U-3 5つのクラブと被害状況
三十分後――
布きんのレンタル料と称して、演劇部(with野巻アカネ)に進展具合をしつこく尋問された光と日向は、ぐったりした状態で三階に戻ってきた。
「僕、気づいちゃったんですけど」
「なに」
「演劇部で費やした時間で、メガどんぶりは自然乾燥されたんじゃないでしょうか」
「……それを言うな」
演劇部におもむいたことを後悔しながら、物理準備室の前を通り過ぎたとき。
上履きの底をきゅっと鳴らして、日向が急に立ち止まった。逆再生めいた動きで後ずさりし、ガラス窓から中をのぞく。
「あれっ? ない」
「え」
「カップ麺がひとつ足りない!」
日向の肩越しに光がのぞくと、たしかに――作業台に並べてあったカップ麺が、5個から4個に減っていた。
蒼ざめた日向は、床を這って作業台の周りを探しはじめる。
「ない! ないっ! ない!!」
「どうかしましたか」
物理室の続きの扉が、からりと開いた。大人っぽい面差しの少女が姿をみせる。
衣田乃々だ。光はカナから聞いた話を思い出す。正木先生に手芸部の顧問をお願いするため、本日もけなげに雑用をこなしていたのだろう。
「やっぱり、ない! 盗まれたんだ!!」
「盗まれたなんて大げさな。落ち着いて探してみろよ」
たしなめる光に、だって、と日向は逆上してわめきたてる。
「五つそろえて並べておいたのにひとつだけ飛んでいった、なんてありえないじゃないですか!」
「水無月君。どうしたの?」
「衣田さんは、ずっと物理室にいたの?」
乃々の問いには答えず、日向は逆に質問する。
「え……うん。水無月君と雷宮先輩が物理準備室を出ていく前から掃除していたけど」
「僕らが戻ってくるまで、誰かが準備室に入らなかった?」
「一度お手洗いに行ったから、その間はわからないけど。4時半からはずっと物理室にいたよ。誰かが隣にいたら気配でわかったと思う」
戸惑ったようすながらも乃々は証言した。
たった今得られた情報を吟味しているのか、日向は犬のように低く唸っている。
「ぜったいに犯人を捕まえてやる……!」
怒りに燃える日向の横で、光はかつてないほど動揺していた。
うかつにも準備室に置きっぱなしにしていたトートバックを開いたとたん、雷に打たれたようなショックを彼女は受けた。
なんてことだろう――!?
このことは誰にも知られてはならない! とくに日向には絶対に!!
いっそショックで伏せてしまいたいくらいだったが、屈強な精神力でみずからを奮い立たせ、日向の後を追う。
「どこへ行く」
「手洗い場に。まずはメガどんぶりの無事を確認しないと」
「あれはさすがに誰も盗まないと思うけどな――衣田乃々を疑っていないの?」
冗談めかして振ってみる。
物理準備室の続きの物理室でひとり掃除をしていた乃々。彼女だったら、無人の物理室に侵入し、カップ麺をひとつ盗むのは容易かっただろう。
「まだわかりません。でも、犯人にしては不自然ですね」
「というと?」
「衣田さんは、『物理室を空けたのはお手洗いに行った間だけ』『誰かが隣にいたら気配でわかるはず』と言いました。これが本当なら、4時半前に彼女がトイレに行った隙にしか犯行のチャンスはなかったことになる。
僕が彼女で、かつ犯人なら、『物理室を頻繁に空けていた』『誰かが隣にいたとしても掃除に夢中でわからなかった』と答えますね。外部犯のチャンスを限定するような証言はせずに」
なるほど。光はひそかに感心した。
立腹しているけど頭は冷静のようだ。かえって冴えているような。その動機が、カップ麺を盗んだ犯人を見つけるため、でなければもっと良いのに。
それよりも――。アレは一体どういうことなのか?
