A-4 アクションを減らせ!
「来客用って決めているならいいんじゃない? そこまで厳しく取り締まらなくても」
食器棚の話を聞いた森は、ころころと笑ってティーカップの紅茶を啜った。
陽太が意外にもすんなり収納のコツを会得したので、レクチャーは終了し、早めのティータイムになった。森がお土産でくれたシフォンケーキをいただく。
「二週連続でシフォンケーキ」
日向がうきうきした様子で、人数分のケーキ皿とスプーンを用意する。
食べることに関しては手際の良い彼である。とはいえ森が買ってきたのは、カナの手作りケーキとは悔しいけれど比べものにならない。
美唄産の米粉を使った『お米のシフォンケーキ』。
きめ細かな生地にもちもちした食感といい、遠方から買い求める客が絶えないほどの絶品だ。素朴で飽きがこない味なので、あっという間に一切れ食べてしまう。
「二週連続で来てくれたのに、おばさんが留守でごめんなさい」
カナが頭を下げる必要はないが、依頼した本人がいないのを申し訳なく感じた。
デパートに勤務している都合、おばさんは土日出勤が多い。普段は週末家にいるおじさんも、新年度予算作成のため休日返上で働いている。
「いいのいいの。私も平日はパートがあるから土日しか空いていないんだ。明日香さんにランチを奢ってもらう約束をしているしね。――初めてお邪魔したけど、素敵なおうちだわ」
リビングに移動してシフォンケーキを頬張っている兄弟を見やり、森は言う。
気さくに振る舞っているが、実は、繊細な神経の持ち主ではないか。
目の前にいる母親ほどの年齢の女性について、カナはそう推察してみる。大雑把でさっぱりした性格の明日香とは、かえって気が合うのかもしれない。
「ブログ拝見しましたよ。森さんのおうちこそ素敵です」
アドレスを教えてもらったその日の夜に、カナはさっそく『“シンプルライフ”な暮らし』にアクセスしてみた。
けっして広くない賃貸の住居で、各所に工夫がこらされた収納が紹介されており、森の丁寧で洗練された暮らしぶりが伝わってきた。特にキッチン収納のひとつひとつを画像付きで解説した記事はマニアックで、ツボった。暇があれば過去の記事をさかのぼって読んでいる。
「よかったら今度遊びにきてよ。日向くんと一緒にね」
含むような言い方をして、口元に弧を描く森。ああ……。カナはリビングにいる幼馴染を気づかい、声を低める。
「あの、日向くんには彼女がいますよ。大学生の」
「えっ、そうなの!? ごめんなさい、てっきりカナちゃんがそうなんだと」
「誤解されるのは慣れてるんで大丈夫です。彼女が高校卒業する前から付き合っているんですよ」
「はぁあ。お母さんとお父さんも学生時代から交際して結婚に至ったものね。遺伝だわ~。同じ部署にいたとき、明日香さんは妊娠中で退職間近でね。そりゃあ幸せそうだった」
当時を懐かしむように目を細める森。
虚空に向けていた視線を下ろして、しみじみとつぶやく。
「日向くんにも年上の彼女がいるとはねえ」
「……」
ちゃっかり会話を聞いていたらしい日向が、気まずそうにリビングを去っていった。この件について追及するのは勘弁して、という意思表示だろう。
ごめんね、日向くん。
猫背ぎみの後ろ姿が見えなくなったタイミングで、カナは切り出す。
「先週森さんが帰った後、日向くんったら大量にタッパーを買い込んできて。夜中まで片付けしたんですよ」
興味が涌きさえすれば、集中力を発揮できるのが日向の特徴だ。
森のレクチャーで「何かを掴んだ」らしい彼は、素晴らしい行動力で机の引き出しを整頓した。が――
「タッパー収納、上手くいかなかった?」
なんともうバレている。エスパーか魔法使いか。
「物を取り出すまではいいんですけど、元に戻せないんです。タッパーの蓋を閉めるのが面倒くさいみたいで」
「なるほど。蓋があると、どうしても2アクションになるからね」
「2アクション?」
「蓋を開ける+モノを取り出す。もしくは、モノをしまう+蓋を閉める。
蓋は取っちゃっていいよ。ズボラな人は、取り出すのに必要なアクションをできるだけ減らした方がいいの」
「せっかくラベリングしたのに勿体ないなぁ……」
「人によって適した収納も変わるのよ」
カナは唇を噛む。私なら「2アクション」くらい難なくこなせるのに。
でも、それじゃダメなのだ。日向がキレイをキープできる収納じゃないと意味がないのだから。
