。
彼は、ぱんと軽く手を叩いた。
「さて、これで殴られたのがクマ襲撃前か後だったか、の考察が終わりましたね。ご協力ありがとうございました」
「ぬっ?」
早乙女はきょとんとしている。
「僕、頭が悪いのかなぁ……両方のケースとも成立しない、って結論になった気がするんだけど」
「そのとおりですよ、早乙女さん」
「どういうこと? 今までの議論は全て無駄だったってことぉ?」
「無駄なんかじゃありません」
脱力したように伏す早乙女に、日向は語気を強めて言った。
「むしろ、はっきりしたんです。容疑者が事前に殺意と凶器を持っていた――その前提が間違っていたことが」
「……よくわからないが」
光が訝しげに言う。
「犯行は計画的じゃなかった、ってことか?」
「衝動的なものだった、と僕は考えています」
「ちょい待ち!」
再び混乱をし始めた早乙女が、まくしたてる。
「衝動的な犯行って、流れでつい殺っちゃいました、って感じ? でもでもっ、容疑者はドライブインに置き去りにされてから、わざわざ別荘に向かっているんだよ! バスと徒歩で」
「殺すため、だったとは限りませんよ。話し合うためだったかもしれません。置き去りになんかされたら、僕だって怒るし、一言二言いってやりたい。怒りはあっても、殺意までは持っていなかった。当然、凶器は準備していなかったし、調達もしなかったわけです」
「え~」
「日向。お前の言ってることは辻褄が合わない」
息巻く早乙女を制して、光が身を乗り出した。
「忘れたのか? 被害者は鈍器のようなもので殴られていたんだぞ。
犯行が衝動的だったとしたら、凶器は何だったんだ? 現場が自宅だったのなら、まだわかる。かっとなった瞬間に、バットとかゴルフクラブとか木刀が、手が届く範囲にあるからな」
「木刀って……そんなん持ってるの光ちゃんだけ」
光は早乙女をさらっと無視して、
「だが、現場はそうじゃなかった。売り物件で、家具や生活用品は何も置かれていない状態だった。
そんな場所で、被害者が鈍器で殴打されていたからこそ、容疑者は凶器を持っていた――つまり犯行は計画的だった、判断できるんじゃないか?」
正しい。日向は首を縦に振る。
光の主張が正しいと認めた上で、別の可能性を示唆する。
「では、殺意を抱いた瞬間に、たまたま鈍器のようなものを持っていたから、殴った。――これなら?」




