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階段下は××する場所である  作者: 羽野ゆず
階段下は××する場所であるーHow done it?
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1-7 本性

 一昨年改築されたばかりの格技場は、木造建築の格式高い造りで、軽々しく足を踏み入れられない重厚さがある。

 女子剣道部は模擬試合を行っていた。


「――誰だ」


 声は特別大きくなかった。が、ただでさえ張り詰めていた空気に凛と響いた。

 手前で仕合っていた一組が、戸口にいる光の存在に気づき、動きを止める。奥で仕合っていた組も試合を中断した。


「誰だ?」


 光がもう一度言い放つ。

 ほとんどの部員は、意味がわからずに凍り付いている。鋭い眼光が、彼女たちをぎらりと見回す。

 後輩たちは元部長の光をよく慕っているが、厳しく指導されたとき、何度この目に震えあがったことだろう。条件反射のように身をすくませている。

 重い沈黙が、無限の時間にも感じられたとき――


「私です」


 奥で仕合っていた少女が、竹刀を下ろして、一歩前に出た。


「……夏見。やっぱりお前か」


 ため息まじりに光が呟き、「来い」と、夏見香織に手招きした。



 格技場を出て、松の木で陰になっている芝生に光は香織を座らせた。


「京島を襲ったのはお前だな」

「…………」


 面の奥で、ぐすっと鼻を啜る音と、嗚咽が聞こえた。後ろ紐を解いて、面を外してやると、香織は顔をくしゃくしゃにして泣いていた。それだけで十分だった。


「武道の心得がある京島を昏倒させるほどの腕前、となると限られてくる。おそらく、夏見の方が階段の上段にいたんだろう。だから、自分より大きい京島の頭頂部を打つことができた」

「……光先輩が近くにいるなんて思わなかった」


 涙まじりに香織が語り出す。


「新人戦が近いのに、あんな騒ぎを起こしてしまって……気づいたら、防具の面をかぶって逃げていました。二人を置き去りにして」


 足音が近づいてくる。光が顔を上げると、息を切らした日向がいた。

 香織が光と一緒にいるのを発見して、遅かった、とばかりに失望の色をにじませる。


「今回の謎を解いて教えてくれたのは、水無月君だよ。――夏見、どうしてこんなことになったのか、理由を聞かせてくれるな」

「……はい」


 籠手を脱いで裸になった両手を、香織はぎゅっと握った。


「光先輩が引退して、部長に就任してから、ずっと悩んでいました。そもそも私はリーダーには向いてないんです。剣道部の皆は一生懸命フォローしてくれたけど、逆にそれが重荷だったり……自分は部長の器じゃない、辞めたいって嘆いてばかりいました。

 ある日、練習中に抜け出して水飲場で泣いていたら、空手部の中園君に見られてしまって……つい弱音を吐いてしまいました。そんな私に、彼は同じ新部長の立場で、色々とアドバイスしてくれたんです。以来、顔を合わせるたびに相談に乗ってくれて。

 部長職は変わらず大変でしたけど、彼が応援してくれるなら頑張ろうって思えたんです。自然と……好きになっていました」


 微笑して恥ずかしそうに童顔を赤らめる香織は、でも、と声のトーンを落とした。


「二週間前、京島君に告白されたんです。前から気になっていた、って。彼のことは空手部の副部長として知っていましたが、付き合うとかは考えられません。断ろうとしたら、頼むから少し考えてくれないか、って押し切られてしまって」


 光が顔をしかめる。「京島の奴、強引だな」

「はっきりしなかった私も悪いんです……でも、その日の放課後に、今度は中園君に告白されて」

「中園に?」


 急展開すぎて、まるでドラマだ。白い頬を染めた香織は、すぐに表情を曇らせる。


「驚いたけど嬉しかったです。返事しなきゃって思ったところで――京島君が現れました。タイミングが良すぎたので、物陰で私たちの会話を聞いていたのかもしれません。『先に告白したのは俺だ』ってすごい剣幕で入ってきたのを中園君は、『なんだよお前いつも俺の邪魔をしやがって』って、私の前で罵り合いを始めました」

「まったく、あいつら。全然成長してない」


 光が額を押さえる。


「それで、夏見はどうしたんだ」

「私はただ圧倒されていただけでした。というか、口汚く罵り合う二人が怖くなってしまって……京島君だけでなく中園君も避けるように。ひたすら逃げていたら、しびれを切らしたんでしょうね、とうとう挟み撃ちにされて捕まりました」


