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階段下は××する場所である  作者: 羽野ゆず
カップラーメン5ケ―Hikaru's unlucky day
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U-1 6月のデートと母校訪問

日向、高校2年生。光、大学1年生の設定です。(毎度ややこしくてすみません)

 雷宮らいきゅうひかるは、めったにセールを利用しない。

 必要なものは、必要なとき、購入するようにしている。

 セール日でお買い得といっても、「新発売のお菓子だ」などと予定外の品をひとつでも買えば無意味だし、「ポイントの有効期限が過ぎちゃう。買い物しなきゃ!」と親友の野巻のまきアカネが浪費するのを見るたび、踊らされているなぁと思う。

 ただより高いものはない。この格言は真理をついている。


「だーっ、おしい!」


 水無月みなづき日向ひなたがクレーンゲームにコインを投入した。

 エンドレスに響く電子音のメロディ。ポップな照明に、人々が楽しげに賑わう声。ゲームセンターに立ち寄るなんていつぶりだろう。

 小花柄のワンピースから伸びる素足をクロスさせて、光は、ちくりと忠告する。


「おい。いい加減にしとけよ」

「あと一回だけ」


 日向は上目遣いに弱ったような笑顔を浮かべた。

 あぁもうしかたがないな、とつい許してしまうズルい表情だ。

 獲れるかもわからないゲームに持ち金をつぎ込むなんて、光は理解できない。『あと一回』の約束を日向が守れないようなら、首根っこをつかんで強制退去させるつもりだ。


 もとはといえば、今日は映画デートだったのに。

 映画鑑賞を終えてシアタールームがある最上階からエスカレーターで下っているとき、ゲームセンターのフロアが一望できた。そのタイミングで日向が、


『チケットを買ったとき、店員さんがクレーンゲームの1回無料券をくれたんです。せっかくだからやっていきましょうよ』


 と誘ってきたのだ。

 一回だけなら、と了承したのが甘かった。ビギナーズラックで景品をゲットした日向はすっかり調子に乗り、クレーンゲームゾーンをうろついたあげく“運命の台”を発見してしまった。


『わあ、なんだこれ!?』


 彼が熱い視線を注ぐ先には、カップラーメンがディスプレイされていた。

 うどん&そばのカップ麺でお馴染みの〈とん兵衛〉のパッケージである――が、サイズが普通じゃなかった。通常の五倍はあろうかという容器がきわどいバランスで積まれている。


『メガどんぶりカップ麺かぁ。どれだけ大きい麺とかやくが入っているんだろう。わあ、僕、絶対欲しいです!』


 好奇心を刺激された食いしん坊は止まらなかった。

 この状態の日向に何をいっても無駄だとわかっている光は、彼がキラキラした瞳で一喜一憂する姿を眺めるしかなかった。

 無料のお試し券でリピーターを引き込もうとしている店側の戦略はみごとに当たっているといえよう。


「あ……っ!」


 ふいに情けない喘ぎをもらし、日向が膝から崩れ落ちた。

 よりによって、ラストチャンスで操作を誤ったらしい。

 ところが、なんと、ここにきてゲーセンの神が舞い降りた。ターゲットを通り越したアームの先端がどんぶりに当たり、大きく揺れ動いたたそれはついに取り出し口へと落下したのである。


