名城→カフェごはん→人妻【問題編】
「今日もいるな」
ぶしつけな言葉とともに、背中を叩かれた。
体育館の壁にもたれる女子は、紺色のハイソックスの脚をクロスして立っている。
練習終わりのバスケ部員たちが、好奇の視線をそそいでいく。
が、存在している次元が違うみたいに、彼女の目線は合わされない。まるでマネキン人形のよう。
やがて彼女は日向に気付くと、猫のような瞳を大きくして、手を振ってきた。
*
「先に帰ってもらっていいのに」
部活が終わるまで待っていなくていいのに。
ストレートにそう伝えるのは、さすがに気が引けた。
「図書室で勉強しているから平気だよ」
光は、いかにも受験生らしい待ち時間のつぶし方を答える。
手もち無沙汰のように、ポニーテールの毛先を弄んでいる。
「先輩、ケータイ持ってます?」
「持ってるけど」
ブレザーのポケットからスマホを出した光に、日向は意外そうな反応をする。
「ああ、持ってたんですね。スマホ弄ってる姿とか見たことないし、持っていないと思ってた」
「用がないときに、こんなもの弄ったら目が悪くなるだろう」
「……えと、ID交換しませんか。練習が終わったら、連絡しますから。そうしたら待たせなくて済むし」
「べつにいいけど」
本当は、光が、バスケ部員らの視線に晒されるのが忍びなかったのだ。
からかわれるのも嫌だったし。
半月程前に、水無月日向は、雷宮光から告白された。
それからは、ほぼ毎日会って一緒に帰宅したり寄り道したり。はたから見れば、立派に交際しているように見えるのだろうか。
「聞いてもいいですか」
夕暮れに包まれたオレンジ色の路地を、ふたりは並んで歩いている。
「先輩は、どうして僕に告白してくれたんですか。僕なんかの、どこが良かったんでしょう……?」
光の歩くペースは速い。ぼやっとしていたら、置いていかれそうなほどに。
「そりゃ、“顔”だよ」
さも当然のように返してくる。
「だってまだ、水無月くんのこと何も知らないんだから。どこが気に入ったって、そこしかないだろ」
「……そうですか」
光栄に思ってもいいんだろうけど。
そこしかないと言われると、なんだかなぁ、という気持ちになる。
ションボリしているのが伝わったのか、「でもね」と軽く手を握られた。女性恐怖症ゆえに、いちいちビクっとしてしまう自分が情けない。
「中身も好きになる自信はあるよ」
何故そんなことが言えるんです?
そう反論しかけたが、迷いのない魅力的な双眸につい見惚れてしまう。
しばし、見つめ合いの時間が続いた――が、レンタルビデオ店の駐輪場である人物とすれ違うなり、日向は一変したのである。
「ちょっと、すいません!」
繋がれた手を解き、レンタルビデオ店に入ると、そのまま一階の書店へと直行する。
奥まった一角まで進むと、棚から雑誌を取り出して、乱暴にページを捲った。
「くそっ、間に合わなかったか!!」
思いっきり舌打ちをする。
そのまま地団駄を踏みそうな勢いの日向に、背後から呆れたような声がかけられた。
「あ~あ、女子の前でそういう本見るか。しかも『人妻モノ』って……趣味悪。まあ、いいけど」
いいけど、という割に、軽蔑の表情を浮かべている。
「あっ!? えっと、これは、違うんですよ!」
日向は慌てて雑誌を戻す。
辺りを見回した後、鼻梁を撫でながら、密やかに打ち明けた。
「実はですね。この本が、"悪巧み"に利用されているかもしれないんです」
*
「不思議なことがありまして」
ハンバーグは均等に箸で切り分けられ、口元へ運ばれていく。
日向は、もぐもぐごっくん、と忙しなく口を動かしながら、
「若い眼鏡の男性……タヌキに似ているから、“タヌキ”としましょうか。タヌキは週に一、二回、例の書店を訪れて、雑誌を立ち読みをします」
ハンバーグレストランの窓から二階建てのレンタルビデオ店が一望できる。
