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階段下は××する場所である  作者: 羽野ゆず
Interval07 その片腕は何をしたか?―"The sin"
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問題編1

今回は、日向・高校3年生、光と早乙女は大学2年生の設定です。本章に限り、若干残酷な表現がありますので苦手な方はご注意ください。

 どこからか、びしゃぁと液体がこぼれる音がして、「アチッ!」と悲鳴が聞こえた。この匂い、とんこつしょうゆ味。誰かがカップラーメンを床にぶちまけたらしい。

 驚きを慰める間もなく、斜め後方からテーブルを激しく叩く音がした。ボックス席に座る男女が何やら激論を交わしている。


 カオスだ……。


 水無月(みなづき)日向(ひなた)は、所狭しと並ぶ木製ベンチの隙間をすり抜けていく。

 ここは、黒志山(こくしやま)大学の文化系部室棟ホール――のはずだが、明らかに大学生じゃない、自分と同じ高校の制服姿もちらほらと見られた。

 皆やっていることも多種多様。食事したり、勉強したり、だべっていたり、眠っていたり。なんて自由な雰囲気だろう。

 高校までは同じ服を着て、整然と授業や部活動に勤しんでいたのに、大学生になった途端、これほど自由になるのか。不思議でたまらない。



日向(ひなた)君、こっち!」


 奥のボックス席から、なで肩の男子が、片手を振りながら言う。

 さらには立ち上がって、大きく両手を振った。


「おぅい、ここだよお!」


 そんなに声を張らなくても、聞こえてますって。

 周囲の視線を感じつつ、日向はいそいそと歩を進めた。


「久しぶりだね~。元気だった?」

「お久しぶりです。早乙女(さおとめ)さん」


 なで肩の男子、早乙女はにっこりと笑い、自分の隣をぽんと叩いた。ここに座れ、ということらしい。

 え……早乙女の隣?

 日向は、彼の斜向かいにいる雷宮(らいきゅう)(ひかる)と顔を合わせる。日向と光は交際しているので、この場合、光の隣に座るのが普通な気がするが。

 戸惑っていると、「はやく~」と早乙女に急かされ、仕方なく隣に腰を下ろす。相変わらず独特な感覚の持ち主のようで。


「勉強は(はかど)っているか?」


 ポニーテールのしっぽを弄びつつ、光が話しかけてくる。

 ノースリーブのブラウスは、夏のファッションにふさわしく、いかにも涼しげで、彼女のクールな雰囲気に似合っている。一方で、日向は汗ばむ。


 勉強捗っているか、なんて。光さん、受験生に向かって禁句を……


 絶賛行き詰まり中の日向は、「夕方から塾で特別講義です」と曖昧な答えでにごした。

 志望校は、黒志山大学(ここ)。来年は光と一緒にキャンパスライフを送れているのだろうか。不安をにじませる日向に同情するよう、早乙女は「わかるよ」と頷き、


「受験勉強って、ほんっとストレス溜まるよね。――でも、今回の合宿(、、)は良い息抜きになると思うよ! うん」


 満面の笑顔で、ね、と同意を求めてきた。


「は、はあ」


 良い息抜きになるかどうかは、あくまでも日向(ほんにん)次第と思うが。自信満々に肯定されると、抵抗する気も薄れてしまうものだ。


「じゃーん! 旅のしおり。アカネちゃんは会議中で不在のため、副会長の僕から贈呈します」 

 

 A4サイズの用紙を束ねたものを手渡される。

 ボーダー柄の半袖シャツから出た早乙女の腕は、色白痩せ型の日向に劣らず、か細く白い。

 表紙に目を落とすと、『黒志山大学・演劇サークル〈KUA〉たのしい合宿のしおり』とある。初っ端から、脱力するようなタイトルだ。


 高校生の日向が、なぜ大学サークルの合宿に参加することになったのか。そこには複雑な理由が――特にはない。

 あえていうなら、サークル会員の野巻(のまき)アカネと光が高校の先輩、ということ。そして、一番の理由は、単純に人手が欲しいからだろう。もともと会員不足だったところ、アカネの溢れる情熱と実力のせいで、サークルから足が遠のく会員が増えてしまったのだという。悲しいことだ。


「今回泊まるのって、野巻(のまき)先輩の別荘ですよね」


 アカネは、イベント企画会社を営む会社の社長令嬢でもある。

 あの人、別荘まで持ってたのか。さもありなん。一般的な家庭に生まれた日向は遠い目をする。


「アカネちゃん()の別荘っていうか、光ちゃん家のものでもあるんでしょ?」

「光さんの家の……?」 


 面倒くさいことを言うな、とばかりの視線を光は早乙女に浴びせ、面倒くさそうに説明する。


「正確にいえば、三人の共同名義だ。野巻の父と、雷宮家(うち)の父と叔父の」

「共同名義ですか」

「野巻父がうちの工務店に建築を依頼してきたんだよ。幼稚園時代に、私と野巻が互いの家を行き来して遊ぶ仲だったから。父と叔父も費用を出すかたちで、共同で利用することになった。管理費も折半(せっぱん)してる」

「光さんと野巻先輩の縁がきっかけなんですか」


 父親同士ではなくて? 日向の困惑を悟ったのか、光は小さく肩をすくめた。


「野巻のお父さんって、そういう人なんだ。ちょっと変わってるだろ」


 そういえば――。日向は、はたと思い出す。

 過去に、野巻父からアカネを通じて、脱出ゲームのモニターを依頼されたことがある。娘の親友だろうが後輩だろうが、使える縁は隈なく活用するのが、経営者の手腕というやつなのかもしれない。


「光さんは別荘に行ったことがあるんですか」

「小学校に上がる前までは、毎年夏休みに滞在していたけど。叔父夫婦が来なくなってからは……。以来、野巻に誘われて何度か行ったきりかな」


 注意深く観察していないとわからないほど、微かに物憂げな表情を、光がした。


 叔父夫婦が来なくなったから別荘に行かなくなった……?


