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階段下は××する場所である  作者: 羽野ゆず
うだるような夏のスクエア―"What am I to you?"
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S2-8 夏の通り過ぎるもの【前編】

 最悪だ。

 改札を出る前に気づいてラッキーじゃないか、と慰めてくれた光に席を譲り、日向は首を垂れていた。進んだ道を引き返すほど空しいことはない。申し訳ない気持ちでいっぱいだった。

 光は膝に手を置いて、高速で過ぎゆく地下トンネルを眺めている。


「そういえば、玉突き事故」

「はい?」

「スクエアの前に起こった事故だよ。長月が『先頭の車がちんたら走ってるから』って口走ったのが、赤井の動機になったっていう」

「あれはアドリブです。僕は赤井さんの過去なんて知りません」

「わかるさ。奴を庇うための方便ほうべんだろ。即興でよく思いついたな」


 方便、という言葉に、日向は顔をしかめる。


「長月さんの態度から何かある、と勘ぐっただけで……。赤井さんを騙して連れてきたくせに、最後に悪者扱いするなんて酷いな、と」


 しらばっくれようとした長月は、如月に促され、自身の苦い経験を語った。古傷を暴くような真似をしたのは悪かったと思うが後悔はしていない。

 如月が発見した“雪男”。

 三郎がスクエアを抜けるタイミングで置いたのか、それとも長月がやったのか。どちらかは定かでないが、赤井に罪をなすりつけたのはあんまりだ。スクエアを抜けたのが日向だったら、日向のせいにされていたかもしれない。

 さらに、“ヌイグルミ”を目にしたときの、長月の驚きの形相ぎょうそう

 三郎がいないと判った際も本気で焦っているようにみえた。演劇サークル顔負けの演技力だった。野巻アカネが知ったら、オカルト研にいるの勿体ないよ、とスカウトに来るんじゃないか。


「――もし、演技じゃなかったら?」


 気まぐれに唱えて、日向は天井を仰ぐ。

 刹那、ぞくっとするような武者震いに襲われた。降ってきたのが雨じゃなくて、ひょうだったような意外性。ここは地下鉄の車両で、見上げたところで空調設備と照明しかないのだが。

 突っ立ったまま顔色を変える日向を、光は不思議そうに見上げている。


 長月の反応が偽物じゃなくて本物だったとしたらどうなる?

 

『ヌイグルミも霊のしわざだと? あり得ない。スクエアは妨害されたんだよ』


 数時間前の出来事が脳内で再生される。長月は怒っていた。そうだろう。あんなものが置いてあったら、誰かが小細工をしたと明言しているようなもの。人為的な気配を感じずにはいられない。

 三郎が姿を消していたのも、やはりおかしい。侵入者を防ぐための見張り役が消えていたら、儀式の信憑性を損なう。むしろ、不正なスクエアを企てたからこそ、ラストあの場に三郎がいないとダメなのだ。如月アスミのためのスクエアが台無しではないか。なのにどうして……


「うひゃあ!」


 変な悲鳴をあげてしまった。

 ズボンのポケットを探られたからだ。ポケット内を散々まさぐった光は、「なんだこれか」と花輪をつまみ出す。ハワイアンサークルのかき氷屋でもらったオマケ。真夏とはいえ、これほど陽気めいたものを首にずっと提げているわけにもいかず、ポケットにつっこんでおいたのだ。


「下半身が変な膨らみ方をしているなあと思ったら」

「どこを見てるんですか!」

「だって、好きな人の身体が目の前にあるんだもん。見ちゃうよ」


 どうしてこんなに恥ずかしいことを堂々と言えるんだろう。

 視線が上半身に移ってなおも見つめ続けられる。日向はこそばゆくなってしまい、まとまりかけていた思考も散り散りになってしまった。

 

「光さん、変態ですね」

「否定はしない」


 花飾りを小さくまとめてトートバックにしまうと、光はいたずらっぽく笑った。

 その仕草が小悪魔的で、むっとしていたはずなのに日向はドキドキしてしまう。理不尽な魔法をかけられたみたいに。

 体に自信があれば、「もっと見ろよ」とでも返し、堂々としていられたのだろうか。やっぱりジムで鍛えようか。……いやいや。

 馬鹿みたいだ、と今さら思う。光の一挙一動にこんなにも翻弄ほんろうされて。


「あっ」

「なんだよ、また妙な声を出して。視姦は止めたぞ」

「そうじゃなくて!」


 始めから前提が間違っていたのではないか?

