1-6 宇宙人がいないとは限らない【解決編】
教壇に立つ日向は、不安と不機嫌の中間みたいな表情をしている。
空き教室の窓からオレンジ色の夕陽が射し込み、つややかな黒髪を茶に透かした。
「あらかじめ断っておきますけど。面白い話じゃないですよ?」
念を押すように日向が言った。
最前列の中央に座る光は、視線だけで先を促す。小さく息を漏らしてから、日向は話し出す。
「とにかく不思議なことだらけでした。
京島さんが中園さんを攻撃して昏倒させた。さらに、京島さんが誰かに攻撃されて昏倒した。あの場には、二人だけじゃない。〈三人目〉がいたとしか考えられないのに――彼らはその存在を否定しているんです」
人差し指を唇にやって、顔をすこし傾ける。
「でも、彼らにとって〈三人目〉がどういう存在なのか。それは何となく理解できました。雷宮先輩とのやりとりを聞いて」
頬杖をついた光が、ひらりと片手を上げる。
「奴らは、その誰かとやらをかばっているんだろう。でなければ隠す必要がない」
「はい。京島さんと中園さんにとって、〈三人目〉はかばうべき存在である。そもそも彼らはあの場で何をやっていたのか」
「なにって。ケンカ、でしょ」
光の隣に座るアカネが、当然のことのように答える。日向はあいまいに頷いて、
「今回の場合、単純に“ケンカ”だとしっくりこないんです。ケンカっていうのは、こう、もっと険悪なムードで、対立している者同士がするものだと思うんですよね。なのに、中園さんの『自分たちでけじめをつけたい』という言葉。すごい違和感でした。自分たちとは、中園さんと京島さんのことでしょうが、険悪な二人がケンカ直後に連帯しているなんて、ちょっと考えづらい」
「ケンカじゃないなら、何だったというんだ」もどかしげに光。
「ええと、どう表現したらいいのか……衝動的に行われたことじゃなく、お互い同意の上でされたことだったんじゃないかと」
「決闘か?」
「あっ、そうです、決闘!」
それだ、とばかりに日向が指さしして、目を輝かせた。
「だとしたら、彼らの様子にも納得できるんです。あらかじめ勝敗をつけることを前提にして戦ったから、後腐れなく済んだのかと。決闘ならば、彼らがかばう〈三人目〉も最初からあの場にいたと考えるのが自然です。階段下には三名が存在していたんです」
「ちょい待ち」授業中のようにアカネが手を挙げて、「決闘って。不良マンガじゃあるまいし、正直どうなのって思うけど。いったい何を巡って闘ったわけ?」
「そこまでは分かりません。もしかすると、三人目は審判のような役割だったのかもしれませんね」
「立会人か」
「雷宮先輩は難しい言葉を知ってますよね」
「普通だぞ」
日向は感心したように光をたたえて、ごほんと咳ばらいする。
「実は、違う説もあるのですが」
「違う説?」
「聞きます?」
日向は端正な顔立ちをいっそう引き締めた。かたちの良い唇を開く。
「超能力を持った宇宙人が介入した説です。犯人は宇宙人だったんです」
「えっ……」
絶句したのは光とアカネだけじゃない。
後方で台本読みをしていた演劇部員たちも――聞き耳を立てていたのだろう――日向の宇宙人発言に振り返った。
「いや、水無月くん。なぜそこで宇宙人が出てくるんだ」
額にかかる前髪をはらい、押し殺した声で光が訊ねる。
冗談であってくれ、という願いをこめて。しかし、その願いもむなしく、日向はバカがつくほど大マジメな顔で続ける。
「圧倒的な能力を持つ宇宙人が現れ、中園さんと京島さんを超能力で攻撃し、記憶を改ざんした。そう考えるのが一番簡単でつじつまの合う説です。宇宙人の能力は未知数ですし、彼らの目的は僕らには到底理解できない高次元のものでしょう。考えるだけ無駄です」
でも、と汗ばんだ額をぬぐって、
「いくら状況が不可解だからって、無闇に彼らのせいにするのは失礼ですし、この説はいったん却下しました」
「当たり前だろ。大体宇宙人なんているわけがない」
「お言葉ですけど!」
ばんっと教卓を力強くたたき、頬を紅潮させて反論する日向。
「宇宙には地球のような星が数えきれないほど存在するんですよ。生命が誕生したのは地球だけだと考える方がよっぽど無理があると思いませんか!?」
瞳は陶然として、興奮のため潤んでさえいる。美少年はとんだ宇宙マニアだった。
すっかり意表をつかれたアカネが口をあんぐりと開けている。演劇部員たちも、ひそひそと何事かを囁き交わしている。
「いいや――あり得ることかもしれない」
「え、光……?」
アカネが光を見やる。光はなぜか慈悲深い目をしている。
「宇宙は様々な可能性に満ちているからな。宇宙人が地球を訪れることだってあるだろう」
「ですよねっ! 雷宮先輩さすがです」
はは、とドライな笑いを漏らす光。
この短期間で、日向の扱い方を覚えたらしい。だてに追い回してはいないようだ。
認めてくれた嬉しさに頬を上気させる彼に、「話の続きを頼む」と促すことも忘れない。
若干気分が良くなったのか、日向は今までの沈んだ声とは違い、軽やかに話し出す。
「階段下には最初三人が存在していた、まで話しましたね。――そして、決闘が行われた。中園さんが京島さんに攻撃され、京島さんは三人目に攻撃されて昏倒した。問題はその後です。〈三人目〉はどこに消えてしまったのか。これが難問でした」