すでに誰かに知られてしまった、と考えただけで打ちのめされてしまいそうだ。一刻も早く、日向を落ち着かせて、事態の収拾にかからなければ。
光の想いを裏切るかのように、手洗い場は騒然としていた。
五人の男女が何やら言い争っている。そのうちのひとり、宮西カナが近づいてくる足音に気づいて、鋭くこちらを見定めた。
「日向くん! 今までどこにいたのよ!?」
「水無月! 聞いてくれよ」
カナの叱責にかぶさるよう、楢崎が声高にまくしたてる。
「うちのボウル、いじってないよな!?」
「ぼうる?」
「凍ったスポーツドリンクを溶かすため、ボウルに水を張って入れておいたんだ。流水解凍な。その肝心の水が捨てられていてさぁ」
長い指で、手洗い場のシンクの隅を指す。
アルミ製のボウルとスポーツドリンクが二本。近寄って見ると、ドリンクはほとんど凍ったままだ。
光は合点がゆく。ボウルを抱えた楢崎とすれ違ったとき、コイツは何をする気なんだろう、と不審に思っていたのだ。冷凍したドリンクを流水解凍するためだったのか。
「日向なら、どんぶりを洗った後、今まで私と演劇部の練習場にいたぞ」
納得ついでに報告してやると、「だよな」と満足したように頷いた楢崎は、ツインテールの女子をきっと睨んだ。
「てことは、やっぱり奇術同好会のイタズラか。くだらない嫌がらせしやがって」
「ちっがーう!」
楢崎につかみかかろうとするツインテールの女子の肩を、シルクハットの男子が必死に押さえている。
「水を捨てられたくらいなによ。うちなんて、スライムを盗まれたのよ。週末のマジックショウで使うため手作りしたのに!」
「スライムって、ネバネバして伸びるやつ? 自分で作れるんだ」
「材料さえ揃えばね。貴重な部費をつぎ込んだのにさぁ、どこのどいつの仕業よ!」
余計な口を挟んだ日向に八つ当たりするよう、ステンレス製の四角い容器を振りまわす。この容器に手作りスライムを保存していたのか。
騒ぎを聞きつけてやって来た乃々が、「どうしたの?」と親友のカナにたずねる。
「料理部の……千切りキャベツが半分に減っていたの」
「あのキャベツが!?」
すっとんきょうな悲鳴が、光の唇からもれた。
こくりと顎を引くカナが抱えるザルを見やって、おもわず息を呑む。
ほんの数十分前には惚れ惚れするほど見事な千切りキャベツが山ほど盛られていたのに、今はその半分ほどの量しかない。
不可解さが極まってきたところに日向が、
「誰か僕のカップ麺を知りませんか!?」
と投げかけたものだから、さらに場は混乱した。
放課後のチャイムが響いたのを合図に、睨み合っていたツインテ―ル女子が楢崎に再び掴みかかろうとしたところで、
「お前ら、いい加減にしろ!」
光の怒号がとどろいた。年長者として介入せざるを得なかったのだ。
もうっ、よりによってこんなときに……! こんなことに巻き込まれるなんて!!
焦りを隠しつつ後輩たちの中央に割って入る。
タイトスカートの腰に手を添えて、ひとりずつ順繰りに鋭い眼光を浴びせてやると、高校生たちの背筋がすっと伸びていくのが目視できた。鬼の称号はまんべんなく行き渡っているらしい。
「――よし。何があったのか順を追って話せ。料理部の宮西カナから」
まずは落ち着いているようにみえるカナを指名した。
「4時頃だったと思います。洗ったキャベツを手洗い場のパイプ棚において、いったん家庭科室に戻りました」
「私たちと別れた後のことだな」
「はい。で、4時半頃に戻ってきたらキャベツが減っていたんです。私、パニックになって……まず部員に知らせようと家庭科室にUターンしました」
「そのとき、宮西と廊下ですれ違いました」
しずんだ口調のカナの後を引き継ぐよう、楢崎が続けて説明する。
「宮西はすごく慌てたようすで、『手洗い場に置いていたキャベツがイタズラされた!』って騒いでて。自分は後輩の茂木と、ドリンクが溶けたかどうかを確認しにいくところでした。嫌な予感して急いだら、水は捨てられているわ、ドリンクは出されているわ」
楢崎のうしろに控えている、気弱そうな男子が小刻みに頷いた。
「そもそも、なぜそこまでガチガチに凍らせちゃうの」
「……すんません。前日の夜から凍らせていたら、なかなか解けなくて」
「うるせえな、京谷。茂木がせっかく俺の分も用意してくれたのに」
「言い争いは後にしろ。次、奇術同好会」
