D-2 ドッペル回想【1】
土橋君――下の名前は崇です――は、僕が小学三年生の秋、近所に引っ越してきました。
今でもよく覚えています。
真っ白な正方形の家、車が優に二台は納まる大きな車庫、広い玄関ポーチ。
その新しく建った家に土橋家が入居してすぐ、引っ越し挨拶に来てくれました。
お父さん、お母さん、土橋君の三人家族です。
土橋君はどちらかといえば、お父さん似でしたね。がっちりした体格に、大きな丸眼鏡がお揃いで。
僕と同学年で同じクラスとわかると、母さんたちは学校の話題をし始めました。その間、土橋君は抱えている図鑑の背表紙を指でなぞっていて、僕の視線に気づくと、
「読む?」
って図鑑を貸してくれたんです。小学生向けの宇宙図鑑でした。
――はい、僕が宇宙科学に興味を持ったのは彼の影響が大きいです。
なつかしいなぁ。仲良くなってからは互いの家を行き来して、ビックバンやブラックホールの深淵について語り合ったり……。あ、そこは詳しく伝えなくていいですか。わかりました。
うちの母さんと土橋君のお母さんは連絡先を交換していて、次の日から、僕らは一緒に登校する約束がされていました。たぶん、僕の母の提案だったと思います。
親切?
というかお節介なんですよ。運転下手なくせに、習い事の送迎係を申し出たり。空回りぎみっていうか。
まあ、とにかく。翌朝から土橋君の家に集合して、一緒に学校へ行くことになりました。
ところで、僕にはもともと一緒に登校していたクラスメイトがいました。
幸田右京といって……ああ、先輩も一年生のとき、友達と待ち合せて学校に行ってたんですか。歩行のスピードが合わなくて別々に登校するようになった。へえ。予想を裏切らない“らしい”エピソードですね……すみません、他意はありません。
右京には母同士を通じて、登校組に土橋君が加わること連絡がいっていたようです。その朝は、お調子者の右京がやけに緊張して固くなっていたのを覚えています。
玄関チャイムを押すと、すぐに、幅の広い扉が開いて、
「おはよう。今日からよろしくね」
と土橋君のお母さんが明るい笑顔で迎えてくれました。
初対面の土橋君と右京が軽く自己紹介し合って、いつもは寄り道したがる右京も妙にかしこまっていて、まっすぐ学校に向かいました。
「土橋君ちの家デケー! 玄関にベンチあるんだぞ!」
なんて。教室に着くと、右京は得意げに喋っていました。
クラスメイトたちより先に転校生と友達になれたのが嬉しかったんでしょうね。その気持ちは僕もなんとなくわかりました。
土橋君は、わりとすぐクラスに馴染みました。
見た目はマジメっぽいですが、実はそうでもなくて……といったら誤解があるかな。
例えば、担任の先生がいないところで、誰かが先生のグチを言ったりするじゃないですか。そのやり取りを咎めるでもなく、積極的に加わるわけでもなく、ただ笑って上手くやり過ごすような……なんと表現したらいいか、周りの子より大人っぽく感じる場面がありましたね。
そんなある日、クラスの男子のひとりが奇妙なことを言い出したんです。
「右京のドッペルゲンガーを見た!」
って。土橋君のドッペルゲンガーの話じゃないのかって?
もちろん、そうです。
でも、先輩に話を聞いてもらっているうち僕自身も記憶がはっきりしてきて……そう。きっかけは、右京のドッペルゲンガーでした。
小学校中学年って、やたらと怪談やオカルトに夢中になる時期じゃないですか。
自分にそっくりな“ドッペルゲンガー”を見たら死ぬ、ってなかなか強烈ですよね。
「私も隣町のショッピングモールで右京のドッペルゲンガーに会った! 挨拶したのに無視された」
そんな風に。言い出しっぺの男子だけでなく、悲鳴まじりにそう訴える女子もいて。
教室は軽いパニック状態になりました。
当の本人、右京の反応は僕にとって意外なものでした。
お調子者な上、オカルトが大好きな奴だから、真っ先に話題に飛びついてはしゃぐだろう、と思いきや……。
右京は、自分の“ドッペルゲンガー”に恐怖するでも、興奮するわけでもなく、怖い顔でむっすりと黙り込んでいました。
一年生から同じクラスで親しくしていたけど、そんな右京を見たのは初めてだったかもしれません。
周りがいくらはやし立てても、結局、放課後まで同じ調子で。
いつものように下校して別れるとき、
「皆が噂してたドッペルゲンガーって、たぶん俺の双子の弟だわ。知ってて気づいた奴らもいるだろうけど、黙っていてくれたから……だから俺も何も返さなかったんだ」
とこっそり教えてくれたんです。
土橋君と僕は無言のまま頷いて、遊ぶ約束もせず帰宅しました。
*
「ドッペルゲンガーの正体は双子の弟?」
いったん言葉を切った日向に、光はまくしたてる。
「なんだよ。不思議でもなんでもないじゃないか」
「はい。左京という名前だそうで。なぜ右京が元気をなくしてしまったかといえば」
「わかるよ」
光はポニーテールのしっぽを撫でて、ゆったりとした動作で腕組みを解く。
「クラスメイトたちが、右京の双子の弟の存在を知っていたら、ドッペルゲンガーを見た、なんて噂はそもそも起きないはずだ。
クラスメイトの大半が知らなかったのなら、少なくとも同じ校内にその弟はいないってことだ。君が通っていたのは公立学校だな?」
「黒志山市立第二小学校です」
