初夢―What's your first dream?【後編】
「まあまあ。大喜利じゃないんだから。オチにこだわらなくていいじゃない。最後は僕の番だね」
年下の彼女をたしなめて、田雲はさらりと話し出す。
「僕の初夢はシンプルだよ。富士山のふもとで焼きナスを食べた。空には鷹が飛んでいたな」
「嘘つき。まんま一富士二鷹三茄子じゃないか」
光が突っ込んだのも無理もない。初夢に出てくると縁起が良いとされるベスト3だ。
「嘘じゃないさ」と田雲は彼特有の爽やかな笑顔をふりまく。イケメンで人当たりが良い養護教諭は、女生徒のファンが絶えない。
「幸先良い一年が送れるよう、元日の夜はマインドコントロールしてから寝付くようにしているんだ」
「そこまで見たいか、富士と鷹となすを」
「いいじゃない、文句の付けようがない初夢だよ! いっそ実現しちゃお。富士山までドライブに行こうか」
ドン引きしている光のかたわらで、アカネの関心は初夢大喜利から富士山デートに移っていた。
すると田雲は、さっきのアカネや光と同じように視線を空にめぐらせる。
「ごめん。夢の内容を一部訂正するよ。富士山のふもとじゃなくて、鷹が僕を頂まで運んでくれたんだ」
「人を運ぶって。どれだけ巨大な鷹なのよ。先生ったら、メルヘンでかわいい」
結局、田雲にだけ採点が甘いアカネであった。
日向は失笑した後、鼻をぴくぴくさせる。どこからか焼き菓子の甘い香りが漂ってきたからだ。
この匂いはクレープ。参拝を終えた客を迎えるよう、帰り道に屋台が並んでいる。そこから運ばれてきたのだろう、なんと罪な香りか。
日向は急に空腹を感じた。新年早々あさましい胃袋にがっかりしていたところ、
「六花亭神宮茶屋店で、焼き餅が食べたい」
アカネがぽつりと呟いたのを聞いて、安心した。
浅ましいのは自分だけじゃなかった。大晦日に鐘の音で落としてもらったばかりなのに、煩悩は尽きない。
永遠に続くと錯覚しそうな待ち時間にも終わりがきて、順番がやってくる。
横に並ぶ光にならい、日向はぎこちなく二礼二拍した。隣でとなえる声。
「皆が無病息災で過ごせますように。運転免許が無事に取れますように」
そういえば、春休みに自動車学校に通うつもりと教えてくれたっけ。
一礼して参拝の列から離れると、日向と同じように光の願い事が耳に入ったらしいアカネが、弾んだ口調で親友を励ました。
「あたしでも一発合格できたから、光なら楽勝でしょ。パパに新車を買ってもらったし、今年はたくさん運転するぞ!」
*
当然のように売店も混み合っていたので、彼らは別行動をとることにした。
日向と田雲はお守りを購入しに売店へ、アカネと光は六花亭の神宮茶屋店で待つことに。甘味が苦手な光も、「温かいほうじ茶がセルフサービスで飲めるよ」というアカネの巧みな誘導で、素直に従った。
甘党の日向としてはカフェで待つほうが好ましかったが仕方ない。
人生には立場上あがいてもどうにもならないときがあるのだ。その際は黙って従うに限る。クレープにありつくのがますます遠のいたが、やむを得まい。
歯を食いしばって新たな行列に挑む。さあここから無駄な動きは一切したくない。
売り場で、水晶付きの「幸せ守」を手に取っている田雲に、日向は親切心で話しかけた。
「『交通安全』のお守りはいいんですか」
え、と田雲は黒い瞳を瞬かせる。
一拍遅れて、ダウンのポケットに忍ばせた便箋を取り出した。アカネと光に頼まれたお守りがメモ書きにしてある。
「交通安全守りは頼まれていないけど」
「いえ、先生が、です。野巻先輩に買わなくていいんですか」
「どうして」
「あ、勘違いでしたか。僕はてっきり、先生が――野巻先輩が事故に遭う初夢でも見たんじゃないかと」
今度こそ田雲は表情を失くしてしまった。
日向はその反応に逆に驚き、「すみません」と頭を下げて、会計に並ぶ列の最後尾につく。田雲はゆっくりとその後ろについた。
「いやぁ、日向くん。見惚れるほどキレイな後頭部だね」
「へ?」
「きっと頭蓋骨の形が良いんだろうな」
「は、はあ……」
「どうして僕がそんな初夢を見たと?」
