問題編4
「じゃ――そろそろ僕の推理を話していい?」
紙コップの氷がカランと音を立てた。
アンニュイな表情から真顔に戻った早乙女の発言に、日向は、はっとして黙り込む。
しまった……。
光と言い合いをしている場合じゃなかった。
ここに留まっている理由はただ一つ。早乙女の推理を拝聴すること。本来の目的を思い出した日向は、高速で首を縦に振り、
「色々と口を挟んでしまって、すみませんでした。どうぞどうぞ」
「では」
ステージ上の役者のように、上半身だけお辞儀した。
早乙女劇場の開演である。主役はすぅと息を吸ってから、口上を述べる。
「僕が着目したのは、発見されなかった凶器についてだよ。
日向君が指摘していた、『いつ凶器を用意したか』。これは重要な視点だと僕も思う。その上で、別荘に着く以前に凶器を持っていた、というのは、どうも現実的じゃないように思えるんだ」
「なんでだよ」
にわかに気色ばむ光。
「これから夫を殺しにいく、ってのに、何も持たずに行くかよ」
まっとうな意見だ。日向は心中で賛同する。
ただし、例外もあるのでは? 剣道のほか空手も黒帯の腕前を持つ光なら、武器がなくとも十分に戦える。……もちろん口には出さないけれど。
「根拠は二つ」
反論に対し、早乙女は二本の指を立て、次いで一本目を折った。
「これもまた日向君が指摘していたことだけど、凶器の重さや形状によっては、移動の邪魔になるのが一点目。
タクシーを利用すれば、この問題は解決できるけど、なにせ運転手と一対一。行き先も山奥の別荘地だから、客として目立つ可能性が高い。避けたんだろうね」
二点目、と残った指が折られる。
「ドライブイン近辺の店舗で凶器を購入した場合を考えてみよう。
ひとつの店舗で鈍器を購入する客が一日にそう何人もいるとは思えないし、タクシーと同様、店側の印象に残りやすい。大型店は防犯カメラを備えているだろうし、小さな店だと顔を覚えられてしまいそう。僕なら怖くて買いに行けないよ。警察が聞き込み捜査をしたら、身元が特定されかねない」
次々と並べられる推測で、凶器事前購入説が否定されていく。
早乙女の語りは、ますます抑揚が高まる。
「よって、僕が出した結論はこれ。――犯人は凶器を持たず別荘にやってきた。現場に凶器の当てがあったから」
「当て、だって?」
光が語尾を跳ね上げた。
「別荘には家具とか、何も置かれていない状況だったんだろ。誰も住んでいない、売り物の状態だった。空っぽ同然の家で凶器になるものなんてあるかよ」
「家の中とは限らない。たとえば、外の――」
早乙女がまさに、自らたどり着いた真相を明かそうと――フィナーレを迎える瞬間だった。光が、あ、と小さく悲鳴をあげたのは。
「そうか! 外には夫が乗ってきた自動車がある。――妻は車のなかに凶器を隠していたんだな!?」
彼女にしては珍しく、高ぶった語調で叫ぶ。
「えっ? で、でも……」
予期しない観客の乱入に、早乙女はうろたえた様子で、
「車の中に隠したりなんかしたら、旦那さんに怪しまれるんじゃ……?」
「怪しまれないよう上手く隠せばいい。そういや、車にも工具が積んであるじゃないか」
「車載工具ですか」
つい助け舟を出してしまった日向。
車載工具とは、ジャッキやホイールレンチなど、故障に応急対応するため車に積まれた工具のことだ。
「車載工具なら怪しまれない! 載っているのが当然だからな。レンチかスパナを凶器に使うつもりだったんだ!」
なかなか工具凶器説から離れられない光である。
一方で、主役の座を奪われたも同然の早乙女は、みるからに狼狽していた。
「あの……車の鍵は、運転してきた旦那さんが持っているわけだよね? 車載工具を取り出すには、鍵を渡してもらわないと。もし、それがきっかけで怪しまれたりしたら計画が台無しに……」
弱々しくも返す早乙女に、光は事も無げに言う。
「どうとでもなるだろ。『車の中に忘れ物をしたから鍵を貸して』とか適当に言えばいい」
「……そ、そっか」
かわいそうに、いまやステージを追われた早乙女は、すっかり意気消沈していた。まるで落ち武者のようだ。
かたや、日向は焦れていた。
光さん、なぜここまで熱く……?
いつもは、もっとクール然としているのに。
デートの予定をふいにされた彼女は、元凶である早乙女に、八つ当たりする方向に転じたのか?
――否。一見ありそうだが、違う、と日向は直感した。光は不機嫌になればなるほど、むしろ口数が少なくなるタイプなのだ。二年の付き合いで、彼女のことはそれなりに理解しているつもりだ。では、他に理由が……?
とにもかくにも、まずい展開だった。
目指す終点は、早乙女の鬱憤が後から爆発しないよう、今ここで満足してもらうことなのに。せっかく舞台に上がったのに、途中降板じゃ不満は募るばかりだろう。中途半端すぎる。
ええい、かくなる上は――!
日向は、指を組んでもじもじしている早乙女を、強引にステージ上に戻すことにした。
「わぁ、光さんの推理もなかなかですね! 説得力があると思います。――でも、早乙女さんはまた違った推理をお持ちになっているんですよねぇ? ぜひそちらも聞きたいなぁ、なんて」
「ほ、ほんとうに……?」
ぱあっと表情を明るくした落ち武者。
下手な演技で乗り切れた。日向はテーブルの下でガッツポーズをした。やはりこの男、結構単純である。
「さっき言いかけてましたよね。家の中ではなく、外にあるって」
「ふふ……なんだと思う?」
嬉しそうに問題提起などしてくる。
「さぁ全然わからないな。折れた枝とか?」
「いやいや、枝なんか探さなくとも、周辺に捨てるほど積もっているものがあるよ」
積もっている……?