 すべてを置き換えて推測を組み立て直してみる。暗幕に覆われた33番教室、四つの箱、教卓、そして“ヌイグルミ”。あの場を真に操作(コントロール)していたのは誰だったのか。


「光さん」

「どうした。今度は空腹すぎておかしくなったのか」

「『ここみちゃん』、知ってます?」


 意味深に名を告げられた光は目を見開く。数度ぱちくりさせた後、猫が逆毛を立たせるように不機嫌オーラを放出した。


「誰だよその女!」

「女っていうか、性別どっちだっけ?」

「中性ってやつか」

「違うような。あっ、ほら、もう降りなきゃ!」


 ふたりで縺れながら黒志山大学前駅で降車する。

 目当てのコインロッカーにたどり着き、日向が暗証番号を思い出していると、光が怖い顔で追ってくる。


「で、誰なんだよ。ここみちゃんって。可愛いのか?」

「かわいいですよ。丸顔で目がぱっちりしてて」

「ほぉう。そういうのが好みか」

「……はぁ失敗したな。紛らわしい言い方をしてごめんなさい。ちゃんと説明しますから」


 大学の敷地側から二人の男女がやってくるのに気づき、日向は口をつぐむ。

 すらりとした美女と無骨な従者みたいな組み合わせ。如月アスミと左衛門三郎雄太だった。




「水無月君」


 先に声をかけてきたのは、如月だった。

 因縁の相手と出くわしてしまった光は、かろうじて平静を保っている。如月のせいで機嫌が悪くなること自体が腹立たしいのだろう。


「さっきはありがとうね。ちょうどよかった、伝言があるの」


 怒りを抑える光を意に介さず、如月は日向に微笑みかけてくる。

 が、日向の視線は彼女を通り越し、フランケンシュタイン似の男に注がれていた。その瞳は爛々と輝いている。光は、うっ、と嫌そうに呻く。

 これは――日向の好奇心旺盛が発揮される前兆。二人だけの推理合戦なら良いが、他人を巻き込むとなると話は別だ。ややこしい事態にならなきゃいいのだが。


「左衛門三郎さん。心当たりがないなら無視してください」


 光が止める間もなく、日向は前置きして尋ねる。


「どうやって入っていたんですか、雪男(、、)の中に」


 不動の面立ちがわずかに動いた。三郎は沈黙している。やがて、如月アスミがあだっぽく笑い始めた。


「気づいていたんだ、水無月くん。そんな気がしていた。原因は私?」

「はい」


 臆面もなく日向は認めて、「如月さん、教えてくれましたよね。赤井さんが院のボランティア活動で、高齢者福祉施設で人形劇をしているって」

「嘘じゃない」

「はい。雪男は、如月さんの胸くらいの高さで、胴回りは箱の面積の半分以上もあった」

「あーそんな感じだったかな」

「人形劇のパペットとして使うにはサイズが大きすぎるでしょう。人形劇で使われるとしたら、パペットじゃなくて、着ぐるみじゃないですか? 少なくともヌイグルミではない」

「なるほど……失言だったね」


 如月が手を打った。なぜヌイグルミだと思っていたのか。

 メンバーが現場に集合した瞬間、彼女が発したからだ。『ヌイグルミ?』と。その一言で、魔法にかかったようにそう思い込んでしまった。

 彼女が触れると、生を全く感じさせない無機質な動きで“雪男”は床に倒れた。一連の動作があまりに見事で、日向は微かに抱いていたはずの違和感を忘れてしまったのだ。

 

