解答編
scene:3
「ぜ……全然意味がわかんないけど? 突然なんだよ」
楓がしどろもどろに言った。
将来は俳優を目指している彼だが、このセリフは上手くなかった。動揺が手に取るように伝わってくる。パニックになると考えるより先に口が動くタイプなのだ。
「空野君は、クリスマスイブの『イブ』ってどういう意味か知ってる?」
「へっ!?」
出し抜けに質問され、楓は目をぱちくりさせる。
「そりゃあ、クリスマスはキリストの誕生を祝う日で、イブはその前の日だろ」
「正確には違うよ」
日向はあらたまった口調で、
「イブは、英語イブニング(evening)――夜に由来しているんだ。
旧約聖書では一日を日没から翌日の日没までとしていて、クリスマスは24日の日没から25日の日没までの期間を指す。つまり、クリスマスイブはクリスマスの一部なんだよ」
「ふうん……よく知っているな」
たじろぐ楓に、尻ポケットからリーフレットを取り出してみせる日向。
『クリスマスのおはなし』と見出しがあり、子ども向けなのだろう、優しい言葉で解説が綴られている。コミュニティセンターまでの道程で、聖なる講義を受けてきたようだ。
「で、幸せの25サンドケーキですが。
僕の頭に今の知識があったので、イブだから25段じゃなく24段に――1段少なくしたことに違和感が」
「や、でも!」とアカネは健気に抵抗を試みる。
「楓くんみたいに、お店の人も勘違いしていたかもしれないじゃん? イブは前の日って」
「普通のお菓子屋さんならあり得るかもしれませんが、聖メリノ・ドルチェですよ。教会にあるお菓子屋さんがそんな勘違いを?」
もっと気の利いた表現をするなら、教会の“お膝元”で、といったところか。
アカネは健康的な肌色を赤らめ、もどかしそうに唇を噛んだ。脳内では劣勢を打破するための策が巡っているに違いない。
アイディア自体は悪くなかった。
サンドケーキが25ではなく24になった理由を上手くカモフラージュしたように思えたが、よもや、こんなかたちで反撃を受けるとは。神の差配だろうか。……クリスマスだけに。
「それだけか? 私たちが嘘を吐いていると判断した材料は」
挑発的な台詞を投げたのは光。
元来、策を弄するのが嫌いな彼女である。作戦自体にあまり乗り気でなかったのだろう。挑発を受けた日向はむず痒そうに後頭部をかき、ゴミをまとめた紙袋に近づいた。
「もう一度確認しますが、持ち帰りのゴミはあれだけですか」
「? そうだけど、それが……」
いぶかしげに応じたアカネが、突然何かに気づいたように「ダメっ!」と叫んだ。が、日向は止まらない。紙袋に入ったプラスチックのパックの個数をかぞえて、
「――としたら、幸せの25サンドケーキはどうやって店から運ばれてきたのでしょう?」
塔のように高く積まれたサンドケーキを仰いだ。
「まさか、このままの状態で、ってことはありませんよね? にしては、ケーキ用のケースらしきものが見当たりませんけど」
……なるほど。思わず唸った。
もし自動車で来ていたのなら、「トランクに置いてきた」とでもハッタリをかませるが、「バスと地下鉄を乗り継いできた」と正直に答えてしまった後ではそれも無理か。
「ケーキを目にしたとき、僕、すごく感動しました。同時に、意外だったんです。予想していた形状と違っていたから――けれど今、確信しました」
重い雰囲気のなか、日向が淡々と語る。
じわじわと真相に詰め寄られる恐怖。無意識のうちに武者ぶるいをしていた。これを快感、と感じてしまう自分は変態だろうか。
最後の仕上げ、とばかりにプラパックを手に取って、
「サンドケーキは、縦方向に積まれていたわけじゃなく、横になった状態で販売されていたんですね――普通のサンドイッチのように2枚1組で、個々に摘まんで食べられるように。パックの量からして、たぶん25個はあったんじゃないですか」
ぷしゅう、と。
風船から空気が抜けていくように、張りつめていた緊張感がしぼんでゆく。
脱力してテーブルに突っ伏したのは楓だった。「すまん!」と椅子から飛び降りて、土下座した。
「サンドイッチ食べたのオレなんだ! 稽古の後で腹が減っててさ……まさかケーキだとは思わなくって!」
「私も食べた。ごめん」
申し訳なさそうに微笑む光も、日向に謝罪した。
――そう。
幸せの25サンドケーキは、フレーバー豊かな25個のサンドイッチの詰め合わせであった。
普通のサンドイッチと違い、食パンのかわりに甘味をおさえたスポンジ生地を使用しているのが特徴だという。
聖メリノ・ドルチェからセンターまでアカネとともに運び、飲み物やスナック菓子を買出しに行った間の出来事だった。
