A-3 押入れから雪崩タイプ
カナの書棚には雑誌が多い。
毎月購読しているファッション誌、気まぐれに欲しくなる料理本、好きなアイドルのエッセイ。そういったラインナップが本棚代わりのカラーボックスを占めている。
森のおばちゃんに感化されたカナは、収納を見直していた。
こまめに整理しているから見苦しくはないけど、まだ改善する余地はありそうだ。トレーナーの袖をまくって意気込んでいると、一冊のコミックスが目についた。
いけない……。返すのを忘れてた。
楓に借りた少年漫画の新刊。
コミックスはお気に入りの作品が連載終了後、全巻揃えて、好きなときに読み返すタイプのカナだが、長期連載のクライマックスが近いこの作品だけは、日向に週刊誌を借りて最新話を追っていた。読み逃した週があって悔しい、という話を楓にしたら「単行本持ってるよ」と貸してくれたのである。いずれ買う予定だったが、続きが気になっていたのでありがたく借りた。
返すのはいつでもいい、と言ってくれたけど、借りた方はそうもいかない。手元にある限り気になる。
今度会ったときに必ず返そう。忘れないよう書店のビニール袋に入れておく。次、いつ会えるか。楓に連絡をしようか迷って、とりあえずスマホを起動させると、日向からメッセージが届いていた。
『森のおばちゃんが来てるよ。すぎうらベーカリーのシフォンケーキもあるよ』
「……行く!」
コートをひっかけて、ブーツに足をつっこんだところで、玄関の姿見に映る自分をはたと見つめた。
トレーナーに、毛玉ができている。
部屋着用にヘビーローテーションで着倒していたので、少々くたびれてきたらしい。
森のトレンチコートとエプロンは、ぴしっとアイロンがかかって皺ひとつなかった。
少し迷ったが、いったん部屋に戻って着替える。
肩に付いたフリルが可愛くて、一目惚れして買ったものの、背が低い自分にハイネックは似合わない気がしてタンスの肥やしになっていたセーター。その代わり、毛玉もなく新品同様だ。着てみるとやっぱり似合わない気がするけど仕方ない。
冷たい風がイチョウの葉を運んできた。カナは息を弾ませて水無月家の門扉をくぐる。
鍵が開いていたのでチャイムは鳴らさない。どうせ作業中だろう。
ローヒールのパンプスが三和土に揃えてあった。光沢を放っていて、よく磨かれているのがわかる。
自然と胸が高まった。コートを脱ぎ、階段を駆け上がったところで、再会を待ちかねていた人物と鉢合わせした。
「あらっ、カナちゃん。こんにちは」
「こんにちは……」
「お手洗いを借りようと思ってね」
若草色のタートルネックに、前回と同じクマさんのエプロン。
レースハンカチをポケットにしまうと、森はにっこりとカナに笑いかける。
「そのセーター、可愛い。よく似合ってる」
「でも、私、首が短いから。ハイネックが似合わないんです」
「そんなことない。首回りがすっきりしたデザインだから気にならないわ」
予想外の意見をもらい、頬がほんのり熱くなった。見る人が見ると違うものである。普段からもっと着よう、とカナは思った。
先週に引き続き、子ども部屋の整理整頓である。本日のターゲットは陽太。
日向の部屋とほぼ同じ造りで、六畳の洋室に勉強机とベッド、そしてカナの背丈ほどのチェストがある。
そのチェストをめぐって、兄弟は対立していた。
森のレクチャーを受けて整頓に目覚めたらしい日向が、はちきれんばかりにタオルが詰まった一段を指す。
「タオル、枚数多すぎだろ。引き出すたびにつっかえて危ないから減らしたほうがいい」
「減らす必要はねえよ。将来的には全て使うんだから」
一見散らかっていないが、陽太の場合、見えない箇所に問題がある。
古典的な表現をするなら、押入れを開けるとなだれが起こるタイプだ。「まあまあ」と森があいだに入って、
「陽太くんは、運動部に入っているんだっけ」
「空手の道場に通ってる。中学に入ったら、サッカー部に入る予定だよ」
「じゃあ、スポーツタオルはいくらあっても足りないわね。でも、詰め込みすぎっていう日向くんの意見は正しいから、三分の一くらい別の場所に移そうか」
「ほら、捨てなくてもよかったろ」
得意げに胸を張った陽太に、森が付け加える。
「忘れずに使ってあげてね。使わないのは勿体ないからね」
使わないのは勿体ない? あまり聞き慣れない文句である。使うのが勿体ない、はよく聞くけど。
カナと同じくピンときていない様子の陽太に、森は、オレンジ系のチークがのった頬に手をやって説明する。
「想像してみて。中学生になった陽太くんがエースとして、レギュラーに選ばれたとする」
「実際狙ってるけどね。兄ちゃんと違って運動神経いいし」
「うるさいなあ」運動音痴な日向が弟をじろりと睨む。
「じゃあ、せっかく選ばれたのに一度も試合に出れないとしたら?」
森の質問に陽太がぽかんと口を開ける。
「例えばの話よ。エースナンバーのユニフォームを着て、ベンチにずっと座っているのは寂しいよね」
「……」
「チェストの中で出番を待っているタオルも同じ。陽太くんの役に立つためこの家にやって来たのに、使われずにしまい込まれたままだったら悲しいでしょう?」
二重の瞳をぱちくりさせて、しばらく変な顔をしていたが、やがて理解した合図に小刻みに頷く陽太。
この頃やけに大人っぽい仕草をするようになった。赤ちゃんのときから彼を知っているカナは妙に感慨深くなる。
使うのが勿体ないのではなく、使わないのが勿体ない。
心のメモ帳に記しておく。
カナの家の食器棚にも、「普段の食卓には勿体ないから」と母が出し惜しみ、高級ブランドの皿が何枚も眠っている。悔い改めさせよう。