光とアカネは、うんうん、と頷き合う。ようやく核心に近づいてきたようだ。
「ここから先は、僕らの視点に戻ります。悲鳴が聞こえて間もなく、階下には雷宮先輩と僕が、階上には演劇部の皆さんが駆けつけた。
〈三人目〉が一階に逃げたとしたら、廊下にいた雷宮先輩と僕が目撃したはず。ちなみに、特別棟の教室は鍵がかかっているから逃げ込めない。二階へ逃げたとしたら、階段横の教室にいた演劇部の皆さんが目撃したでしょう。三階の空き教室にいた吹奏楽部員も、不審な人物は見かけなかったと証言している」
思考するときのくせなのだろう。人差し指を唇に押し付ける仕草を繰り返している。
「どこにも逃げ場はなかったはずなのに、まるで透明人間のように消え失せてしまった。そんなことがあり得るんでしょうか。考えても考えてもわからず、やっぱり宇宙人のせいにしようと諦めかけました」
「水無月くん、宇宙人はいったん置いておこうよ」
「あきらめないで!」
芝居がかった口調で野次が飛ばされる。
はい、と日向は大袈裟に頷いた。
「皆さんの協力のおかげで、どうにか諦めずにすみました。わかってみれば、とても単純なことで、〈三人目〉にとってこれは全く偶然の結果だったんです。僕も、演劇部の皆さんと会わなければ、絶対にわからなかった」
日向はついっと視線を上げて、舞台衣装をまとった演劇部員たちを見回す。
「想像も含みますが、たぶんこういうことだったと思います。京島さんを攻撃した〈三人目〉が真っ先に考えたのは、現場から逃げることでした。一階の廊下側から、騒ぎを聞きつけてやってきた雷宮先輩と僕の足音に気づいたからです。消去法で上の階に逃げるしかない。でも、二階には騒ぎにざわめく演劇部員らが、三階からはフルートの音色が聞こえる。板ばさみ状態です。このままでは、誰かに遭遇するのは時間の問題だ、と〈三人目〉は覚悟したのでしょう」
一呼吸置かれる。
「そこで、ただ――顔を隠すことを目的として、手元にあった防具の面を被ったんです」
「顔を隠すために……面を……?」
呆然とアカネがもらす。日向は続ける。
「二階まで上がったところで、演劇部の皆さんが近づいてきたので、発見されることを覚悟で、強行突破をしたんです」
「強行突破って?」
一斉に顔をしかめたアカネと演劇部員らに、日向は微かに笑った。
「ここが今回の事件のポイントなんです。〈三人目〉にとっては強行突破のつもりが、どういうわけかスルーされてしまった。なぜなら――皆さんは〈三人目〉を、演劇部のメンバーのひとり、と思い込んでしまっていたからです」
四人の部員たちは、呆気にとられた表情でお互いを見つめ合っている。
妖精が飛び回るような沈黙の後、アカネがぽつりと言う。
「もしかしてそれが、皆が見かけたっていう、“ユイ”だったってこと……?」
ジャージ姿の少女、ソフトボールのユニフォーム姿の少女、制服姿の少女。
最後に、道着姿の少女――ユイに皆の視線が集まった。
「はい。皆さんが目撃した“ユイ”さんが、〈三人目〉だったわけです。
ただ正体を隠したかっただけで、透明人間になるつもりはなかったのでしょう。本物のユイさんが教室に残っていたのは、〈三人目〉にとって幸運でした。本人と鉢合わせしたらさすがにバレていたでしょうしね。見破られても全然おかしくない状況だったのに、運よく切り抜けてしまった」
面をかぶった人物が、演劇部員たちから離れた後、そそくさと特別棟を後にした。
そんなシーンを、この場にいる誰もが想像したに違いない。
「な、なんてこと……たまたま演劇部が衣装合わせをしていたせいで、犯人を見逃すとは……」
よほど悔しかったのか、アカネが憎々しげにめく。
意図的ではなかったにしろ、部員たちに紛れ込んだ〈三人目〉に腹を立てているのだろう。
「でもさ。ユイは剣道部の部長の役どころだから、道着姿に防具を付けていたけど。犯人はどうなのよ。たまたま道着を身に付けていて、防具と竹刀を持っていたってこと?」
「本当に道着姿だったのか」
黙りこくっていた光が言う。
「そりゃそうでしょ! 道着以外の服装で面を被ってたら、違和感ハンパないし! いくらアタシたちでも気づくってば」
「多分それは……」
日向は少しだけ声を落とす。
「その人物にとって、放課後のあの時間に道着姿で防具を持ち歩いていることが、日常だったからじゃないかと」
「放課後に道着姿って、剣道部くらいしか……」
「今、思い出したんですけど!」
アカネの声にかぶさるように、ユニフォーム姿のブッチが興奮したようすで報告する。
「私たちと身長も体格もあまり変わらなかった気がするんです。女子ですよ、きっと。つまり女子剣道部」
かたり、と椅子が引かれる音が響いた。
光がすっと立ち上がり、扉の取っ手に手をかけた。
「雷宮先輩、待ってください!」
今にも教室を飛び出していきそうな元女子剣道部部長を、日向が呼び止める。
光は半身だけ振り返る。猫のような双眸が暗い光を帯びている。
「僕の推理には何の根拠もありません、すべて憶測ですよ」
「わかってる。でも――私には十分だ」
自嘲ぎみにつぶやくと、スカートをひるがえして走っていった。遠ざかっていく足音。
日向はわしわしと頭を掻いた。
「だから、面白い話じゃない、って言ったのにな」