「やったあ!」

「はいはい。良かったね」


 喝采をあげる日向の背中をぽんぽんと叩き、さっさと台から離れさせる。ゲームに使ったお金で、いくつカップ麺が買えるか計算しながら。

 一方、日向はすっかり有頂天になっていた。


「光さんも一緒に食べませんか」

「いいよ。私、カップ麺ってあまり好きじゃないし。せっかく獲ったんだからひとりで食べな」

「そうですか。じゃあ、これどうぞ」


 差し出されたのは、手のひら大のクマ。

 目、鼻、口、顔のすべてのパーツがハートで構成されていて、毛はショッキングピンク。彼が無料券でゲットしたぬいぐるみである。あまりの派手さに光は顔をしかめた。


「〈はあと(ハート)グマ〉? 可愛いのかどうかビミョーですけど。よかったら」

「うっ……ありがと」


 ぬいぐるみをトートバックにさっと放り込み、日向の腕に自分のそれを絡めて歩き出す。

 もうゲームセンターはこりごりだ、と思いながら。





 なんの前触れもなく講義が休みになることがある、と大学生になって知った。

 この後に別の講義が入っていたら、ぽっかり空いた時間に腹を立てたりもしただろうが、さいわい今日はこれでお終いである。

 所属している演劇サークルの部室に顔を出してみると、野巻アカネが待ち構えていた。


「光、やっぱり来た!」


 先月末に初公演を終えたばかりで部室は閑散としている。肌寒かった五月が嘘のように、六月に入ると蒸して汗ばむ気候になった。


「西洋建築史が休講になったでしょ。黒高に遊びにいこうよ」


 換気のため窓を開けていた光に、アカネが持ちかけてきた。

 黒高というのは、彼女たちが三月まで通っていた黒志山(こくしやま)高校を指す。特に予定もないし、これから母校を訪れるのは満更でもないが、


「休講になったって、よく知っているな。学部が別なのに」

「なに言ってんの。大学のホームページに全学部の休講情報が載ってるじゃん」


 そうだったのか。知らなかった。明日から欠かさずチェックしよう。光は心にメモする。


「次の公演の準備はいいのか」


 エネルギッシュで才気あふれるアカネに、もともと幽霊部員ぎみだった先輩たちはすでに主導権を渡しつつある。当然のようにリーダーシップをふるうアカネもアカネだが。


「今、ちょうど脚本を考えていたんだけどさ、なかなか良いアイディアが浮かばなくって。フレッシュな高校生と触れ合えば、斬新な発想が生まれるかもしれないじゃん」

「フレッシュって。お前もちょっと前まで高校生だったろうに」

「光、それは違いますよ」


 アカネは急に口調をあらためる。


「新築の家でも一日住めば中古扱いになるの。同じように、卒業した時点で私たちはJKブランドを失っているんだからね」

「なんだよそれ」


 意味がわからなすぎて、失笑する光。卒業後二か月で何かが劇的に変わるとは思えないけど。

 かくして、女子大生のふたりは黒志山高校を訪れるはこびとなった。


「野巻。そのリュック、新品か」


 最寄り駅から学校へ向かう途中。

 光は、アカネが見慣れない革製のリュックを背負っていることに気づいた。大学に入って制服を着なくなってから、アカネが身にまとう服や鞄のバラエティ豊かさに驚かされる毎日である。


「かわいいでしょ。ポイントが溜まっていたから定価の半分で買えたんだよ」

「買い物しなきゃタダなのに」

「ポイントは期間内に使わないと失効しちゃうんだよ。勿体ないじゃん。それに、もともと狙ってたアイテムだし。光だって、そのキーホルダー、新品じゃないの?」


 ちがうよ、とトートバッグの持ち手に付いたチェーンを隠した光に、あやしいなあ、といぶかしむアカネ。

 校門をくぐると、ピンク色の芝桜が咲き乱れる前庭が広がっている。帰宅する生徒とすれ違い、慣れ親しんだ生徒玄関ではなく、来客用玄関から入る。すぐ脇にある職員室でお世話になった先生たちに軽く挨拶してから、校舎に足を踏み入れた。



 ……え?


 その瞬間、ざわり、と。

 光は、異空間に迷い込んだような感覚におそわれた。

 午後三時半。まもなく部活動が始まる時刻である。廊下のところどころで、運動部が筋トレをしていたり、吹奏楽部がパート練習をしている。

 見慣れたはずの放課後の風景に、光は、金縛りにあったかのように動けずにいた。


 なんだろうこの感じ?


 うまくは説明できないが、大学とはあきらかに違う雰囲気――制服と汗の匂いと、心がざわつくような、不安定な粒子の流れを肌に感じた。

 突けばすぐ割れてしまいそうなほど膨らんだ風船の中に閉じ込められているみたいに。

 たった二か月前まで日常の大半をここで送っていたなんて信じられないほど、高校は謎めいた気配に満ちていた。

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