一階は書店、二階はレンタルスペースになっている形態の店舗だ。
「それがただの立ち読みじゃないんです。読み終えたページに、毎回必ず〈しおり〉を挟んでいくんです」
「迷惑なヤツだな」
コーヒーカップを包んでいた光は、不愉快そうに顔をしかめる。
「つまり、そいつは本屋の雑誌を、自分の本みたいに、私物化してるってことだろ」
「にしても、妙なんですよ」
喋りながら、マヨネーズがちょこんと付いたミニトマトを日向は頬張る。
「〈しおり〉を挟むということは、次回続きから読むつもり、ということですよね。
でも、タヌキが立ち読みするのは、毎回違う雑誌なんです。正確に言うなら、二冊の雑誌を交互に読んでいた。火曜日は『日本の名城』、木曜日は『カフェごはん』――というように」
光は首をひねる。
随分とちぐはぐな趣味だ。
「書店から去る際に、必ず〈しおり〉を挟んでいく。二か月程前からずっとですよ。三週間前から、さらに一冊増えて、それが、あの」
気まずそうに口ごもる。
「『人妻天国』という本だったと?」
こくり、と頷く日向。
要するに、立ち読みローテンションが二冊から三冊に増えたというわけか。しかし……。
光はコーヒーをブラックのまま啜る。
「毎日、本屋に寄り道するなと思ったら、そんなことを観察していたのか。呆れるなぁ」
「気になることがあると、どうにもこうにもならなくなる性質でして」
ハンバーグの最後の一口を食べ終えて、恥ずかしげに性癖を告白した。
さて――。
タヌキは、三冊の雑誌――『日本の名城』→『カフェごはん』→『人妻天国』を順に立ち読みして、その度に〈しおり〉を挟んでいく。
「ローテーションの順番は崩れません。絶対です。僕が確認した限り、百パーセント」
「まあ、変っちゃあ変な話だけど……」
真剣な表情で断言する日向に、光はうつろな目になって、
「その、タヌキは『三冊を同時に立ち読みしている』ってことだろ。売り切れたらそこまで、と割り切って」
「まだ続きがあるんですよ」
ここからが本番、とばかりにナプキンで汚れた口を拭って、身を乗り出してくる。
「ある日、タヌキが帰った後に、彼が読んでいた雑誌に挟まれていた〈しおり〉を取り出して、観察してみたんです」
「ほう。思い切った行動をしたな」
「その〈しおり〉自体は、文庫コーナーに『ご自由にどうぞ』って置いてあるものだったんですけど。――よく見たら、〈しおり〉の隅に、赤字で《4ケタの数字》が書き込まれているんですよ」
まるで国家機密を扱うスパイのように、大それた口調で続ける。
「立ち読み途中に、タヌキが〈しおり〉に何か書き込んでいる姿なんて見たことがない。
つまり、数字はあらかじめ書き込まれているということです。その後、何度か〈しおり〉を盗み見る機会があったんですが、その数字は毎回違っているんです。さらにさらに――」
語りがいよいよ本調子になって、
「別の日、二階のレンタルスペースで時間を潰して、一階の書店に戻ってきたときのことです。
目を疑いました。タヌキが仕込んだ〈しおり〉を手に取っている人物がいたんです!
狐に似た若い男性で、こちらは“キツネ”としましょうか。キツネは、タヌキが読んでいた雑誌を手に取ると、迷いのない動作で、〈しおり〉を自分の懐に入れたんですよ」
光は思わず、え、と小さく呻いた。
確かに、普通の話じゃあない。
ようやく関心を持ち始めたらしい彼女に、日向は如才なく切り出す。
「それ以降、何度も確認しました。タヌキが仕込んだ〈しおり〉を取っていくキツネの姿を。
タヌキが立ち読みする三冊の雑誌から、間違いなくその日の一冊を選んで、〈しおり〉を抜いていく動作。あらかじめ示し合わされているとしか思えません。そして《4ケタの数字》。どうです――とびっきり不思議でしょう?」
大きな瞳は、宝物を見つけた子供のように、爛々と輝いていた。