 どこか引っかかるような感覚して、日向は無造作に腕をさすった。

 何かが大幅に省略されている気がしたからだ。しかし、細かい事柄が気になる性質の彼でも、雷宮家の身内のことを追及するのは気がとがめた。

 そこへ、「はーい!」と早乙女がぱんと手を叩く。


「本題に入るよ。今回の目的は文化祭の演目を決めるのがメインね。まず、スケジュールの確認。当日は午前十時半にアカネちゃん家に集合。車はアカネちゃんが出してくれます」

「もしかして、野巻先輩の運転で……?」

「新車を買ってもらって、張り切ってるから」


 おおっと。交通安全御守どこに仕舞っていたっけ?

 日向は、心の中の持ち物リストに、御守をこっそりと加えた。


「途中、ハイウェイオアシスで休憩及び昼食。午後二時頃に到着予定。管理人さんに挨拶してから、当日夜は外で焼肉。翌朝は六時半に起きてラジオ体操からスタート。次のページを開いて」


 淡々と予定が読み上げられる。演劇サークルの役者だけあって、滑舌が良く、聴き取りやすい――が、


「以上、何か質問ある?」

「……いえ、特には」

「後から思い付いたら、遠慮なく教えてね。あ、連絡先交換しておこうか――。う~ん! 喉が乾いたね。飲み物を買ってくるよ。日向君は何がいい?」

「そんな。悪いですよ」

「遠慮せずに」

「じゃあ、コーラを」

「光ちゃんはコーヒーでいいかな。ちょっと待っててね」


 自動販売機のコーナーへ、内股で小走りに駆けていく早乙女。

 

「あの――光さん」

「ん?」


 ふたりきりになったボックス席で、日向は声を低めて言う。


「僕、何のために呼ばれたんでしょうか」


 合宿の打ち合わせがあるから、と呼び出されたが、旅のしおりを読み上げられただけである。

 これなら、光を通じて、しおりを貰うだけで良かった。わざわざ招集されたからには、それなりの用件があるのでは、と考えるのは傲慢だろうか。地下鉄を乗り継いで来たのにな……。


「ねぇ」


 悶々としていると、ひやりとした指が日向の腕に触れていた。光の、猫のような瞳がまっすぐに向けられている。

 

「来年大学に受かったらさ、どっか行かない?」

「卒業旅行ですか」

「うん。泊まりで」


 日向は少し警戒する。

 去年、光に騙されるようなかたちで訪れた温泉旅館で、事件に巻き込まれたことがあったからだ。


「あのとき行った場所よりも、もっと遠く、二人きりになれるところへ」


 彼の思考を先読みしたかのように、光は艶っぽくささやいた。

 二人きり。その箇所を強めて。


「だめ?」

「……ダメ、ではないんじゃないでしょうか」


 不覚にも動揺してしまう。照れ隠しに、首の後ろをぽりぽりと掻いてしまう。

 そこへ、「おまたせー」と紙コップで両手が塞がった早乙女が戻ってきた。瞬間、元の凛とした空気を光がまとうのが分かった。先の甘やかな雰囲気は自分だけのもの、と思うと、優越感というか、くすぐったいような気持ちに日向はなるのだった。

 

「はい、どうぞ~」

「わざわざありがとうございます」

「いや、こちらこそお世話になるからね」


 たっぷりと氷が浮かんだコーラを手渡され、恐縮してそれを受け取る。光にはアイスコーヒー、早乙女はサイダーが、各々の前にセッティングされた。


「ちょっと面白いものを持ってきたんだ」

 

 早乙女が、傍らに置いていたトートバッグを探り出す。妙にウキウキした感じだった。

 年季が入ってくすんだ色の木製テーブルに、古い雑誌が置かれる。


「三十年前の月刊誌。父さんの書斎で見つけたの。今はもう廃刊しているみたいだけどね。――合宿で行く別荘地の記事が載っているんだ」


 月刊・北国のしらべ。地域に根差した話題を発信する、いわゆるローカル誌だ。

 三十年前といえば、日向が生まれる十年以上も前のこと。その時代は、こんな雑誌もあったのだなぁ、と雪降る街の光景が描かれた表紙を眺め、感慨深く思う。


「記事って、その地域の紹介とか?」


 黄ばんだページを捲りながら、光が言う。近隣の観光地やグルメの情報とか掲載されているのだろうか。

 しかしその予想は、「ふふふ、実はね」と勿体ぶった物言いをする早乙女により、みごと裏切られることになる。


「三十年前の冬、男性がクマに襲われて死亡する事件があったのさ」

「クマかよ!」


 光がツッコむ。日向も白けてしまう。

 数日後向かう場所について、不吉な情報を……。もともと乗り気じゃないのに、ますます行きたくなくなるじゃないか。

 引いている二人におかまいなしで、早乙女は興奮したようすで語気を強める。


「単純な事故じゃなくて、未解決事件だよ。遺体の頭部には、人の手(、、、)によって(、、、、)殴られた跡が残っていたんだ――」

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