小会議室にやってきた楓と光は、よもやそれがケーキだと気づかず、つい手を伸ばしてしまったのだ。楓が白状したとおり本当に腹ぺこだったのだろう。ともあれ、自制心の強い光まで手を出さずにいられなかったのは名物スイーツの魔力か。
買出しから戻ってきた時点で、サンドイッチは16個まで減っていた。おそるべし成長期の食欲。
『――いい? ここからは全員が共犯だからね』
アカネの提案で、サンドイッチを4個追加で食べ、残りは12個となった。
サンドイッチは2枚1組――2枚×12個=24枚の生地を積み上げ、24段のサンドケーキに見せかけようとしたのだが。
「飾り付け用に、サンタとトナカイの砂糖菓子と生クリームを別に付けてくれたの」
ようやく観念したらしい、アカネは沈んだ声で釈明した。
アカネは、サンドイッチ同士を飾り用の生クリームで接着して、細工を施したのだ。
幸せの25サンドケーキが会員限定かつ数量限定であり、その全貌が明らかにされていないことを利用したトリックだったが……日向の食への執念と観察力の鋭さを考えれば、サンドイッチのひとつを分解して25段にすべきだったかもしれない。
まあ、聖なる日に悪事は向かないのだろう。
憮然としている日向に楓が言う。
「前にさ、アカネさんが買ってきてくれたヒルバレーのポップコーンを、オレがひとりで食べたことがあったろ? で、水無月君にしばらくの間、音信不通にされたからさ。トラウマで」
「……音信不通にしたわけじゃないよ。空野君がメルアド変えたの教えてくれなかっただけだろ。こっちもスマホ変えたから連絡しようとしたのに」
「そうだっけか? ごめんごめん」
なんとも楓らしい、いい加減さ。
つい吹き出してしまった。こちらを振り返った日向がじろりと僕を睨み、
「で、いつまで撮影を続けるんですか? 田雲先生」
と言った。
* * *
「う、うわっ!」
そのときだった。24段のサンドケーキがぐらりと揺れて、タワーが崩れた。
色とりどりのサンドイッチが降ってくる。僕を含め全員が反射的に腕を伸ばし、それぞれにキャッチした。
「ああ、もう、崩れちゃった」
アカネがおどけた調子で呟いたのをきっかけに、皆が顔を見合わせ笑い出す。
右手に苺クリームサンドイッチを、左手にビデオカメラを持っていた僕は、撮影ボタンをオフにした。
「スイーツ研究会の臨時顧問としても詫びるよ。サンドケーキ、美味しかった。僕はもう満腹だから、残りは日向君が食べるといいよ」
学生が勉強会などを称してセンターを利用する場合、「先生の引率が必要なの」と野巻アカネに懇願されたのは、昨日の終業式後だった。
養護教諭がスイーツ研究会の顧問、だなんて分不相応な感じがしたけれど、熱心に頼み込まれたので断れなかったのだ。
僕は苦笑いする。
成果として提出するため、“勉強会”の模様を撮影していたのだが、こんな調子じゃ認められるかどうか。
日向はビデオカメラの録画が停止しているのを注意深く確認してから、サラミ&クリームチーズのサンドにかぶりついた。
仏頂面がおいしい笑顔に変わってゆく。かわいいものだ。
ちなみに楓と光が通う剣道道場は僕の実家であり、午前稽古に付き合った後、彼らに自宅の風呂場を貸して、アカネを手伝うため一足先に自宅を出てきた。自動車を出せればよかったのだが、無免許ゆえ申し訳ないことをした。
気づくと、アカネがこちらを見て、意味ありげな表情を浮かべている。
「どうかした?」
尋ねると、アカネは満面の笑顔になって、
「田雲先生、今日は手伝ってくれてありがとうございました。先生とクリスマスを過ごせて、アタシ嬉しかった」
「こちらこそ、誘ってくれてありがとう」
僕はつられて微笑んだ。
「水無月くん、機嫌直せよ。執念深い男は嫌われるぞ」
「……気にしてないし」
日向をますます不機嫌にさせた楓に、すかさずアカネがフォローに入る。
「ほらっ、お詫びにアタシの自慢の親友、光をあげるから! 最近美しさにますます磨きがかかってきて、お買い得だよ!」
「人をセール品みたいに扱うなっ」
仲良きことは美しきかな。若きことは楽しいかな。
なにはともあれ。
メリークリスマス、良いお年をお迎えください――今年もそんな月並みな挨拶を交わせる幸せに感謝しつつ、僕は、彼らのやり取りを微笑ましく眺めた。
【Thank you for reading!】
皆さんはどのようなクリスマスイブをお過ごしでしょうか。
私はクリスマスシーズンの一週間、イベント&インフル(泣)で大いに奮闘しました。活動報告を上げる余力がなく、こちらで年末の挨拶をさせていただきます。
今年もわずかですが新しい物語を投稿することができ、また拙作をお読みいただき、とても幸せでした。
来年度からは、さらに生活が忙しくなりそうですが、構想と執筆の時間をとれる限り活動していきたいです。どうぞよろしくお願いいたします。