「もしかして――『雪』ですか?」
「イグザクトリー!」
これでもか、というくらい、下手な発音で素人探偵は吠えた。
「雪国の人間なら、よく理解っているよね、雪の重さを。
一坪の屋根の上に1メートルの雪が積もると、1トンの重さがあるといわれている。屋根から落ちた雪の塊が、車のフロントガラスを破壊した例もあって、重さ4キロの雪の塊を高さ3メートルから落としたときの衝撃力が約200キロという実験結果もあるんだ。――つまり、雪の重さは凶器に十分なり得る」
あらかじめ予習してきたのだろう。手元のメモを見ながらの解説を終えた早乙女は、肩で息をついた。
たしかに、雪なら、別荘の周りにたっぷり在ったに違いない。
「佐々木さんの妻は、布の袋を用意していたんだと思う。
折りたためば小さくなるし、軽い。別荘に着いた彼女は、布袋に、持ち上げられるだけの雪を詰めて、何食わぬ素振りで夫に近づき、渾身の力で殴った――!」
実際に振りかぶる動作を実演してみせる早乙女。
その衝撃によってズレたテーブルを、日向は無言で元の位置に直す。
「犯行後の帰り道、適当な場所で雪を捨て、布袋は折りたたんで持ち帰った。――凶器は発見されようもなく、彼女は見事に完全犯罪を成し遂げたのであった! 以上、Q.E.D.」
小作りな顔の双眸は潤み、鼻孔がふくらんでいる。早乙女の輝かしい晴れ舞台だった。
「凶器は雪……?」
いったん降りた幕が、不穏なアンコールで上がっていく。
光さん、やめて! どうかこのまま幕引きにさせて……!!
「参考に聞くが、具体的に何キロの雪を詰めれば、致命傷を与えるほどの武器になるんだ?」
日向の願いも虚しく、光は徹底的に追及する態度だ。
「……それは、操る人の力や体格にもよると」
「容疑者がどんな人間かは知らないが。普通に考えて、女性が男性相手に、だぞ。布袋に雪を詰めた凶器って頼りなくないか?」
「っ、だから言ったじゃん! 雪の重さは十分凶器になるって――何より、その場で完成して消失する凶器だよ。真相として、この上なく美しいでしょ」
美しい――?
日向はざわっとして腕をさする。ひっかかる表現だった。光も同じだったようで、
「殺人事件に美しいも美しくないもあるかよ。――そもそもなぁ、DV夫の頭を殴ったのだって、クマの仕業じゃないと、言い切れるか?」
「光ちゃん……クマが鈍器を持って攻撃したっていうの? 腕は噛んだのに、頭は武器で攻撃したってわけ?」
「私は、玉乗りしたり自転車に乗るクマを見たことがあるぞ」
「それは人間に芸を仕込まれたクマでしょ」
「というか、被害者がクマに襲われたのだって、余計な挑発をしたからじゃないかと私は思う。
ニュースの特集で見たけど、ヒグマの食べ物のほとんどが植物性で、人間と遭遇して『食べよう』と思うクマは稀らしいぞ。腕を噛んだのは、食べるためでなく、挑発に対する脅しだったんじゃないか。野山に放置された腕は結局、獣やカラスの餌になっただろうが。ま、それは天罰だな」
早乙女に名誉挽回させるどころか、光のヒグマ講義が始まってしまった。
日向は頭を抱えたくなる。この展開をどうしてくれる……!!
このまま早乙女説を通して、場を収束させるのは、どう考えても無理そうだった。
だったら、どうする――?
早乙女説とも光説とも異なる、新たな説を出し、二人を納得させるしかないのか。しかし……
事実は小説よりも奇なり、とは有名な言葉だが、大抵の真実は味気ないものに決まっている。
ところが、早乙女が真相に求めているのは合理性や論理性だけじゃなさそうだ。『美しい』という表現を使った彼が求めているのは、むしろ物語性といった類のものではないか。
三十年前の事件。しかも未解決。情報は古い雑誌の記事のみ。
絶望的な状況で、光を納得させ、早乙女を満足させられる『真相』なんてあり得るだろうか?
「そうそう、人が関わっているとされた理由がもうひとつあって! 遺体の上半身が裸だったんだよ。クマが服を脱がせるはずないでしょ」
「錯乱して本人が脱いだのかもしれないだろ。それをクマとかキツネが咥えて、外に持ち出したんじゃないか」
聞くともなく耳に入ってきた二人の会話に、日向はぴくりと反応する。
クマ。そう――クマだ。
頭の中で乱雑に散らばっていたパズルのピース――その中には『早乙女』と『光』というピースも含まれている――が、音もなく組み上がっていく。
「わかりました」
光、一拍置いて、早乙女がこちらを見る。
ひとつ呼吸をしてから、日向は告げた。
「わかった、というか――気づきました。僕らが重大な見落としをしていたことに」
「見落とし……?」
「はい」と早乙女に力強く頷き、
「被害者がクマに襲われたのは、奥さんに殴られる前か後のどちらか? という問題です」
【問題編…オワリ】
『解決編』は金曜日に投稿予定です。
事件の真相を推理しながら、お待ちいただけると嬉しいです。