いさめられたツインテ―ル女子が口を開こうとするのを制し、シルクハットの男子がずいっと前に出る。
「奇術同好会の山城です。京谷が説明したとおり、マジックショウで使うスライムを作っていたんです。出来上がったのを容器に入れて、京谷が手洗い場まで運んでくれたのですが」
「私、お手洗いから戻るとき京谷さんとすれ違いました」
小さく挙手して乃々が発言した。彼女いわく、唯一物理室を空けたときのことだ。
光は腕組みを解いて、猫のような瞳で奇術同好会を見すえる。
「なぜスライムを手洗い場に?」
「手を洗いたかったし……踊り場とか廊下に置いたままにしていたら、ぶちまけそうだったから」
「ん? 待てよ。階段の踊り場で作ったのか。スライムを?」
「だって部室がないんですもん」
もにょもにょと語尾をにごす京谷。
相談してくれたらよかったのに、と日向がこぼすと、彼女はつんとそっぽを向いた。同じ同好会の立場で、部室持ちの宇宙研を良く思っていないらしい。
光は悩ましい吐息をする。
いっけん馬鹿馬鹿しいように思えるが、こうしたクラブ同士のいさかいは意外と根深いものなのだ。たんなる意地の張り合い、では片付けられないところがある。
「あのぉ」
進行役を光にまかせていた日向が、ここで待ったをかけた。
「京谷さんに質問なんですが。スライムを手洗い場に運んだのは何時頃のことですか」
「え~。四時半ちょっと前じゃなかったかな」
「そのとき、料理部の千切りキャベツと、ダンス同好会の水を張ったドリンク入りのボウルはどういう状況でした?」
はっとしたように血相を変えた楢崎に、「断っておくけどね!」と京谷が声を張り上げた。
「わたしが手洗い場に来たときには、両方とも被害に遭っていたから!」
「なにっ? じゃあ、見過ごして放っておいたってことかよ」
噛みついた楢崎に、京谷は平然として「そうだよ」と吐き捨てる。
「被害に遭っている、とその時点でわかっていたのに、ですか?」
かさねて詰問する日向に、京谷はうるさそうに手を払って、「だからそうだって言ってるっしょ。そもそもうちに伝える義務なんかないし」
「お前ってやつは……!」
楢崎はかっとして反発しようとするが、そのまま悔しそうに口を閉じた。怒っている、というよりは、悲しみをにじませて。京谷はツンとして唇を一文字に結んだままだ。
そして、日向は、目の前の騒動が見えていないかのよう虚空に視線をさ迷わせている。
光にはわかる。こういうときの彼は深い深い思考に潜っているのだ。
好奇心旺盛な少年は、やにわに顔をあげる。
「衣田さん」
「は、はい」
「お手洗いに行った前後、手洗い場がどういう状況になっていたか覚えていない?」
「……ごめん。思い出せない」
指名された乃々は、申し訳なさそうに首を振る。
ふだん滅多に使わない特別棟の手洗い場である。無理もない、と光は思う。
「話を戻します。奇術同好会のスライムがないことに気づいたのはいつですか」
「ついさっきだよ」
日向の問いに、三年生の山城が答える。
「手洗い場が騒がしいから京谷と来てみたら、スライムが見当たらなくなっていた。容器にラップをかけておいたのに」
アピールするように、京谷が空になったバットを皆にかかげる。もちろん手品ショウが始まる合図ではない。
「4時半以降、カナさんと楢崎がここに来たときスライムはあった?」
「……キャベツしか目に入っていなくて」消え入りそうな声音でカナ。
「覚えてねえな」と楢崎。「水無月のどんぶりの存在感が凄すぎて、他は目に入らなかったっていうか」
「うちのスライム、透明無色で目立たないから」
フォローするように山城がそう付け足した。
無色透明なスライムを使ったマジック。どんなショウをするつもりなのだろう。
光は興味を引かれたが、披露してもらう暇はない。
日向を見やると、ブレザーのポケットから取り出したプリント用紙の裏に、ぶつぶつと呟きながら状況を書き出している。
時刻については、各々の証言から大体の数値を予想して記したのだろう。
ミミズのような文字列に目を落として、日向はゆっくりと下唇をなぞっている。
ふいに、その指の動きが止まった。タイミングを図って、光は探偵役に声をかける。
「わかったのか?」
「はい……たぶん」
日向はあらためて全員をじっくりと見回した。
「今まで聞いた証言のうち、明らかに不自然なものがありましたから」