つい受け答えしてしまった日向に、田雲はすかさず追及してくる。
軽はずみな発言を悔いていた日向は、重そうに唇を開ける。
「……先生、言ったじゃないですか。さっき僕らがしていたのは初夢披露じゃなくて、大喜利だって。
でも、すべてが嘘じゃなかったと思うんです。野巻先輩の豪華なお屋敷、光さんのボルダリング、前半までは本当に夢でみた内容だったんじゃないかな。後半はねつ造っぽいけど」
「オチがつくよう無理やりね。日向くんのゾンビは?」
「僕のは百パー真実ですよ。先生が、ありのままを話せばいい、って励ましてくれたから。なのに、先生はそうしなかった」
「一富士二鷹三茄子かい? めでたいだろ」
「嘘だと認めるんですね。僕が不思議だったのは、始まりから終わりまで嘘の物語を、先生が訂正したことです。鷹をカラスと間違えたなら致命的ですが、一見訂正してもしなくてもどうでもいいような箇所を」
富士山のふもと、じゃなくて、鷹に頂まで運んでもらったんだ、と。
「しかも、野巻先輩が夢を実現させようと先生をドライブに誘った後のタイミングでした」
「……わざとらしかったかな」
「野巻先輩は特に気にしていなかったようですけどね。僕は、細かいことが気になるタチだから。
で、気づきました。富士山のふもとまではドライブできますが、頂上まではマイカーで登れません。そもそも今日はおふたりで初詣がてらドライブする予定を、今朝先生が変更したんですよね。急に予定を変えるなんて、先生にしては珍しいなあと」
「うーん。僕も、らしくなかったと思う。無理があったな」
「参拝のとき、光さんと野巻先輩の会話を聞いてようやく理解しました。ドライブの運転手は、先生じゃなくて野巻先輩だったんですね」
そこで、田雲は降参といった風に小さく手を挙げて、くしゃりと笑った。
「僕は運転免許を持っていないからね。運転できない人間が、気をつけろ、って忠告しても説得力ないだろ? 免許取り立ててで新車も買ってもらってウキウキしているアカネちゃんに水を差すようなことをさ」
「……でも、放っておけなかった」
「当日の朝、事故に遭う初夢をみちゃったら、さすがにね」
売り場では、白衣に緋袴の女性が忙しく動いていた。
アルバイトだろうか、光とアカネと同じくらいの年頃にみえる。つたないながらも一生懸命、参拝客に対応している。日向は売り場に目をやったまま続ける。
「僕は、伝えたほうが良いと思います。占いで悪い結果が出たら、誰だって信じたくないですよね。けど、ただ目を背けるよりも、気をつけなさいってアドバイスと捉えたほうが救われません?
伝える相手によっては『うるさい』って煙たがれるかもしれないけど、田雲先生なら大丈夫です。それに、初夢で悪い夢をみたときは、他人に話しちゃった方がいいらしいですよ」
背後でくすくすと笑う声が響いた。田雲はいつもの彼の調子に戻って、
「別にこだわりがあったわけじゃないんだ。欲しいと思わなかっただけで。車が運転できなくても、普段の生活は不自由しなかったしね。地下鉄だってあるし。
だけど今、無性に取っておけばよかったと後悔している。僕にしては珍しいことだよ。――今からでも遅くはないよね……?」
「はい」日向は大きく頷いた。「先生ならきっと良いドライバーになれます」
本音である。冷静沈着な田雲は、無事故無違反を貫きそうだ。
むしろ心配なのは、気性が荒い光の方。
ありのままそう伝えたら、「運動音痴なお前のほうがよっぽど心配だよ!」と逆ギレされるだろうけど。
田雲は列から離れて、いったん売り場に戻る。
軽やかな足取りで戻ってきた彼の手には、交通安全守りが二つ握られていた。
むろんアカネと、彼の分である。
新しい年に、新しい夢を――。
【Have a good dream!!】
おそまつさまでした。
会話劇だけで終わるはずが長くなってしまいました。田雲が運転免許を持っていないことについて、過去にエピソードに矛盾がないか一応チェックしてみました。物語を読んでいただいた皆様が良い一年を過ごせますように。
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