初夢―What's your first dream?【前編】
「やっぱり振袖着たかったなあ」
野巻アカネが羨ましそうに言った。
十メートル先にいる振袖姿の参拝客を眺めて、である。
「そうか?」
口元が隠れるほどマフラーを厳重に巻いた雷宮光は、左右の指先をすり合わせている。
「私は、振袖なんて着て来ないでよかった、と心から思っているところだ」
正月二日の北海道神宮はおそろしく混んでいた。
例年参拝客は七十万人を優に超えるという。さすが札幌市民の約半数が訪れるといわれているだけある。
混乱をきたさないよう、本殿までに『停止線』が二本も引かれている。警察官の誘導で、いっせいに移動するシステムだ。その速度は亀の歩みで、参拝する時間よりも並んでいる時間のほうがずっと長い。
「でも、振袖って可愛いじゃん。ねえ、先生」
アカネが甘えた声を出す。先生、と呼ばれた黒縁メガネが似合う温和そうな男は、田雲政宗。
高校在学中の片想いが成就して、卒業後に彼と交際するに至ったアカネは、一緒にいるだけで幸せでたまらないといった表情だ。
「また別の機会にじっくり見せてもらうよ。日向くん、急に誘って悪かったね」
と田雲は、真後ろに並ぶ少年・水無月日向に詫びた。
男子高校生、その高校の養護教諭、女子大生二名。
肩書だけ並べると奇妙なグループだが、彼らはいわゆるダブルデート中で、本日の目的は初詣。
経緯はこうである。
田雲とアカネがドライブがてら近所の神社を参拝するつもりだった予定を、「せっかくだから今年は神宮で」と急きょ田雲が提案し、「だったら今年受験生になる水無月君も呼ぼう」とアカネが親友の光に連絡をとった。
正月三が日、北海道神宮の駐車場が激混みなのは容易に予想できたので、四人そろって地下鉄に揺られて来た。
円山公園駅まではまだ良かった。しかし、神宮が近づくにつれ、神通力に引き寄せられるよう人の流れが一方向に定まり、参道に辿りつく頃には今の有り様だった。
「いえ、とくに予定もなかったですし」
日向は正直に答える。
人ごみは苦手だ。が、家にいたところで、みかんと餅をお供にゴロゴロして正月の特番を眺めていただけに違いない。
年末年始はなんとなく遠慮して連絡を取っておらず、光と会う約束もなかったのだが、偶然でも会えたのは嬉しい。
不思議なことに、新年明けて再会した光は新鮮に映った。
冬空から粉雪が舞っている。雲間から気まぐれにのぞく陽で、ダイヤモンドダストになって輝いている。彼女の背景まで美しく感じた。
「本殿までたどり着くにはまだ時間がかかりそうだな」
日向の感慨をよそに、ニューイヤー光はうんざりした様子である。寒がりなうえ、行列に並ぶのが嫌いなのだ。
「そうだ。暇つぶしに、初夢を披露しない?」
田雲の腕を取ったアカネは身体ごと後ろに向いた。
初夢。正月元日か二日にみる夢で、その内容で一年の吉凶を占う風習がある。
でも、良い夢だった場合、他人に話しちゃダメなんじゃ?