 妙なところでコンビネーションが発揮されたらしい。日向が聞く。


「挟み撃ちって、一階と二階からですか」

「階段の踊り場に追い込まれたの。二階にいた京島君が『夏見が選べないなら俺たちが決める』って、一階の中園君に攻撃を仕掛けたんです。ほとんど奇襲でした。中園君はとっさに防御したけど、勢いをころしきれずに転倒しました。

 駆け寄ろうとした私の腕を京島君が掴んで、『ポイント先取したのは俺だ』って顔を近づけられて……その、ほくそ笑んだ顔があまりにおぞましくて……私は彼の腕を振り切って、二階への数段を上がった位置から、持っていた竹刀で……」

「一撃お見舞いしていた、と?」


 口ごもった香織の代わりに光が言う。香織は自らの手をぞっとしたような目つきで見下ろした。防具をまとった公式戦での一撃とは、全然感覚が違ったはずだ。

 好きな人ができて、両想いになれたのに、どうしてこうも状況がひねくれてしまったのだろう。京島だけを悪者にしても、割り切れない何かが残る。


「――事情はわかった」


 光は後輩の肩に手を置く。


「ひとつ間違えば大怪我だったな」

「はい……二人を止められなかったこと後悔しています」

「夏見は悪くないだろう」

「いいえ、悪いのは私です。

 中園君が好きだって、京島君にちゃんと伝えていれば、ここまで話は大きくならなかった。新部長に選ばれたときもそう。自分には向いていないってわかっていたのに、皆の期待を裏切ることができずに、無理してしまって……。でも、もうこんなの嫌です。たくさんです。私は逃げません」


 香織は目尻の涙を指でぬぐった。


「中園君と京島君に、自分の気持ちを伝えます。あと、部長職のことも、剣道部の皆に相談してみようと思います。剣道は好きだから絶対にやめたくないし」


 腕組みして聞いていた光は、ゆっくりと深く頷いた。


「それがいい」

「この件は田雲先生が預かっているって、中園君から聞きました。先生に全部話してきますね」

「そうか。私も付き合おう」


 すっかり陽が落ちて闇が迫ってきている。後輩のあとを歩き出した光が、顔だけ振り返った。


「水無月くん。ありがとう」


 夏の終わりのぬるい風が、ポニーテールをふわりと揺らした。はにかむような光の笑顔に、日向は、なぜだか心がざわついた。


「やあ、終わったね」


 背後からのんきな声をかけられた。振り向いてびっくり、養護教諭の田雲政宗だ。何が面白いのか、薄っぺらい笑みを口元に張り付けている。


「先生、いま雷宮先輩と夏見さんが保健室に向かいましたよ」

「いいのいいの。話はだいたい聞かせてもらったしね。やっぱり、剣道部の仕業だったか」

「知ってたんですか」

「そりゃあね」


 驚きで目を大きくした日向に、ははは、と快活に笑ってみせる。


「あの細長いタンコブ、昔、道場でよく見かけたよ。僕も作ったし、門人たちの手当もしたしね。すぐにピンときたさ」

「担任への報告は……?」


 恐々とたずねる日向に、田雲は白衣の肩をすくめた。


「幸いケガも大したことないし、今回はそれぞれの不注意ってことで処理しておくよ。――で、君は?」

「え?」

「光ちゃんのことだよ。ずいぶんと君にご執心みたいだね」


 田雲が楽しげに語る。


「彼女、小さい頃はお姫様願望が強くてね、ひらひらしたドレスばかり着ていたんだよ。武道に打ち込んでからは男勝りなってしまったけど、水無月君を見て妙に納得しちゃったなぁ。いかにも王子様、って顔立ちだし」

 黒縁眼鏡の奥の油断ない瞳に見下ろされる。値踏みするように眺められて、日向はたじろいだ。


「彼女、竹を割ったような性格にみえるけど。本当はすごく繊細なんだよ。大事にしてあげてね。応援しているよ」

「なっ」


 勝手なことを。日向が反論しようと口を開く前に、田雲はにまっと人懐こく笑って去っていった。気をつけて帰るんだよ、と後ろ手を振って。


「……謎だ」


 養護教諭の白衣の裾が風で揺らめいている。結局、日向の気持ちだけがふわふわと落ち着かず、取り残された。

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