「公立学校に通う兄弟の校区が違うというのは、普通あり得ないから。その右京と左京は、何かの理由で別々に暮らしていたんじゃないのか」
はい、と日向は神妙に頷いて、
「小学校に入る前に両親が離婚して、父親と母親それぞれに引き取られたそうです。右京と同じ保育園出身のクラスメイトたちは知っていたようですが」
「右京に遠慮して黙っていたんだな。右京も彼らの配慮に気づいて、弟の存在を明かさなかった。そういう事情なら誰にでも明かしたいわけじゃないからな。離れて暮らす弟を“ドッペルゲンガー”なんて言われたら、気分が良いわけないし」
「……はい」
冷めた紅茶を啜って、鼻から息を漏らす。薄い唇にかすかな笑みが浮かんだ。
「ここからが面白いですよ。右京が打ち明けてくれた翌日、今度は土橋君が変なことを言い出したんです。――『俺にもいるよ、ドッペルゲンガーって』」
**
なんのために土橋君がそんなことをしたかといえば、右京のドッペルゲンガーの噂を払拭してしまいたかったからでしょうね。
クラスメイトたちはすぐ信じようとはせず、「嘘つくなよ」って当然の反応をしていましたが、「本当なんだ」って説得にかかる土橋君の話の内容が恐ろしくリアルで。
まともに取り合おうとしなかったクラスメイトの表情が、しだいに、真剣味を帯びたものになっていきました。もしかすると本当に信じてしまった子もいたかも。
一方で僕は、すべて真っ赤な嘘とわかっていた。
だって、土橋君が話すその内容は、彼が僕に貸してくれた『世界超ミステリー図鑑』に載っていたドッペルゲンガーのページとまるで同じだったから!
怪談話のタイミングで意味ありげに目配せされたけど、笑いをこらえるのに必死でしたよ。
けれど――僕は本当に、土橋君の“ドッペルゲンガー”を目撃することになります。
ちょっと遠回りしてしまったけど、ここからが本題です。
その年の、初雪が降った朝でした。
僕が登校の準備をしていたとき、携帯を開いた母さんがつぶやきました。
「あ。今日、右京くんち車で送っていくんだ」
僕と右京と土橋君。
登校三人組の母親たちは、携帯のメールアドレスをグループ設定にして連絡を取り合っていました。
三人のうち誰かが学校を休んだり、遅刻するとき、行き違いがないようにです。集合場所に三人全員が集まってから、出発する決まりになっていましたから。
しばらく止みそうにない雪を横目に母さんは、
「じゃあ、うちも送っていこうかな。あんた風邪ぎみだしね。『うちも出勤ついでに送っていきます』――と。土橋さんちはどうするのかな」
ついでだから崇くんも乗せていこうか、と母が電話しようとしたところ、ちょうど返信がありました。
「あら、土橋さんちも車で送っていくって」
三人それぞれ別に登校することになりました。
母の車で出発して、土橋君の家の前を通り過ぎたとき、車庫のシャッターは二つとも閉まっていました。先に出発したんだろう、とそのときは考えました。
母が車で僕らを送るときは、僕を小学校に届ける前に先に陽太――弟を幼稚園に送り届けていました。
だからいつも歩いている通学路とは違うルートを走ることになります。
ちょうど南大通りにさしかかったところでした。信号待ちで停車をしているとき、なにげなく窓の外を眺めていた僕は、自分の目を疑いました。
茶色のランドセルを背負った少年がひとり歩いていたんです――土橋君でした。
湿った雪がちらつくなか、寒さに頬を赤くして、うつむき加減で。
目撃したのは僕だけだったようで、「いま土橋君が歩いていたよ」と母に伝えましたが、運転に夢中で「そんなはずないでしょ」と相手にしてくれませんでした。
その後、学校に着いて――僕はさらに驚きました。
児童玄関で土橋君とばったり会ったんです。
ちょうど到着したばかりのようでした。大きな丸眼鏡が白く曇っていたのを今でも覚えています。
ありえない……ありえないんですよ!
歩いていた土橋君と同時に着くなんてこと。
家から学校まで、当時の僕らの足で30分以上かかりました。母さんは運転下手で駐車は手間取るし、陽太を幼稚園に送り届けるのに回り道したけど、それでも20分かからなかったはず。
たとえ、目撃した後に土橋君が全力疾走したとしても、追いつくのは到底無理な時間差です。
土橋君はいつもの調子で「おはよう」と声をかけてきたから、僕はもう信じられない気持ちで尋ねました。
「土橋君、さっき歩いてたよね?」
すると彼は表情も変えず、
「いや。送ってもらったよ」
と何でもないように答えました。
納得できない僕はその後も何度も彼に確認しましたが、「寝ぼけて夢でもみたんじゃない?」とはぐらかされるばかり。しまいには、「地球を侵略しにきた宇宙人じゃない? もしくは本物のドッペルだったりして」なんて茶化される始末で。
やっぱり僕の見間違いだったのか――?
何度もそう思い直そうとしました。でも……でも、あれは、たしかに土橋君でした。
ランドセルの特徴的な茶の色味といい、ジョン・レノンみたいな丸眼鏡といい、考えれば考えるほど見間違えようがないです。
となるとこれはもう――土橋君のドッペルゲンガーだった、と結論づけたくなるじゃないですか。
苦手意識があって避けていた独白形式。やっぱり慣れないです。でも、土橋君の不思議エピソードはまだ続きます。