日向はそんなジンクスを思い出すが、大して信心深い方でもないので黙っておく。彼の座右の銘は、「逆らわないのが身のため」もしくは「長い物には巻かれろ」で、ここ数年変わっていない。
「トップバッターは、あたしね。どこかの外国のね、立派なお屋敷にいる夢をみたの。鏡に囲まれた部屋にあたしは居て」
宮の森の高級住宅街に住む社長令嬢が語りだした。
彼女が立派というからには、贅沢な造りの屋敷なのだろう。アカネは、赤フレームメガネの奥の視線を頭上にめぐらせた。
「突然ね、鏡のなかから魔法使いのおじいさんが現れたの。
ひとつだけ望みを叶えてあげるって言われたから、あたしはこうお願いしたわけ。『世界一の美女にしてください!』って。おじいさんは『しかと承った』って魔法をかけた。でも、鏡で自分の顔をみてガッカリしちゃった。だって、魔法をかけられる前とひとつも変わってないんだもの」
「わかったぞ」光が低い声で制した。「『なぜなら、私はすでに世界一の美女だったから!』っていうオチだろ。正解だったら先は聞きたくないぞ」
親友だけあってツッコミに容赦がない。しかしアカネは動じずに、ぶぅ、と意地悪な効果音を発して、
「ちがいまーす! 最後までちゃんと聞いてよ。
街に出たあたしは驚いたの。だって、あたし以外の女性がみーんな、あたしよりちょっぴり不細工になっていたのよ!! 魔法にかかったのはあたし以外の女性だったってわけ!」
どうだ、といわんばかりにアカネ。
後半は作り話だろうが、予想外にシュールなオチで、日向は唸ってしまった。間を置かず、「お次は光ね」とアカネ。
「あたしに文句をつけたんだから、さぞ秀逸な夢なんでしょうね」
「勝手にハードルを上げるな。ええと、ボルダリングに挑戦する夢だった」
「東京オリンピックの正式種目になった競技だね」
田雲が注釈をくわえて、壁を這うような手つきをする。ウォールクライミングを意識した動きだ。
光は、さっきのアカネと同じように頭上に視線を走らせる。
「実際にやったことはないけど、挑戦したいって前々から思っていたからかな。意外と上手くできて、どんどん昇っていくんだ。気づいたら雲の上にいた」
「え……」
「そこに巨人の城があるんだ。巨人は金の卵を産む鶏を飼っていて、卵をいくつか拝借した私はスーパーに持っていった。卵が高値で売れてな。これが本当の」
「光さんそれ」
ジャックと豆の木ですよね、と日向が指摘するよりも早くアカネが叫んだ。
「わかったよ! これが本当の『ヨー〇卵・光』でしょ! そういうオチなんでしょ!」
「まさか、そんな陳腐な」
苦笑する日向の横で、光が頭を抱えた。
「なぜわかった……!?」
「わかるわ! はっきりいうけど全然面白くないからね! 真顔のままよく語ったわ!!」
はい次水無月くん、と乱暴に引き継がれる。キツイ。この後は色々な意味でキツイ。
「僕の夢も全然面白くないですよ。たぶん、光さん以上に」
「いいよ、そんなに期待していないから。ちなみにさっきから、自分の彼女ディスってるの気づいてる?」
ヨー○卵・光にも恨みがましい目を向けられ、もう日向の視線は泳ぎっぱなしだ。田雲に「ありのまま話せばいいんだよ」と勇気づけられ、ようやく口を開く。
「ある朝、目覚めた僕は制服を着て、学校に行くんです。でも、教室には誰もいなくて。教室だけでなく校内中、誰もいなくて」
「はいはい、『今日は学校はお休みでした』ってオチ?」
いちいち茶々を入れるアカネ。普段は心優しく愉快な彼女だが、調子に乗るとSのスイッチが入る。
「夢のなかの僕もそう考えて帰ろうとしたんです。でも、学校から出られなくて」
「閉じ込められたの?」
「生徒玄関にゾンビの群れがいたんです」
「っ、そう来たか! ゾンビとは、どこかで聞いたような話だけども」
「僕は必死に逃げました。けど、逃げる先々にもゾンビが無限に出てきて……そうこうしているうちに逃げ場を失って、ゾンビの大群に追い詰められてしまったんです」
不吉でハードな初夢だった。
日向は、整った顔を恐怖でゆがませる。思い出すだけで不快だったのだ。彼の迫力に押されて、アカネは少したじろいでいる。
「で、どうなったの?」
「はい……体力の限界で動けなくなった僕に、ゾンビのリーダーみたいな奴がひとり近づいてきて、教えてくれたんです」
「なにを?」
日向は唾を呑み込んで言った。
「『今日学校休みだよ』って」
「っ、結局そのオチかぁぁい! 久しぶりに聞いたよ、そんな山なし意味なしオチなしな話!」