「着ぐるみをヌイグルミと思い込ませたかった理由はひとつしかありません。中に人が潜んでいることを隠したかった。ですよね、左衛門三郎さん?」

「三郎でいい」


 三郎がぶっきらぼうに言う。そんな彼と如月を見比べていた光が、我慢しかねたように日向に囁く。


「雪男は、如月の胸の高さまでしかなかったんだろ。本当に三郎が中に入っていたのか?」


 強面に反して体つきは華奢だが、女性としては身長が高い如月よりも三郎は大きい。百七十センチはあるだろう。


「僕もまだ半信半疑ですが。ほら、さっき『ここみちゃん』の話をしたでしょ」

「だから誰なんだよそれは」

「教育テレビの子供向けステージショーに登場するキャラクターです。

 ここみちゃんも進行役のお姉さんの胸までしか身長がないから、誰がどんな方法で操作しているんだろう、と興味がわいて調べてみたんです。諸説ありましたが、大人が中腰になれるよう椅子が備えてある、というが一番説得力があったかな」

「私、着ぐるみの中を見せてもらったよ。椅子といっても申し訳程度ね。三郎はパントマイム部で鍛えているから筋力と柔軟性が優れているの。関節も柔らかいし。でも大変だったでしょ?」


 会話に入ってきた如月が、「ごめんね」と三郎に謝る。


「パントマイム部か。サークルを掛け持ちしているって言ってましたもんね。陰陽五行研究会と」

「ちょっと待て」


 呑気に応じる日向の腕を光が掴む。この場を早く引き上げたい欲求に、会話についていけない悔しさが勝ったらしい。


「着ぐるみに入れるかどうかは別として。なぜ中にいたのが彼だと?」

「うーん」日向は顎に手をやる。「この辺りはフィーリングを含みますが、それでもいいですか」

「納得できるかどうかは聞いてから判断するよ」


 日向はコインロッカーから取り出した鞄を肩にかけて、んんっ、と湿っぽい咳をした。


「見張り役の三郎さんが消えていたのは、スクエアの信憑性を失う行為です。長月さんの慌てようといい、あらかじめ計画されていたこととは思えない」

「つまり、長月と三郎はグルじゃないってこと?」

「はい。一方で、雪男を置いたのが三郎さんじゃないかと僕が疑ったとき、如月さんは肯定も否定もせず、『三郎は私を裏切らない』と言った。嘘をついているようには見えなかった」


 客観的にみれば、見張り役から離れた時点で十分に裏切っている。

 それでも如月が真実を述べているのであれば、三郎の消失は彼女も織り込み済みだったのだ。


「極めつけに、如月さんは雪男が〈着ぐるみ〉であることを隠そうとしました。となれば、中に入っているのは三郎さんと推測するのは自然な流れでしょう。三郎さんは誰よりも如月さんの近くにいたんです」


 コインロッカーの前で対峙する四人の横を学生の集団が通り過ぎていく。

 彼らに自分たちはどう映っているのだろう。ダブルデートの待ち合わせをする男女? そんな風にみられていたら皮肉だなと日向は思う。


「スクエアが始まる前、なかなか姿を見せない三郎さんに、如月さんが電話をかけましたね。

 コール音が何度か漏れ聞こえてすぐ、三郎さんは現れた。教室の近くにいた証拠です。なのに携帯の着信音が聞こえなかったのは、マナーモードに設定していたからじゃないですか?

 同じようにスクエア後、如月さんは三郎さんに電話をかけた。三郎さんが応答しなかった理由は、説明するまでもないですね。彼はそのときマナーモード設定済みのスマホと一緒に着ぐるみの中で息を潜めていたから。僕はてっきり三郎さんは教室から離れた場所にいるとばかり思っていました。巧みな偽装です」

「そうかな」


 面白くもなさそうに、如月が胸元にかかった髪を後ろに流す。


「あなたは最後の最後まで見事でした。

 予期せぬアクシデントで動揺していた長月さんを、『スクエアが成功した』と喜んでみせて落ち着かせた。僕が赤井さんを逃がすため嘘を吐いたときも、あなたの一言で水に流された。すべて成り行きはあなた次第だった。あなたがあの場をコントロールしていた」


 如月の表情には嬉しさも悲しみもない。無に近かった。日向の腕を掴んでいた光が、はっとしたように漏らす。


「スクエアの途中で入った五人目は? 三郎じゃなかったら誰だったんだ」

「決まってるでしょ」


 如月が言う。暗い声だった。


「オカルト研以外の人間を長月君が潜ませていたの。スクエアを百パーセント成功させるためにね」



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