1-8 本気にさせた責任はとらなければならない
「――あ」
やっと見つけた。日向は立ち止まる。
気配を察して、踊り場にいる女子生徒が振り返る。冬服のブレザーに、リボンは緩め、スカートは若干短め。三年生の制服の着こなしだ。
「水無月君じゃないか。久しぶりだな」
猫みたいな瞳をぱちくりさせて、雷宮光が、たたんとリズミカルに下りてくる。スカートが危うげに揺れる様から、日向は目をそらした。
顔を合わせたのは二週間ぶりだ。
あの事件を境に、光に追い回されなくなったから。何か思うところがあったのかもしれない。日向がそうであったように。
「どうした? もしかして、私に会いにきてくれたのか」
だったら嬉しいけど、と上目遣いに見つめてくる。
実はそうだった。でも、三年生の教室をたずねる勇気はなく、格技場を見張っていても会えず、もしかしたらと予感を抱き、事件現場の階段下を訪れてみたのだ。そうしたら、光がいた。
「これ。よかったら読んでみてください」
日向は抱えていた分厚い本を差し出す。
暗闇に青い星が浮かんでいる表紙には、『宇宙大辞典』と銘打たれている。
「宇宙科学に興味をもっているようだったから」
光はくすっと笑って、
「ありがとう。受験勉強の合間に読むよ。そういえば夏見な」と後れ毛を耳にかける。
「副部長に降格したよ。サブリーダーの方が伸び伸びしていて、性分に合っているみたいだな。新人戦でも活躍してくれるだろう」
「中園さんとは?」
「さあ。この前、一緒に帰っているところを見かけたけど。京島の奴、夏見に振られてションボリしていたな。二人ともしばらくは大人しくしているだろ」
踊り場の大窓から見上げる秋の空が高い。天から地上へ、濃淡のグラデーションが儚いほどにキレイだった。日向は意を決して、頭を下げる。
「雷宮先輩、すみませんでした!」
「なんだよ、いきなり」
光はぽかんとしている。
「先輩から逃げていたことです。夏見さんの話を聞いて、やっぱり逃げるのは良くない、と思って。ずっと謝りたかったんです」
「いや、こっちも追い回して悪かったよ。私も反省した」
「僕は――やっぱり一種の女性恐怖症なんだと思います。でも、告白してくれてありがとうございました」
「……そうか。じゃあ、先輩としてひとつ助言がある」
「へ?」
まじめな声で告げた光は、急にいたずらっぽい笑みを浮かべる。そして、日向の手を取り、あろうことか自分の心臓に当てた。
手のひらに広がった柔らかな感触に、日向は慌てふためく。
「なっ、何やってるんですか! ダメですって」
「いいからいいから」
のんきな語調に反して、がんがらじめに固定される。
光の力は強い。逃れようと手を動かすと揉むようなかたちになってしまい、下手に動かせない。背中に嫌な汗が浮かぶ。鼻の奥がツンとする。ああ、意識が……
「――どう?」
光は熱を帯びた双眸で日向を見つめている。
「……どう、って」
「聞こえる? 心臓の音」
途端――どくり、と。
強い鼓動を手のひらに感じて、日向は驚く。
どくん、どくん、どくん……。
まるで早鐘を打つような勢いだった。なんて早い――
「ドキドキしているの、自分だけだと思ってるだろ。好きな人に触られているんだから、私だって緊張する」
さっきまでのふざけた雰囲気は消え失せ、光は真顔になっていた。
「君は女性恐怖症かもしれないけど、相手も精一杯で、緊張しているってこと、忘れないで」
束縛されていた手がようやく解放された。日向は、はっとしたように顔を上げた。
「……たしかに、僕、そんな風に考えたことなかったっていうか。告白してくれた人に酷いことしてました」
「わかってくれたらいいよ。情けない顔するなって」
うつむいたまま動かなくなった日向を、光はのぞき込む。
「大丈夫? ――もしかして、興奮しちゃった?」
あわく染まった耳たぶに、ふうっ、と息をふきかけられる。
「はうっ!」
「ふふふ」
「からかわないでください!」
「ごめんごめん。最後に、提案があるんだけど」
「提案?」
疑わしげな目つきをする日向を、光はどうどうと落ち着かせて、
「私が観たところ、君の女性恐怖症は重度じゃなさそうだ。
ひとつ試してみないか。卒業までに女性恐怖症を完治することができたら、私との交際をもう一度考えてくれ。できなければ、きっぱり諦めるから。
どう? 悪い条件じゃないと思うぞ。ああ、あらかじめ言っておくが、治療のためには毎日会うのが望ましいな」
「……なんだか上手く丸め込まれているような気がするんですけど」
「気のせいだろう」
光が手を差し出す。日向は額に汗を浮かべながら、おずおずと握りかえした。契約成立の握手。
「今日からよろしく」
「……よろしくお願いします」
水無月日向の受難は、もうちょっとだけ続きそうである。
【to be continued...】
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