森のカップが残り少なくなっているのに気づき、紅茶を淹れ直す。
一杯目はアッサムのミルクティーだったので、二杯目はダージリンのストレートティーにする。午後のキッチンに茶葉の豊かな香りが昇ってゆく。
紅茶を注いで心を落ち着けてから、カナは口を開く。
「私――進学してバイトでお金を稼げるようになったら、『整理収納アドバイザー』の資格を取ろうと思っています」
本気の夢を語るのは、好きな人に告白するのと同じくらいに緊張する。
今まで誰にも打ち明けたことはなかった。けど、打ち明けるなら森しかいないと思った。
整理収納アドバイザー。
片付かない原因や問題点を個々に見つけ出し根本的に解決する。いわば、片付けのプロフェッショナルだ。
日本ハウスキーピング協会が認定する資格で、一級を取得すれば仕事として生かせるようになる。断捨離という言葉が広まって久しいが、片付けブームはいまだに続いており、整理収納アドバイザーのニーズは今後も高まっていくだろう。
「素敵。いいじゃない!」
象のような優しい瞳を見開き、森はカナの小さな手を包んだ。
「まだ高校生なのに、具体的な夢を持っているなんて感心ねぇ」
そこまで褒められると思っていなかったカナは赤面しつつも、ティーカップのふちを指でなぞる。
「単純な動機ですけど、自分が得意なことで人の役に立てるのは嬉しいし……森さんがやっているのを実際に見ていいなぁって」
「私、資格は持っていないのよ」
「そうなんですか……でも」
なるべく難しい言葉は使わずに、日向と陽太のレベルに合わせた説明を心がけていた。
整理収納アドバイザーの働きを間近で見たことはないが、まさに彼女のような人材がふさわしいのではないか。
森はボブカットの毛先を揺らして、ゆっくりとかぶりを振った。
「私は、身近な人の役に立てれば十分なの。もういい歳だし」
かちゃり、と乾いた音がしてリビングの扉が開いた。
両手いっぱいに漫画を抱えた日向が戻ってきた。カップをソーサーに置いた森が、すっと席を立つ。
「お手洗い借りるわね。年のせいか、トイレが近くなっちゃって」
「あ、はい。場所わかりますか」
「ええ、大丈夫」
ちょうちょ結びにしたエプロンの紐が揺れた。
日向と入れ替わりに森がいなくなると、ゲームに夢中になっていた陽太がのそのそとキッチンに寄ってきた。
「ケーキある?」
「まだ食べるの? あんた、本当によく食べるようになったね。残りはおじさんとおばさんの分だよ」
「えー」
陽太は不満げに頬を膨らませて、
「そういや、ストーカーからまた連絡あった?」
「……ストーカーじゃないっつうの」
「じゃあ、何?」
なにも知らないくせに。
腕に絡みついてくる陽太をはがして、カナはスマホの通知を確認した。今日は楓からの連絡はない。
私は、楓くんとどうなりたいんだろう?
カナは数年後の未来を想像してみる。
楓には役者になるという目標がある。全く方向性が違う未来で、自分は彼の隣にいられるだろうか。「ずっと一緒にいたいか」と問われたら、今のところ迷いなくイエスと答えられる自信はない。
アンバランスな感情を持てあまし、ふらふらとした足取りでホールに出る。
こういうときカナは無性に掃除をしたくなる。
床や窓を磨いていると、汚れやくもりが消えると同時に心も晴れる気がした。掃除は、ざらついた心を滑らかに落ち着かせてくれる。
昨日、書斎を掃除したときハンディモップを置いたままにしてきたことを思い出した。
日当たりが良いリビングはぬくぬくして暖かいけど、今は廊下の冷気が心地良い。森が戻ってくるまでに、モップを取ってこよう。
階段の踊り場まで上がったところで、カナは立ち止まった。
「あ……」
階上のホールに、森がいたからだ。
飛び出しそうになった悲鳴を喉の奥にのみこんだ。
どうして二階に――?
森は氷像のように身じろぎせず、立ち尽くしている。
無言の見つめ合いが続き、カナの口から出てきたのは、
「一階にもトイレはありますよ」
と間の抜けた台詞だった。
「そうよねえ。広い家だから、迷ってしまって」
ぎこちなく笑って、森のおばちゃんはエプロンのポケットの辺りを撫でた。
気のせいだろうか。目が合った瞬間、「しまった」という表情をしたのは。
さらにカナの心がざわついたのは、彼女が、部屋から出てきたように見えたからだった。
それは、おじさんとおばさんの寝室だった。